天の星の川





「晶ねえちゃんー! 笹飾りいっぱいできたぞ!」
 がさがさっと色紙の切り屑の山が揺れ、中から得意げな顔をした花子が飛び出してきた。晶は彼女の髪や頬についた色紙を払ってやりながら、彼女の作品を切り屑の山から選別する。
「どれどれ。わっ、ほんとにいっぱい作ったね」
 たっぷりと用意したつもりだった色紙は全てハサミが入れられ、工作本を参考に切り取られたそれは黄色、赤、緑、青と、色とりどりの飾りへと変貌を遂げていた。
「うまいだろ!」
「うん、すごく上手!」
「早く飾りたいぞ」
「そうだねぇ……」
 わんぱくに腕を振り回す花子を膝に乗せ、晶は心配げに窓の外を見る。
 未門家の庭は広い。
「父ちゃんと牙王、まだなのか」
 花子は晶の膝から降り、窓に張り付き、硝子に鼻を押し付ける。
 ふん、と怒りで鼻を鳴らすと、硝子は白く曇った。
「はっなこちゃん」
 ぽん、と晶は花子の丸い肩に両手を置いた。
「一番大事なもの、忘れてない?」
「笹!」
「う、うん、そうなんだけどね」
 それは今、小父さんと牙王くんが必死に探してくれてるからね、と晶は早口に言う。
 朝早くから笹を探しに行った二人は、もう昼になろうとしているのに帰ってくる様子がない。
 大丈夫だろうか。
 手配していたはずの笹が手違いで届かないことになったと未門父が知らされたのは昨日の夜だったという。笹がなければ七夕ができない、と喚く花子のためにも、と二人は張り切って出掛けたそうだ。入れ違いに未門家に入った晶はそう涼実から聞かされた。未門家が引っ越してきてから、毎年七夕は未門家で過ごしてきた。忙しい両親を持つ晶は、普段から花子の遊び相手として未門家に迎えられている。今日も涼実は助かったわ、と花子を晶に任せ、台所に立つ祖母の元に手伝いに向かったのだった。
 七夕飾りもできたし、料理もお祖母ちゃんと小母さんが作ってくれている。あとは……と、晶はぽっかりと広い庭をぼんやりと見つめた。
 花子はぴったりと窓ガラスにくっついたまま離れようとしない。
 花子の意識をどうやって引き戻そうかと考えていると、花子があっと声を上げた。
「笹だ!」
 叫ぶなり、窓をがらっと開けてサンダルを履くのももどかしく、庭に飛び降りる。
 がっさがっさと、大きな笹が独りでに門を通り、晶と花子の目の前まで進んできた。
 緑の葉の間から牙王がにっと顔を出し、その足元からにゅっとバディのドラゴン、ドラムが顔を出した。
「待たせたな!」
「きゃあ! 笹でっけー! にいちゃんすごいなっ!」
「へへ、すごいだろ! オイラが見つけたんだぜ」
「おい、見つけたのは俺が先だったろ、ドラム!」
「オイラだ!」
「ごめんね、晶ちゃん。待たせてしまって」
 笹の根本を持っていた牙王の父、隆は笹を置くと、首にかけていたタオルで汗を拭った。晶は花子と一緒に作った飾りを手に、庭に降りた。
「とても立派な笹ですね!」
「いいのはもう売り切れちゃったって言われて焦ったよ。まあ、探しまわったお陰で大物が手に入ったね」
 な、牙王、と隆は汗を拭いつつ、涼実さんはキッチンかな、と晶と入れ替わりにリビングへ上がった。
「花子ちゃん、さっそく飾ろう。牙王くんもドラムちゃんも一緒に!」
「おう!」
「見ろ、がおーにいちゃん! にいちゃんが笹取りに行ってるあいだ、花子、晶ねーちゃんといっしょにこんなにかざり作ったんだぞ!」
「うお、すげーな! 綺麗じゃねえか。これとかすげえ凝ってるし。晶姉ちゃん、器用だなぁ」
「ふふ、力作だよ。ドラムちゃん、これはこのヒモでこう括りつけるの」
 大きな爪でぎこちなく色紙で作られた飾りを持ち上げたドラムの手つきを見守りながら、晶は飾り方を教えてやる。こうか、とドラムは飾りをくしゃくしゃにしないように気をつけながら笹に括りつけた。
 すべて飾り終わって、牙王と花子は父親を呼びにばたばたと大きな音を立てて家の中へ戻っていく。二人に手とシャツを引っ張られて戻ってきた父は、笹を立てると、しっかりと地面に差し込み、倒れないように固定した。
 大きく、立派な笹が、金銀色とりどりの飾りをさらさらとなびかせ、未門家の庭に優雅な彩りを与えた。
「みんなー、そうめんできたわよ!」
 四人と一匹で笹を見上げながら感慨深く仕事の成果を眺めていると、涼実が客間に顔を出した。
「そうめん!」
「母ちゃん、バッチタイミング!」
「オイラ腹減った!」
 わあっと子供たちは飛び上がって客間に駆け込んでいった。
「手を洗ってからね」
 涼実に言われ、ドラムと競争していた花子は進路を変え、洗面所に飛び込んだ。その後ろをドラムが追いかけ、ドラムの尻尾を踏みそうになりながら牙王が続く。
 晶は三人がちゃんとハンドソープを使っているか見守り、最後に手を洗った。
 皆でリビングに戻ると、色鮮やかな食卓が待っていた。
 赤と緑と白で色付けされたそうめん、野菜のてんぷら、レタスとミニトマトときゅうりのサラダ。
「晶ねーちゃん、花子の隣に座って!」
 花子はぐいぐいと晶の腕を引っ張って椅子に座らせ、その隣にうきうきしながら腰を下ろす。
「おおっ、うまそう!」
 牙王が晶の隣に座り、ドレッシングどれがいい、と晶に涼実手作りのドレッシングを並べてくれた。
「母ちゃん、オイラが運ぶぜ!」
 涼実が全員分の箸とコップをお盆に乗せているのを見て、ドラムが駆け寄る。
 賑やかさに笑みを湛えながら、隆が最後にリビングに入り、着席した。



「ファイナルフェイズ! ガルガンチュア・パニッシャー!」
「うわぁ、負けた!」
 カードを晶の前に叩きつけ、牙王は勝利の笑みをニカッと作った。晶は大袈裟によろけ、悔しいな〜と呻きながらカードを片付ける。
 昼食の後は、ファイトしようぜと牙王が提案し、ずっと対戦に夢中になっていた。何度か勝てたものの、牙王の方が押していた。昔はもっと勝ててたんだけどなぁ、と晶は頭をかく。
「牙王くん、ぐんぐん強くなってるよね。最近、特にそう思うけど」
「へへっ、ドラムのおかげだな!」
 牙王は嬉しそうに相棒の肩を抱き寄せた。
 ドラムがドラゴンワールドから現れて牙王のバディとなってから、牙王は目に見えて成長していた、と晶も納得する。
 ドラムは鬱陶しいと言わんばかりに牙王から顔を背けたが、まんざらでもなさそうだ。
「ふん、オイラは強いからな! 当然だぜ」
「いいコンビだ。私もドラムちゃんみたいなバディ欲しいなぁ」
「そっ、そうか?」
「ドラムちゃん、かわいいし」
「か、かわいいって……」
 一瞬尻尾を立てたドラムだったが、しょぼんとしてしまった。牙王はかわいいってよ、とドラムのほっぺを引っ張ってからかう。うるせえ、とドラムは怒ってその手を払った。
「そろそろ出発するよ」
 隆が顔を出して晶らを促す。カーペットの上に転がり牙王のカードを眺めていた花子がいの一番に起き上がった。
 祖母の花絵も涼実も、全員で隆の運転する車に乗り込んだ。

 車は軽快に飛ばし、住宅街を抜け、ビル郡の中を通り、やがて郊外へ滑り出す。
 流れる景色と共に空はオレンジから藍色へと色を変え、一つ、また一つと白い星が瞬き始めた。
 いつしか都会からうんと離れた草原の中へと入り込んで、車は静かにエンジンを止めた。
 シートベルトを外すのももどかしく、花子は外へ飛び降り、ドラムが続いた。
 晶は反対側のドアから外へ出て、柔らかな草を踏みしめ空を見上げると、息を飲んだ。

「わぁっ……」

 星がこぼれ落ちてくるようだった。
 見上げる限りに夜空が広がっている。全ての星を一度に視界を入れようとして、晶は身体を逸し、バランスを崩した。
 だが転ぶことはなかった。隣で同じように空を見あげたいた牙王が、晶の手を掴み、この地上に引き止めてくれる。
 牙王はそのまま手を離さなかった。
「こうしてねえと、なんかそのまま飛んでっちまいそうに見えてさ」
 晶の目を見つめる牙王の表情が、なんだかいつもと違って見えた。
「へんなことを言うね」
「そうか?」
 二人してはにかむ。
 花子とドラムが二人を呼んだ。
 牙王はぱっと手を離し、今行くぜ、と彼らの方に走り出す。
「晶姉ちゃんも早く!」
「……うん!」
 あれがぎんがってゆーんだって、と花子は空を小さな手で指差す。
 でっけえなあ、とドラムはぽかんと口を開ける。
 綺麗ねぇ、と涼実はうっとりとして、今日は晴れてよかったですね、と隆が同意する。
 花絵はうんうん、と頷いた。

 晶と牙王は草の上に大の字に寝転がって、天の川を見上げる。
「織姫と彦星ってどれだ?」
「あれだよ、アルタイルと、デネブと、ベガの三つで、夏の大三角形って呼ばれるの」
「ああ、ほんとだ! 三角だな」
 星ってすげえな、と牙王は関心している。星座を作った人もすごいよね、と晶は返した。
「おりひめとひこぼしってなんだ?」
 ドラムは牙王の隣で腹ばいになって肘を付き、掌に頬を乗せて晶を見る。えっとね、と晶は七夕の物語をドラムに語ってきかせた。
「一年に一回しか会えないのか!?」
「そんなの、ひどすぎる!」
 いつの間にかドラムの隣に並んでそっくりのポーズで聞き入っていた花子は、ドラムと一緒に天の神様に腹を立てた。
「俺は、すげえと思うな。恋人に会うために、氾濫した川を渡ろうとするなんて。それだけ彦星は織姫のことが好きだってことだろ」
「それくらい好きな人がいるって、素敵なことだよね」
 ふと視線を感じて顔を上げると、牙王と目が合った。牙王は微笑んでみせた。晶も少し照れながら笑みを返す。
「……牙王にいちゃんと晶ねえちゃん、なんかあやしいふいんき」
「えっ?」
「な、何言ってんだよ花子!」
 やたらとにやにやしながら二人の顔をじろじろ見る花子に耐えかねて、二人は大慌てする。そんな二人に、ドラムは不思議そうに首を傾げた。
「何赤くなってんだよ、牙王」
「うるせえ、赤くなってねえよ!」
「牙王ちゃん、ドラムちゃん、静かにしてちょうだい」
 喧嘩でもはじめそうに睨み合った二人を、少し離れた場所から涼実が叱った。
 晶は思わず笑ってしまう。
「ねえちゃん、織姫様と彦星様、ちゃんと会えたかな?」
 そばに来た花子を晶は膝に乗せ、一緒に空を見上げた。
「うん。きっと会えたよ。それくらい強く想い合ってる二人だもん」
 どんな困難が立ちはだかっても、諦めたりはしないのだろう。
「もし、ねえちゃんと離れ離れになっちゃったら……」
 ぎゅっと腕を握ってきた花子の様子が変わったことに気づいて、晶は星から花子に目を落とす。
「花子も、ねえちゃんに、ぜったい会いに行く! ぜったいだよ!」
 織姫に感情移入したのだろう、花子は涙を散らし、強い意思を秘めた輝く瞳を晶に向けた。
「私もだよ。絶対、花子ちゃんに会いにいくよ」
 ぎゅっと抱きついてきた花子を抱きしめ返す。
 かわいくて大切な妹。
 いつか離れなければならないのかもしれない。
 けれど、不安になることはない。
「花絵さんにも、小母さんにも、小父さんにも、ドラムちゃんにも……牙王くんにも。また会いにいくよ」
 私の大切な、もう一つの家族だから。
 晶を、暖かな笑顔が取り巻いている。
 いつか本物の家族になれたら……。
 ふとそんな思いを抱く。
 微かに芽生えた希みを込めて、牙王をそっと見た。
 牙王の笑顔が一番眩しい。大好きな未門家の、一番好きな明るい笑顔。

 牙王はすっと空を指さした。
「流れ星だ」
「えっ」
「どこどこ!?」
「プリンプリンプリン!」
「ドラムくん、もう間に合わないと思うよ……」
「ふふ、家に帰ったら皆で食べましょうか」
「やったぁ!」
「ほっほっほ」
 牙王の視線の先を、皆が見上げた。
 花子はまんまるの瞳をさらに大きくしてもう一つ流れ星が落ちないかと目を凝らし、ドラムは願いを叫び、その叫びを聞いて隆は苦笑し、涼実は冷蔵庫で冷やしてあるデザートのことを思い出し、花絵は楽しそうに笑った。
 一面に広がる草原が風に揺れてさらさらと音を立てる。
 その中に、幸せな家族のさざめきが、どこまでも広がっていった。






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