星渡る笹橋



「これでよし……で、ござるな」
 小さな縦長の色紙に、自ら筆で認めた文字を読み直し、暁は一つ頷いた。忍、と隣で月影も同じように頷く。
「ってぇ、つつつつ月影ッ!?」
「忍?」
 月影に気づくやいなや、飛び上がらんばかりに驚いた暁に、月影もびっくりする。いかがなされた、と小首を傾げると、暁は墨を含んだままの筆ごと短冊を抱き込み、月影から三歩分の距離を開けた。
「みみみみみ、見たでござるかッ!?」
「忍(暁殿の願い事でござるか? それは……)」
 月影が次の発言を巻物に書き表す前に、暁くーん、と呼ぶ声がして、暁はまた地面から五センチほど飛び上がった。
「あ、月影もここにいたの。二人共、お願いは書けた?」
 皆のこれから吊るすから、回収してるんだよ、晶は手に下げた短冊の束を見せた。相棒学園近くの公園で催された七夕祭には大勢の生徒たちが参加しており、ずいぶん賑やかになっていた。笹も大きなものが何十本も用意され、集まった人の分も、それ以外の人の分も、全てが飾れるようになっている。晶はそのうちの一本に、小さくて笹に手が届かない子供たちの分を集めては、代わりに飾ってやっていた。
「暁くんの短冊も貸して」
「あ、はいでござる」
 晶の指先に短冊が触れるか触れないかのところで、暁ははたと己の失態に気づいた。
「あーっ!!! いや! まだ! まだでござる!!」
「え? そうだったの?」
「もももも、申し訳ないでござる! その、書き終わったら、せっしゃ自分で飾るゆえ、晶どのは先に皆の分を飾っておいて欲しいでござる……」
 暁は後ろ手に必死で短冊を隠し、まだ晶の目にこの拙い文字が触れていないことを祈りながら、晶の答えを待った。
「そっか。急かしちゃってごめんね。じゃあ、書き終わったら教えて! 暁くんのお願いがお星様に届くよう、笹の一番上に飾りたいからさ」
「晶どの……」
 晶の微笑みがいつも以上にきれいに見えて、暁の頭はぽうっとなる。見慣れない浴衣姿だからだろうか。髪型もいつもと違って、アップにしている。大人っぽいというか、違う人みたいだ。
 きゅ、と短冊を持つ手に力が篭った。
 この願いを、叶えたい。絶対に。

 晶は他の短冊を飾りに行ってしまった。
 暁はそっと短冊を胸元に持ち替え、くしゃくしゃにしていないかと眺める。大丈夫だ。ほっと息を吐いてから、一部始終を見ていた月影が隣にいることを思い出した。
「うわぁっ! みみみ見ちゃダメでござるぅ!」
「忍(暁殿は、願いを他人に見られたくないのでござるな)」
「当たり前でござる! こ、こんなの……知られたら……」
 想像しただけでかあぁ、と顔に熱が集まり、息が詰まりそうなくらいに恥ずかしくなった。
「忍!(心配ないでござる)」
「え?」
 月影は頼もしく背筋を正し、ぴ、と笹のてっぺんを指さした。若緑の先には、きらきらとした星が見える。
「忍(あそこに飾れば、誰にも読まれないでござる)」
「な、なるほど! それはいいあいであでござる、月影!」
 あれだけ高ければ晶どころか、誰の目にも触れなくてすむだろう。そうと決まればさっそく行動だ、暁は短冊をなくさないよう胸元に忍ばせ、見上げるほどの笹に接近した。笹の回りにはさらに人が集まっていた。笹に取り付けられた色とりどりの飾りを見てはきれいだねと感想を言い、人の願い事を見ては微笑ましく思う、その人の波は途切れることがなさそうで、月影はその小柄さを活かし、彼らの足元をすり抜け笹の根本を目指した。暁もそれを真似して、匍匐前進を試みる。
「うわっ?」
 すると誰かに踏まれそうになった。踏みそうになった足を空中で止めて、なんとかバランスを保っているのは牙王のバディモンスター、ドラムだ。
「なんだお前、あぶねえな」
「せっしゃ、現在任務遂行中でござる。失礼するでござる」
「あっ、オイ! だからあぶねえって!」
 ドラムが止めるのも聞かず、ともすれば見失ってしまいそうな月影の後を追った。
「つ、月影、早いでござる……」
 人をかきわけようにも、暁の力では押し返されてしまう。上手く通り抜けられそうな隙間も見つけられず、暁は立ち往生だ。
「どうした、迷子か」
 ふと頭上から独特な声が聞こえ、暁は顔を上げた。狐のシルエットが星明かりに黒ぐろと浮かび上がり、暁は思わず悲鳴を上げるところだった。
「フ、如月斬夜と逸れたか」
「ち、違うでござる、闇狐どの。今せっしゃは……あ、あれっ、月影がいない!?」
 ちょっと目を離した隙に、月影の姿がどこにも見えなくなっていた。焦っていると、ひょい、と首もとを摘まれた。
「わあっ!?」
「月影はあそこだ」
「あっ、月影ー!」
 闇狐に持ち上げられて人々の頭よりも高くなった視線には障害物もなく、暁は苦もなく月影を発見した。笹にかなり近い場所にいる。その隣には、魔王アスモダイがいた。
「ヘイ、パスパス!」
 人混みに混じってひときわでかいアスモダイは、両手を煽るように振って闇狐を促す。ぱす? と暁が首を傾げる前に、闇狐は紙風船でも投げる要領でほーい、と暁をアスモダイの方へと放って寄越した。
「うわあああああ!?」
「ナイス、コントロール!」
 それを軽々と受け取ったアスモダイは闇狐にサムアップ。闇狐も軽く親指をあげてみせると、楽しげな笑みを残して人混みに消えていった。
「ほらよ、もう逸れるんじゃないぞ」
「び、びっくりしたでござる……」
 暁はアスモダイに月影の隣へ下ろしてもらい、笹への接近行動を再開した。
「困ったなぁ」
 笹の側には、晶がいた。晶は短冊を取り付けに来たのだから、ここにいるのは当然だった。彼女は頬に手を当てて、足元を見ている。彼女が悩んでいるなら、見過ごすわけにはいかない。
「どうしたんでござるか?」
 一時任務を中断して晶に問いかける。晶は声を掛けたのが暁だとわかると、ぱっと顔を明るくした。
「暁くん! 短冊は書けた?」
「はいでござる! あ、いや、えっと。その、晶は何か困り事でござるか?」
 せっしゃでよければお力になるでござる! と暁は胸を叩く。それがね、と晶は眉を下げた。
「情けない話なんだけど、短冊を飾ろうとしたら風に煽られて、一枚見当たらなくなっちゃったの」
 絶対見つけなくちゃ、と晶は意気込んでいる。それなら手伝える、と暁はぱっと表情を輝かせた。
「せっしゃも一緒に探すでござるよ!」
「本当? ありがとう!」
 晶は暁の辿って来たルートの、少し右を指さした。
「あの辺りはまだ見ていないの。もしよかったら、探してもらってもいいかな?」
「もちろんでござる! せっしゃにおまかせください」
 暁はぐっと胸を張る。頼もしいな、と晶は手を叩いて喜んでくれた。
「あっちの方は今斬夜くんやくぐるちゃんが見てくれてるのよ。向こうは爆くんや牙王くん、あと、ノボルくんとキリくんと……」
「すっ、すでにそんなに……」
 つらつらと晶の口から出てくる知った名前に、暁は頭がくらくらした。一番最初に、助けに来られたと思ったのに。一番最後だった。
「がっかりでござる……」
「忍」
 ぽん、と月影は暁のしょげた肩を叩いた。
「ううっ、そうでござるな! せっしゃが一番に見つければいいでござる! よーし!」
 気を取り直し、暁は再び芝の上に転がった。今度は笹とは反対の方向へ、短冊探しの任務だ。
「月影はあっちを頼むでござるよ」
「忍!」
 月影は暁の命を受け、迅速に行動を開始する。
 短冊を一番に見つけたら、きっと晶は喜んでくれる。
 そんな期待に胸を踊らせながら、暁は目を皿にして人々の足と足が踏み交わしていく芝の中に落ちているはずの短冊を探した。
「これは! ……ちりがみでござる。はっさては! ……空き缶でござった……。やっ、あれこそは! ……煙草の吸い殻!? ポイ捨てするとは、まったくひどい人がいるものでござる」
 ぽいぽいと拾ったゴミを持っていたビニール袋に詰めながら探し続けるが、なかなか目当てのものがない。この辺りにはないのだろうか、と諦めかけたとき、ふと前方に斬夜を発見した。兄もこの近辺を探していたらしい。
 兄者、と声を掛けようとしたら、斬夜は急に屈みこんで地面に手を伸ばした。その先には、細長い色紙。
「あーっ!」
 斬夜は眼鏡をちょっと直して、暁に気づいた。
「暁。お前も探していたのか」
「そうで、ござるぅ、う、ううっ」
「なっ、なぜ泣く」
 一番に見つけられなかった。そのショックが暁の目尻から滝となって流れた。泣き虫な弟に、斬夜は驚かされつつも、見つかったのだからいいだろう、と短冊を見せる。
「これで晶も罪を感じずにすむ。……ん?」
 そして、自分でも短冊に書かれた文章を見て、瞬きした。
「晶どのを守れる、強くてりっぱなしのびになりたい……きさらぎあ」
「うわああああ!! うわあああああああああああああ」
 暁は爆発したように真っ赤になって両手をぶんぶんとわけもわからず振り回し、奇声を上げた。いつの間に落としたんだ、と自分の胸元をまさぐると、ない。短冊がどこにもない。
「あああああにあにあにじゃ、そそそそそそそそそのたたたん、たんざくは」
「あー……、ああ、誰のだろうな」
 斬夜はわざとらしくならないよう、短冊から目を反らし、暁にそれとなく手渡す。
「どうやら晶の落としたものとは違うらしいな。暁、持ち主を探せるか」
「もっ、もちろんでござるよ兄者! せっしゃ探してくるでござる!!」
 暁はぶるぶると震える手でなんとか斬夜から短冊を受け取り、ぎこちなく胸元の深いところに、絶対に落とさないよう、しっかり仕舞い込んだ。
「あっ、暁くん、斬夜くん!」
 晶がこちらに走ってくるのを見て、斬夜が小さな悲鳴を上げた。晶はわざわざ斬夜の側を避けて回り、暁の方から駆け寄った。
「ごめんね、見つかりました!」
 少し上がった息を整えながら、晶は嬉しそうに手に持った短冊を二人に見せた。低学年が書いたのだろう、たどたどしいひらがないっぱいの短冊だった。
「二人共、手伝ってくれて本当にありがとう!」
「まったく、もう落とすなよ。人の大事な願いを」
「はい。めんぼくないです」
 斬夜に素っ気なく言われ、晶は素直に頭を下げる。誰が一番に見つけたのだろう、と暁は心が急速にしぼんでいくのを感じた。
「忍」
 騒ぎを聞きつけ、月影がそっと暁の隣に立った。暁が月影を見ると、月影は頷き、笹のてっぺんを指さした。暁はきゅ、と服の上から短冊を押さえる。
「でも……せっしゃ……」
 こんな短冊に書いたって、叶いっこない。急に後ろ向きな気持ちになった。今だって、全然晶の役に立てないのに。
「忍」
 やるのだ、と月影は暁を奮い立たせる。願いを叶えようと行動することこそ、望みに近づく本当の一歩なのだと。
「おい、月影」
 二人のやりとりを黙って見ていた斬夜が、見かねたように声を掛けた。月影は斬夜を見上げ、大丈夫だ、というように頷いて見せる。
「まったく……」
 斬夜はちらりと暁を見、晶に一瞥をくれたが、そのまま見つめることはできず、思い切り首を横に曲げたまま話しかけた。
「お、おい、晶。笹のてっぺんに短冊を飾りたいと言っていたな」
「え? ああ。近いほうが、お星様が皆の短冊をもっとよく読めるかなって」
「大人では無理だ。あの笹が折れてしまうからな」
「斬夜くんも私も、大人じゃないよ?」
「う、うるさい。だが、そこの暁と月影なら、できないこともないぞ」
「え?」
 え、と晶と同時に暁も斬夜の顔を見上げた。兄が何を言いたいのか、よくわからなかった。斬夜はほらわかるだろう、と焦れったそうに暁に目線を配る。
「笹に登るくらい、わけはない。修行の成果を見せたらどうだ、暁」
 いつもサボってるわけじゃないと、証明してみせろ。斬夜はそう言った。え、でも、と暁は困って晶を見る。晶はそんな暁を見て、違うの、と手を振った。
「もう、斬夜くんてば、何を言い出すんだろうね。いいのよ、そんな危ないことしなくて。私のちょっとした思いつきだから」
「晶どの……」
 優しく、暁の身を案じてそう言ってくれる晶の言葉が、じんわりと暁の胸に染み込んだ。その暖かさが、勇気をくれた。
 ぎゅ、と胸の上で拳を握る。
「……兄者、わかったでござる」
 晶は顔付きの変わった暁に、目を瞠る。
「晶どの、せっしゃ、できるでござる。皆の短冊を、お星様の近くまで、運ばせてほしいでござる」
「暁くん……」
「忍!」
 月影も、太鼓判を押した。晶は二人の、やる気に漲った顔を見比べて、笑みを零した。
「そんなにかっこいいこと言っちゃうの? すごいなぁ」
「えっ」
 蕩けるような声で言われ、途端に暁は真っ赤になる。えっと、えっと、と焦るうちに晶から短冊を託され、斬夜に背を押され、月影に背負われて、暁は笹を登った。
 誰よりも高く、星の近くへ。

「ありがとう、暁くん。月影」
 皆の願い、叶うといいね、月の下で微笑む晶はとても美しくて、暁は短冊のなくなった胸元を、きゅ、と握りしめ、頷いた。
「絶対、叶えるでござるよ」
 あなたを守れるくらい、強くなりたいから。

 笹のてっぺんで揺れる短冊に誓いを立てて、踏み出したその第一歩は、きっと夢へと続く道だろう。






[1/7]
×