素直じゃない君が好き



「なあ、俺とファイトしてくれよ、由香里ねーちゃん!」
「んー」
 ぶらぶらと超商店街を歩いていた由香里は、知り合いの小学生に捕まっていた。特に目的もなく、暇つぶしに歩いていただけなので話し相手が見つかったことについては歓迎なのだが。
 きらきらと輝く熱心な瞳でされた依頼は、二つ返事でほいほいと引き受けたいものではなかった。由香里は赤色のロリポップの棒を噛みつつ、なあなあと催促する牙王にんーとかうーとか曖昧に唸るだけでなかなか答えようとしない。
「頼む! 俺まだ初心者だからさ、色んな人とファイトしたいんだよ」
「そうだろうねぇ。だったら……お」
 さてどうやってかわそうかと、いい案を考える時間稼ぎに商店街をぐるりと見回していると、案の方から歩いてきた。
 虎堂ノボルだ。
 足を止め、こちらを見ているので手を振る。
「おーい」
 と、由香里がノボルの名前を呼ぶ前、由香里がノボルに気づいて目が合った瞬間には、すでにノボルは踵を返し、一目散に逃げ出そうとこちらに背を向けていた。
「ノボルッ!」
 小さくなっていた飴を噛み砕き、棒をぽいっと放り投げる。
 標的逃走経路確認。距離30。
「ブレイドウイング・ドラゴン、バディスキル・オン!」
 由香里の腰に付けられたデッキケースがきらりと光り、甲高い鳴き声がしたと思うと由香里の踵に光の翼が生える。ぐっと上体を沈め、筋肉を撥条のように弾いて――由香里は弾丸のごとく駆け抜けた。
 ノボルが五歩分駆けたとき、一陣の風と共に由香里は30mの距離を一息で――まさしく、牙王があっと息を飲む、その一瞬だった――詰め、急ブレーキの勢いを活かしたまま急反転、あわや衝突に至る間一髪のぎりぎりのところでノボルがぐっと踏みとどまり、そのまま後ろへ転ばないよう左足を引いて踏ん張った。
 腰を手に当て、青空からひらりと舞い降りてきた赤い細身の翼竜を肩に乗せ、由香里はにっこりと笑いかけた。
「やっほ」
 私から逃げられるとでも思った? そう言いたげな得意顔。目が合う前に逃げるべきだったよな知ってる、とノボルは顔を引き攣らせた。

 商店街に居合わせた人々は、白昼堂々バディモンスターとそのスキルを目の当たりにして興味津々に由香里たちを見ていたが、もう何も起こらないようだと悟るとそれぞれの日常に戻っていった。
「おーい、ノボル!」
 動き始めた群衆をかき分けて、牙王が駆け寄ってくる。由香里はノボルの肩をがっしり掴んで、牙王に手を振った。
「ほれ。ファイトしたいなら、お友達とやればいいよ」
「はっ!?」
「えー!」
 ばんばんと背中を叩かれ、ノボルは咽そうになりながら由香里を睨みつけた。横暴なことを言い出す。牙王はあからさまに不満気だ。
「俺はねえちゃんとファイトしたいんだよ!」
「いやぁ、ほら私、バディファイターとしかファイトしないし」
 そんなぁ、と牙王は由香里の肩でつんと澄ましている翼竜を恨めしげに見やる。
 してあげられるものなら由香里だって相手を買って出るのもやぶさかではないのだが、いかんせんバディも持たない超初心者相手に、どう戦っていいのか検討も付かない。手を抜くとか、教えるとか、そういうのは大の苦手なのだ。だからといって全力でいけば、二ターン終了、悪ければ後攻ワンキルもしかねない。それではファイトから学ぶも何もなく、ただ踏み潰された痛みと悔しさだけが残ってしまう。
 そういうファイトをしたくはないのだ。
 しかしこの虎堂ノボルなら、そこのあたりきっちり完璧に熟せるいいファイターだ。
 そもそも、牙王をこの道に引きずり込んだ張本人である。
「待てよ、勝手に話を進めんじゃねえ!」
 果敢にも、ノボルは由香里の手を打ち払い、反抗的な態度を示した。
「俺は用事があんだよ。付き合ってらんねーっつーの!」
「まあまあノボルくん」
 由香里はしたり顔で、振り払われたことなど意に介さず、馴れ馴れしくノボルの肩に再度腕を回す。
 ぎゅっと引き寄せてほっぺたを押し付けた。
「わっ、離せっ」
「ごめんね、私に遠慮してんでしょ? ほんとは牙王と遊びたかったのに」
「はぁ!?」
「寂しそうにこっち見てたもんねえ。私が牙王と仲良さそうに話してたもんだから」
「ちげえよ! 決め付けんな! 牙王も期待を込めた目で俺を見るな!」
「それならそう言えよ! 遠慮なんかしなくていいのに!」
「だから違うっつーの!」
 ノボルの意見に耳を貸してくれるものはこの場に誰もいなかった。
「だいたい、俺が見てたのは牙王じゃなくて……」
「なくて?」
「はっ!」
 鼻先が触れ合うほど至近距離から由香里に見つめられて、ノボルは思いっきり仰け反った。
「こっ、公共の場でうるさく騒ぐ馬鹿がいるからうぜぇって見てただけだよ! そしたら案の定、馬鹿二人が集まってやがってよ」
 じーっとこちらを見つめてくる二つの視線から思いっきり首を捻って顔を反らしながら、できるかぎり憎たらしい口調でノボルは言った。すると肩に回されていた方の腕で頬をつねられた。
「いひゃっ」
「馬鹿とはなに、しっつれーな」
 翼竜までが一声鳴いて、ぺしっと尻尾でノボルの頭を叩いた。バディへの侮辱には敏感なのだ。
「なあノボル、俺とファイトしねーか?」
 由香里への催促はやめ、矛先を変えたらしい。牙王に迫られたノボルはしかしやんねーよと一刀両断。
「じゃあな、牙王。行くぞ、由香里」
「は? どこに」
「じゃあまた今度な! 約束だぞノボル! 由香里ねーちゃんもな!」
「牙王、えっと、じゃね!」
 由香里はなぜかノボルに手を引かれ、ぐいぐいと歩くよう促されるので、牙王に別れを告げた。牙王は手を振り返すと、背を向けてどこかへ走っていった。おそらくカードショップに向かったのだろう。対戦相手を探しに。

 由香里はずんずんと人混みをかき分けていくノボルの後ろ姿を見ながらしばらく考えて、手首を掴む手を一旦振り解き、指を絡めて結び直した。
「助けてくれてありがと、騎士様」
「は、はぁ?」
 ノボルは素っ頓狂な声を上げてはっと気づくと、真っ赤になって手を振りほどいた。自分から積極的に握ってきたくせに、と由香里は大笑いする。違う、とノボルはますます真っ赤だ。
 由香里は笑うのをやめ、声の調子を落ち着けてノボルの顔をのぞき込んだ。
「私が困ってるの、気づいてくれたんでしょ?」
「へえ、お前困ってたの? 可愛い後輩に慕われて、デレデレしてんのかと思ったけど」
 ふん、とノボルは顔を背ける。すぐ何か言い返されるかと思ったが、視界の端で由香里がぷるぷる震えているのが見えて何事か、と顔を上げるやむぎゅっと抱きしめられた。
「ぶっ!?」
「はーっ、かわいいやつめっ」
「くっ、くるしい、馬鹿力!」
「よしよし、おねーさんは素直なきみが大好きだぞー」
「キモっ! 離せよ!」
 ノボルが嫌がるからではなく、自分が満足したからという理由によって由香里はノボルを抱擁から解放した。
「じゃ、行こっか」
「えっ?」
 今度は由香里がノボルの手を取り、歩き出す。突然の由香里の行動に、ノボルは引っ張られるがままだ。
「ど、どこに行くんだよ」
「アイス食べよ」
「い、いらねーよ」
「ふっふっふ、本当はチョコアイス食べたいくせになぁ。素直じゃないとこも好きだぞ」
「ばっ!!」
 真っ赤になって言葉を失うノボルを見て、由香里はからからと笑う。いつもこんな調子でからかわれて、大げさに反応してしまう。いい加減慣れても良さそうなものだが、由香里の鋭い攻撃はいつだって的確で、ノボルの心の温度は一瞬で沸点まで上昇してしまう。
「……バカか」
 それでも言われっぱなしは悔しい。せめてもの意地として、緩みそうになる顔を思いっきりしかめて、呟く。弱々しくて、これでは負け惜しみそのものだが、しかし意外にも効果はあったらしい。
 突然由香里が立ち止まったと思うと、す、と手を上げ、にわかにノボルの頭をわしゃわしゃと撫で始めた。
「あーっ、かわいい! かわいすぎるだろコラ!」
「いてえっつーの馬鹿力ッ! あとかわいいわけねえだろ、やめろ!」
「はあかわいい。今日はもう好きなの頼んでいいぞ。一番高いスペシャルチョコケーキアイスでもなんでも!」
「えっ」
 アイスショップの前の看板の前に立ち、太っ腹に両手を広げる由香里の笑みが、女神のように輝いていた。ノボルは思わずメニューに目を走らせる。
「遠慮しなくていいぞ。ほらほら、どれがいい?」
 由香里はごきげんでノボルの後ろに回り、肩に手を置いてノボルに好きなものを選ばせた。ノボルはどきどきしながらメニューを眺め、値段を気にせず心の求めるままにそれを選ぶ。
「じゃあ……これ」
「おっけー! お兄さーん」
 ノボルが決めると由香里は即店員に注文しようとしたが、待って、とノボルは由香里を引き止めた。由香里は別のにする? とノボルを伺う。ノボルは由香里の顔を見て、何か躊躇った。
「何? 遠慮しなくていいんだよ。今私心も財布もリッチだから」
「いや……その、やっぱいい……」
 ノボルは明らかに何かを言おうとした。そのときちらりとメニューのある一点に向けられた視線に、由香里は目敏く気づく。由香里はピースしてみせた。
「もちろん、トッピングもオッケー!」
「いいのかっ!?」
 むちゃくちゃきらきら輝く瞳が喜びと感謝と尊敬を込めて由香里に向けられていた。
 あまりの眩しさに、由香里は目眩を起こした。

 ああ可愛すぎる大好き抱きしめてちゅーしたい!

 こんな表情を見せれたら、いくらでもトッピングをつけてやろうという気になるというものだ。
 由香里の中に溢れる爆発寸前の愛情は、規定値を越えて限界点到達間近であり、ゆえに由香里は何もできず、どうしようもない感動に拳を震わせた。

「はい、お待たせしましたー」
 ノボルの手に店員のお兄さんから綺麗に盛りつけられたアイスが手渡された。ノボルは満面の笑みで、自分の手の中にある豪華なアイスに感激する。
「由香里、これっ……」
 そんなノボルを満面の笑みで見守っていた由香里と目が合うと、ノボルは自分が今どんなに幼稚で子供っぽい態度をとっていたかに気づき、我に返った。
「れ、礼は言わねーぞ! これで貸し借りなしだからなっ」
 わざと怒ったような声を作り、急いでそう告げ、ふんっと顔を背ける。すっかり油断して恥ずかしいところを見せてしまった。
 アイスを前にはしゃぐなんて、俺のキャラじゃない。
「了解。ほら、溶ける前に食べな」
「……ああ」
 由香里は珍しく茶化したりせず、ノボルにベンチを勧めて、自分の分のアイスに手を付けた。
 アイスを前にすると、途端に他の事が目に入らなくなる。
 こんなに美味しそうなアイス、初めて食べる。
 一口目を慎重にスプーンで掬い、そっと口に入れた。
「……うまい!」
 ほっぺが蕩けるとはこのことだ。ノボルの頬は緩まずにはいられない。カップが綺麗に空になるまで、ノボルは夢中でアイスを平らげた。
「美味しかったねぇ、ブレイド」
 由香里は空のカップを舐める竜の首をぽんぽん撫でる。
 ノボルはしばらく由香里の横顔を眺めていたが、やがて口を開いた。
「なあ、やっぱこれじゃフェアじゃねえよな」
「ん?」
「その、トッピングまでつけてもらっちまったし……」
 少し恥ずかしいのでもごもごと口の中で話すノボルに、ふむ、と由香里は二人分のゴミをドラゴンに捨てに行ってもらい、立ち上がった。
「じゃあ、トッピング代は、今もらおうかな」
「ああ、なんか俺にしてほしいこと――」
 あるか、と言う前、こと、辺りで、唇が動かせなくなり最後まで言えなかった。由香里の髪が頬に触れ、鼻と鼻が擦れる。由香里のまつげの震えも感じた気がした。何より唇を塞いだやわらかなものは、少しひんやりとしていて、それはノボルの唇も同じだった。

「……チョコ味」
「イチゴ味……? あっ!!!」
 に、と笑った由香里につられて自分の唇をちょっと舐め、途端、これ以上無理だというくらいにノボルの頬は紅潮した。
「ちょっ……、い、いいいいいいま」
「ブレイドー、サンキュ。かえろっかー」
「いまっ、おまっ、おまっ!」
「ノボル、行くぞ」
「っ……!」

 肩にちょこんと翼竜を乗せて、振り返った由香里はにんまりと笑う。その唇が赤く艷やかで、立ち上がったままノボルは動けなかった。



ノボルくんかわいい。
ブレイドウイングは移動持ちだから、ギフトがあるとしたら加速装置かなと。
牙王くんがまだドラムと出会う前のお話でした。

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