お使いできるもん!2



 明くる日の午後、由香里の店に如月家から客が訪れた。
「いらっしゃい、月影ちゃん」
「忍」
「あら、月影ちゃん一人なの?」
 バディモンスター一人での来店は初めてのことだった。しかも、彼は買い物に来たのではなく、由香里に届け物をしに来たのだった。
「忍」
「これを、私に?」
 彼は両手で風呂敷に包まれたものを持っているから、巻物が広げられない。それでも、彼が何を言いたいのか、由香里には汲み取れる。由香里が手を差し出すと、月影は恭しく風呂敷包みを手渡した。
「もしかして、この間の?」
 暁の手当をしたお礼ということらしい。そんなの気にしなくていいのに、と由香里は遠慮したが、受け取らないのは如月家の好意を無碍にすることになる。
「わざわざありがとう。なにかしら?」
 どうぞ開けてみてください、と月影が言うので、由香里は包みを開いてみた。中には、長方形の軽い箱が入っていた。その箱を包む包装紙を丁寧に剥き、出てきた真っ白の箱の蓋を取る。
「わあ、可愛い。ふくらすずめのてぬぐいね」
 淡い色合いと、愛らしい雀の文様がとても心を和ませる。手触りもなめらかで、さらさらとしていた。
「大切に使わせていただきますと、如月さんに伝えてね」
「忍(いえ、これは)」
 てっきり如月母からの贈り物だと思っていたのだが、月影は首を振り、ちらりと店の外へ視線を向け、由香里を見上げた。
「忍忍(あそこにおります、バディからでござる)」
「バディ?」
 由香里は月影の示した窓硝子の向こうを見た。
 そこには人影があり、由香里と目が合いそうになるとぱっと壁に隠れてしまった。
「斬夜くん?」
「忍」
 こくり、と頷くと、月影は徐ろに床に巻物を広げ始めた。由香里はそこに書かれた文字を目で拾っていく。
「暁殿がご迷惑をお掛けしたゆえ……せめてもの、お礼にと、一週間、悩みに悩んで、選びに選び抜いたものでござる……天然素材100%で、貴女のきめ細やかな白い肌に優しく、貴女によく似合う、可愛らしい文様の……」
 自分で声に出して読むには少々照れくさい文章が、つらつらと広げられていく。由香里はちょっと弱って、声には出さず目で追うだけにすることにした。
「月影貴様ッ!!」
 と、続きを読む前に邪魔立てするものがあった。
 外にいた斬夜が、突然ドアを開けて店内に飛び込んできた。そして素早く月影が広げた巻物を拾い、巻き戻そうとしてやり損ね、紙はぐしゃぐしゃと絡まり斬夜が足掻けば足掻くほど収束不可能な状態へ混乱していった。
「うわっ!」
 斬夜は巻物の端に足を滑らせ、ひっくり返った。
「斬夜くん、大丈夫!?」
「忍!」
 月影と由香里は二人で巻物でぐるぐる巻きになった斬夜を引っ張り起こし、巻物を解いていった。月影はくしゃくしゃになった巻物を丁寧に伸ばし、くるくると器用に巻き取って、元通りに一本の筒状に戻した。
「忍!」
「面目ない……」
「忍」
 二人の間でも、巻物を使わずとも会話が成立するようである。ただし、その内容は由香里にはわかりかねた。
「それよりッ」
 と、斬夜は話題を強引に変えて、月影を商品棚の影に引っ張りこんだ。
「月影、なんだその巻物は! 余計なことを言うな!」
「忍」
「それはッ……わかってる……。だから、こうして外で心の準備をだな……」
「忍忍」
「だっ、時間が掛かるのだ! 言われなくても今! 今やるところだったし!」
「忍?」
「嘘じゃない。貴様が余計なことをするから計画が狂ったんだぞ」
「忍……」
「ふんっ!」
 コソコソと話しあう二人の背中を、由香里はのんびりと眺めながら待つ。斬夜はその視線に気づいてびくりと肩を跳ね、そーっと由香里を振り返った。どうやら話は終わったようだ。由香里は福良雀の手ぬぐいを見せ、礼を述べた。
「これ、斬夜くんからなのね。とっても可愛いわ」
「はっ、おっ、弟が大変お世話になったもので!」
「ふふ、そんなのいいのに。お礼を言われるようなことじゃないんだから。でも、この手ぬぐい、とっても気に入っちゃった。使わせてもらうね」
「は、はい……」
 斬夜は消え入りそうな声で頷いた。月影が顔を真赤にして撃沈しているバディを物言いたげに見上げる。その視線にも気が付かないほど、斬夜は緊張しきっていた。
 固まっている斬夜を、月影は何度も小突く。斬夜は五回ほどそれを受けて、ようやく硬直を解いた。
「でっ、では用件は済んだ! これにて失礼する!」
「忍!?」
「あっ」
 言うが早いか、斬夜はあっという間に店から飛び出してしまった。由香里と月影は、呆気にとられて開け放されたドアの向こうに消えてしまった斬夜を見送った。
 そして、ゆっくりと顔を見合わせる。
「せっかく来てくれたのに、お菓子をお出しする暇もなかったわ」
「忍(申し訳ない)」
「ううん。それじゃあ、月影ちゃんだけでもどう? 新商品なの」
「忍!(いただくでござる!)」
 月影が跳ね上がって喜ぶと、店の外から彼を呼び立てるバディの声が飛んできた。
「忍!」
 月影はそれに応えるのではなく、斬夜に戻ってくるように呼びかける。由香里も二人分の皿を用意しながら、斬夜を誘った。
「斬夜くんも、そんなに急いで行ってしまわないで、食べていって」
 すぐに返事はなかった。月影が由香里から手渡された小皿にちょんと乗せられた和菓子に串を刺そうとしたとき、ドアのすぐ外から返事が来た。
「そ、そんなに言うなら、いただいていくのもやぶさかではない……」
 出始めは威勢がよかったが、だんだんに声が小さくなり、最後の方はもごもごしてよく聞き取れなかった。
「入って来てよ、そんなところにいないで」
「いいい、いえ! ここで結構」
 結構、と言われても、客を店の外に立たせておくわけにはいかない。由香里は小皿を持ってドアまで斬夜を迎えに行く。
「はい、お菓子。どうぞ」
 斬夜はドアを背に、ちらりと中を覗いたが、由香里と目を合わせると途端に顔を背けてしまった。
「斬夜くん?」
「いっ、いいいいいただきます」
 ひっくり返った声でそう言って、斬夜は手だけを店の中に入れる。どうあっても、中に入ってくれないらしい。由香里はそういうならしょうがない、と彼の手に小皿を持たせた。斬夜は素早く手を引っ込め、小皿を手元に引き寄せた。ややあって、ぽつり、とすごく小さな声で呟く。
「……最高に美味しいです」
「本当? 職人に伝えておくわ」
 決してこちらを見ようとしない斬夜から空になった小皿を受け取る。
「忍(美味でござる)」
 月影も満足感を小さな身体全体に表しながら由香里に小皿を返した。
「……これでは、礼をしに来たのかなんなのかわからないじゃないか……」
 ドアの向こうで、悔いるような台詞が聞こえて、由香里は片付けのため踏み出しかけた足を止めた。
「忍」
 月影がやれやれ、といったふうに溜息を吐く。
「いいって。暁くんのことなら、全然たいしたことじゃないから。当たり前のことをしただけよ。そんなにかしこまらないで」
 由香里は朗らかに笑う。
 確かまだ彼は小学六年生だ。それが弟が迷惑を掛けたといってお礼の品を持ってくるのだから見上げたものだ。こんなに出来た小学生など滅多にいないだろう。大人でだって、こういうちょっとしたことができない人物が多いのだから。
「ねえそれより、斬夜くん」
 由香里は足音を忍ばせて、ドアの側まで近寄り、そっと顔を出して、ドアの横の壁に寄りかかるように立っている斬夜の顔を覗き込んだ。
「背、伸びたね」
「ッ!? ひぁっ!!?」
 驚いて斬夜がこちらを振り返った瞬間、鼻がぶつかるほど距離が近くなった。さすがに由香里も驚いたが、飛び上がって悲鳴を上げ、ひっくり返ってぶっ倒れるほどではない。
 斬夜は痛む腰をなでつつ、息を荒くしてやっとこさ起き上がった。
「ちちちち、近いです……ッ!」
「ごめんごめん」
 真っ赤な顔、狼狽える様子、絶対にこちらに向けられず、泳いでいる目。上ずった声音。
 ずっと不可解だった斬夜の奇妙な行動の数々の原因が、だんだん由香里にも予想が着いてきた。

 ――どうやら斬夜くん、思春期のようね。

 由香里がほくそ笑んでいると、月影が由香里を見上げた。由香里はようやくわかったよ、と笑顔で頷いてみせる。月影は目を丸くしたが、ややあってほっとしたように息を吐いた。
 そんな二人のアイコンタクトに気づき、斬夜は視線を鋭くして相棒を睨みつける。
(今何を話していた!?)
(忍〜?)
「月影貴様!」
 今度は忍者同士のやりとりがわからない由香里が仲間はずれにされたような気分になり、ちょっと寂しい。
 斬夜はそんな由香里の視線に気づいて、月影に掴みかかろうとしていた手を引っ込め、咳払いをして姿勢を正した。
「由香里さん」
「はい」
 急に改まった調子で名前を呼ばれたので、由香里も思わず背筋を伸ばした。
 斬夜は綺麗な角度で腰を折り、深々と頭を下げた。
「弟がお世話になりました。ご迷惑を掛けたこと、僕からもお詫びさせていただきます」
「はい。気にしないでください」
 由香里も丁寧な斬夜の態度に合わせる。斬夜は顔を上げ、由香里と一瞬目を合わせた。
 一瞬だけ。
 ほんとうに一瞬だけだった。
 もしかしたら気のせいだったかもしれないと思うほどの時間の後、斬夜の顔はすでにそっぽを向いており、走り去る準備に入っていた。
「ではこれにて失礼! 行くぞ月影!」
「忍!(由香里殿、さらばでござる)」
「はい、またね、斬夜くん、月影ちゃん!」
 疾風のごとく去っていった二人を見送りながら、由香里は笑みを抑えきれなかった。

 如月兄弟。なんて可愛い子たちだろう。
 兄も、弟も、バディも。
 次に来店してくれたら、とっておきのお菓子を振る舞おう。
 由香里はその日を楽しみに、仕事に戻っていった。




お使いできるもん! の月影編の続きで斬夜様。
思春期可愛い斬夜様。
この流れはお使いできるもん!3の暁編を書くアレか。

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