お使いできるもん!

 自動ドアが開いたので反射的にいらっしゃいませ、と振り返ったが客の姿がない。
「こんにちは、でござる!」
 きょろきょろしていると足元から声が聞こえて、可愛らしい元気いっぱいの笑顔に、由香里の顔も緩んだ。
「こんにちは、暁くん。今日もお使い?」
「はいでござる!」
「忍!」
 暁くんの少し後ろに、彼よりも小さな影が付き従っていた。
「ふふ、月影ちゃんもいたんだね。如月くんは?」
「兄者は忙しいので、拙者が母上から煎茶を買ってくるよう申し付けられたでござる」
 暁は胸を張って誇らしげだ。後ろで月影が巻物をそっと開き、(付き添うよう頼まれた)と由香里だけにわかるように伝えた。弟一人では不安だった斬夜が、月影に護衛を頼んだのだろう。由香里は月影に頷いてみせてから、暁に話しかけた。
「それじゃ、いつもの銘柄でいいのかな?」
「はい、二つ買い置きしておきたいと言ってたでござる。それから、お茶菓子にちょうどいいものをせっしゃが決めていいと」
 暁は目を輝かせて、ぎゅっと財布に付けられた紐を握りしめる。財布は無くさないように彼の首からぶらさげられていた。
「そっか。暁くんは何が好きかな? 今日はね、この紫陽花の水まんじゅうがおすすめだよ」
「おお! キラキラしてきれいでござる。これを……! あ、でも、兄者は抹茶がお好きだったゆえ……」
 由香里が紹介したぷるぷるの水まんじゅうの中に、まるで本物の紫陽花が閉じ込められているかのような精巧な菓子に笑みを大きくした暁だったが、ふと思案顔になる。抹茶なら、と由香里は商品棚を一瞥する。
「これはどう? 桜の生地で包んだ抹茶餡のおまんじゅうだよ」
「うわぁ! 美味しそうでござる」
「味見してみる?」
 由香里は手早く二つをケースから取り出し、皿に盛り付けて爪楊枝を指す。
「はい。月影ちゃんもどうぞ」
「わぁー! いただきます!」
「忍!」
 二人は大きく口を開き、ぱくり、と同時に口に入れた。そして、同時にぎゅっと目をつむる。
「おおおお、美味しいでござるー!」
「忍忍!」
 二人共ばたばたと喜びを身体中で表現してくれる。その反応が嬉しくて、由香里は微笑んだ。
「これにするでござる! えっと、五人分ください」
「はい、今用意するから、ちょっと待ってね」
 由香里は茶葉二袋とまんじゅうを袋に詰め、金額を告げる。暁は財布からばらばらと小銭を取り出し、お札を取り出し、由香里はそれを丁寧に数えて、お釣りを手渡した。
「はい、どうぞ」
「ありがとうでござる!」
「帰り道、気をつけてね」
「忍!(お任せを)」
 月影が頼もしい表情で由香里に頷いてみせる。由香里は安心だね、と笑い返した。
「さらばでござるー!」
「またご家族でご来店くださいね。ありがとうございました」
 由香里は勇んで出て行く二人を店の外まで送り、角を曲がってその姿が見えなくなるまで見送った。

 如月一家はこの和菓子屋の常連だ。そこそこ歴史のある店で、ご贔屓にしていただいている。由香里はここの三女で、店を継ぐような立場にはないが、この店が好きだから昔から売り場の手伝いをしていた。その縁があって、如月兄弟のこともよく知っている。
 斬夜は確か、小学六年生だったか。いつも兄弟二人で来店していたから、暁一人でくるのは珍しいことだった。しかし暁ももう四年生。この店は家にほど近いようだし、お使いができてもいい年齢だろう。少年の成長は早いなぁ、とすでに大人になってしまった由香里はしみじみ思う。
 できればもう少しゆっくりと、その瞬間にしか見られない可愛さを見せてもらいたいものだけれど。彼らの時は止まってはくれない。少しみない間に、ぐんと変わってしまう。
 暁もそのうち斬夜のように、店に顔を出してくれる頻度が減ってしまうのだろうか。

「……あら、手ぬぐい?」
 レジの側に、見慣れない手ぬぐいが置かれていた。暁たちの後、客は入っていない。ならば彼らの忘れ物だろう。
 由香里は手ぬぐいを取って、着物の裾を押さえつつ、小走りで店を飛び出した。
 今から追いかければ間に合うだろう。
「暁くんー!」
 角を曲がった途端、足元に黒い小さな影が飛び出してきて、既のところで立ち止まった。その影は由香里を見上げるや、着物の裾を引っ張った。
「忍!」
「月影ちゃん? どうしたの?」
 月影は巻物を広げるのももどかしく、由香里を引っ張る。何かあったのだ、と由香里は月影の示す方向へ走った。
「暁くん!」
 その先にいた暁は、地面にへたり込んで泣いていた。
「どうしたの、暁くん、転んじゃったの?」
「うえっ、由香里さ、ううっ、せっしゃ……っ」
「忍!」
 嗚咽に噎せる暁の代わりに、月影が暁の擦りむいた膝を指さし、くしゃくしゃになった紙袋を示した。
「忍(バディがいない今、むやみに元の姿には戻れぬのでござる)」
「そうなのね。それで私を呼びに?」
「忍!」
 バディモンスターはその姿で人々を驚かせることがないよう、普段は小さな形を取っている。だから転んで怪我をした暁を背負うこともできなかった。由香里は月影の言わんとするところを汲んで、事情を把握すると、まず暁をなだめることにした。
 暁は火が点いたように泣きじゃくっている。由香里はハンカチを懐から取り出し、濡れそぼった頬を拭ってやった。
「傷が痛む? 足は捻っていない? どう、立てそうかしら? ね、暁くん」
 穏やかな声音で話しかけながら、服についた埃を払い、怪我の具合を確かめる。少し擦りむいただけで、血はもう止まっていた。月影も暁の背中を擦り、一生懸命慰める。
「せ、せっしゃ、おまんじゅう、おと、落としっ、ちゃって、お使い、頼まれたのにっ、なのにっ」
「転んで落としちゃったのね。でも箱は潰れてないわ。大丈夫よ。ほら、ね、中身はきれいなままよ」
 由香里は蓋を開けて中身を暁に見せてやる。暁はしゃくりあげながらまんじゅうが潰れていないことを知って、少し落ち着きを取り戻した。
「さあ、立てる? 紙袋は破れちゃったから、交換しましょうね。それから消毒して、絆創膏をはりましょうか」
「うう……」
「忍」
 由香里と月影に手を引かれて、暁はようやく立ち上がる。まだしゃっくりは止まらないようだが、赤い目元はそれ以上濡れなかった。
 由香里の家は店とつながっている。由香里は暁を連れて裏から家に入り、玄関に座らせた。
「今道具を持ってくるわ」
「忍!(手伝うでござる)」
「ありがとう、月影ちゃん。暁くん、ちょっと待っててね」
「はい……」
 暁は玄関にちょんと腰掛けて、真っ赤に腫らした目元をこすりながら頷いた。
 由香里が救急箱を見つけると、月影がそれを受け取った。
「あとは、喉が乾いてるでしょうから、飲み物を持って行きましょう」
 確かオレンジジュースがあったはず、と由香里は冷蔵庫を開ける。これで少しでも気が紛れればいいのだが。
「そうだ、お菓子もあったわね。この上に……」
 暁が喜ぶものを、と由香里は食器棚の上に置かれた箱を見上げる。爪先を伸ばして、精一杯伸びれば届く位置だ。月影は由香里を見上げていたが、にわかに本来の姿に戻った。突然大きくなったので、由香里は驚いて手を引っ込める。
「どうしたの? バディがいないと、大きくなれないんじゃ」
「忍(ここには由香里殿以外、誰もいないでござる)」
「そ、そうですね」
 見上げるくらいに大きな月影を見る機会はめったにない。それもこんな間近とあれば、初めてだ。由香里は思わずどぎまぎして、敬語になってしまった。
「に、忍?(驚かせてしまったでござるか?)」
「い、いいえ! ただ、その姿だと……月影ちゃん、なんて呼べないわね」
 心配している様子の月影に、由香里は慌てて首を振る。敬語で話せば不審に思われるだろうから、強いていままで通りに振る舞うことにした。
「忍(あの箱でござるな)」
「ええ、そう。取ってくれるの?」
 今の月影の身長ならこの程度の高さ、造作も無いことだった。天井が低くて窮屈そうだ。月影は救急箱と菓子箱を手に、由香里はオレンジジュースを持って暁の元へ戻った。
「あれっ、月影、どうしたでござるか?」
 大きくなっていることに驚いて、暁は目を丸くする。月影は救急箱と菓子箱を置いて、巻物を広げた。
「忍(消毒するでござる)」
「えっ、いやぁ、しみるのいや!」
 逃げようとした暁を、すかさずぐっと月影が押さえつける。なるほどそのために大きくなったのか、と感心しながら、由香里はガーゼに消毒液を染み込ませた。
「はい、ちょっと我慢してね」
「やだやだぁ! いたいいたい」
 ばたばた足を動かして必死に抵抗する暁の膝小僧を月影が押さえ込み、由香里が素早くガーゼを当てる。途端、暁の身体が震えた。
「ひぃあっ」
「男の子は痛くても我慢!」
「うー! ううぅっー!」
 暁はぎゅっと唇を噛み締めて痛みに耐える。
「はい、終わり。偉かったね」
「うう、せ、せっしゃだって男でござる、からな!」
 涙目で強がる暁の頭をぽんぽんと撫でてやり、菓子箱を差し出した。
「いい子にはご褒美をあげましょう。さあ、好きなのを取って」
「わあ! きれいなお菓子がいっぱいでござる!」
 さっきまでの涙はどこへやら。暁は満面の笑みを浮かべて、菓子箱を物色した。
「これがいい!」
 暁は赤と黄色の渦巻きの大きな飴をとった。
 すっかりごきげんだ。
「月影さんはどれがいい?」
「忍?(もらってもよいのでござるか?)」
「もちろん。お好きなのをどうぞ」
 月影はじっと箱の中を見つめる。しばらく悩んだ末に、暁と同じ形の、青と緑の色違いの飴を選んだ。
「忍(これをいただこう)」
 満足気に目を細める月影に、由香里も微笑んで頷いた。
「それじゃあ、これは斬夜くんにあげてね」
 二人が選んだものに合わせて、由香里は紫と白の飴を取り出し、暁に託した。
「ありがとうでござる。そうだ、早く帰らねば、母上が待ってるでござる!」
「暁くん、焦っちゃだめだよ。走って転ばないように」
「あっ、そうだったでござる……」
 由香里がたしなめると、暁はしゅんと眉を下げた。すると月影がぐっと親指を立て、自分の顔を指し示す。
「わっ?」
 そして暁を抱え上げ、新しい袋に入れ替えた商品を持つと、由香里に一礼した。
「忍」
 両手が塞がっているから、巻物は使えない。だが、由香里には彼の言いたいことがわかるような気がした。
「いえいえ。気にしないで。そうして帰ってくれるなら安心だわ。暁くん、またね」
「はいっ! 絆創膏と飴、かたじけないでござる、今度は兄者と来るでござる!」
「待ってるわね。月影さんも、また」
「忍」
 月影は由香里をもう一度振り返ると、風よりも早く走り去っていった。由香里が玄関から外へ出ると、家々の屋根を飛び移り、二人の姿はすぐに見えなくなった。
「あ、いけない、お店開けっ放し」
 あっと自分の失態に気づいて、由香里は急いで片付けをすると、慌ただしく店番に戻った。



暁を泣かせてしまった……ごめんね暁。
月影さんお花とかプレゼントしてくれそう。小さい野花一輪指でちょんとつまんで。
しかし一人称がわからなくて困りました。某? 拙者?
あと涙流すので食べ物も食べられると思います。ナノマシンだからロボット的な何かなのかもしれませんが。ロボットだって消化器官くらい標準装備してますしですし。
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