夜空彩る花の色 [ 4/37 ]

「まだかなぁ」

 そわそわしながら、扉の前に行って耳をすませる。
 木の板越しに、人々がざわめくのが微かに聞こえた。

「おいルナ〜。おーい」

 何度かセイレンに呼ばれて、私はしぶしぶ扉から離れた。

「ちったぁ落ち着けって! ほらほら、お酌おしゃくぅ」
「セイレン、もうだいぶ酔ってない?」

 とろんとした目を訝しく見ながら、突き出されたコップにちょっとだけお酒を注ぎ足す。セイレンはそれを一息に飲んでしまった。

「まだまだ、夜はこれからだもんねー!」
「もー」

 酔ってないのなんて、仕事中だけ、みたいな人だけど。
 いつも以上にお酒の回りが速い気がするけどなぁ。
 大丈夫かな、と思いつつ、私はまた扉の前をうろうろ。

「クォーク、まだ?」
「音がしないだろ」

 クォークは念入りに武器の手入れをしてる。足元には、埃のついた防具も積んである。一度手入れ始めたら、いつまでも止めないからなぁ……。
 ちゃんと終わらせてくれるのかな。
 もうすぐ始まっちゃうよ。

 マナミアは一人で屋台に向かって行っちゃったし、ジャッカルも物色してくるとか言って行っちゃったし。何もこんなときに武器を買いに行かなくてもいいのに。
 そういえば、エルザはどこに行ったんだろ? 気がついたら一人でふらふらっと出掛けちゃってる。

「セイレンは行かないんだよね?」
「あぁん?」

 ギン、とセイレンの目が尖った。
 な、なんか、怒らせちゃったみたい。

「誰がぁ? わざわざ人混みん中出かけたがるってんだ? んなことより酒飲んでた方が百倍いいね」
「でも、花火なんて滅多に見られないよ」

 そう。今日はこの街に花火が上がるんだ。来て早々お祭りがあるなんて、なんだか嬉しい。
 この街は本当に景気がいいんだね。
 緑も残っているし、帝国最後の楽園なのかも……。

「やー! あたしは酒飲むの! ほらルナもっ」
「えっ?」

 セイレンはコップを私に突き出したけど、私が受け取らずにいると、自分で飲み干した。空にしたコップに、とぷとぷとお酒を注ぐ。

「ほらぁ、飲めっ」
「やだ。私飲めないもん」
「いいじゃんお祭りなんだからぁ! うまいぞっ」
「えー」

 セイレン、いつもならもっと陽気なのに。やたら絡んでくるなぁ……。

「はい、一気!」
「無理だよっ」

 押しつけられたコップを押し返す。このままじゃ無理矢理飲まされちゃう。
 ……お酒って美味しいかな?

「セイレン、無理強いをするな」

 私の思考が危ない方へ傾きかけたとき、クォークがセイレンをたしなめてくれた。

「じゃあお前が飲めー。あたしの酒はうまいぞっ」
「今日は荒れてるな……」

 クォークはちょっと呆れ顔だった。

「まだいたの」
「ユーリス」

 階段の途中から、クォークとセイレンを見ながらユーリスが言った。
 二階の部屋にいたのに、降りてきたみたい。

「あれはそう簡単には収まらないね」
「そうかな?」

 セイレンの荒れ具合はやっぱり大変みたい。

「おっ! ユーリスじゃんか」
「うわ、見つかった」
「騒がしいの苦手ーとかスカしてねーで、今日ぐらい一緒に騒げ! おねーさんが許す!」
「そんな許可いらないし。勘弁してよ」
「うー……お前ら、薄情っ! おねーさん悲しいぃ」

 セイレンはくしゃ、と顔をしかめて声を震わせた。
 どうしよう。

「ごめんねセイレン。私も飲めれば……」
「わかった、俺が付き合うから。ユーリス、しばらく避難してろ」
「わかった」

 セイレンの荒れっぷりを見かねて、クォークはとうとう防具をテーブルに置くと、セイレンの前に腰を据えた。
 あ、でも。そしたら一緒に花火見に行ってくれる人がいなくなる……。

「ほら、行くよ」
「え? うん」

 ユーリスがそう言うから、せめて宿の窓から見られたらな、なんて思ったのに。意に反して、ユーリスは宿の扉を開け、外に出た。

「どこ行くの?」
「どこって……」

 そう訊ねると、呆れたような声。

「セイレンと飲み明かしたいなら戻れば?」
「えっ、そうじゃないよ」

 なんでそこで不機嫌になるんだろう。

「どこか、行きたいところあるの?」
「あのね……」

 ユーリスは痺れを切らしたように目を眇めた。

「外に出たかったのはルナでしょ。ずっと扉の前うろうろしてたじゃん」
「そうだけど。あ、ユーリスも花火見る気になったんだ?」

 やっとわかった、と思ったらユーリスははぁぁと深い溜め息を吐いた。
 あれ、屋台の方だったかな。
 答えはなくて、ユーリスは踵を返して歩き出してしまった。

「待ってよ!」
「さっさと場所取らないと、いい場所なくなるよ」
「あ、うん」

 なんだ。花火見に行ってくれるんだ。良かった。まだ始まってないし。これならゆっくり見られる。

「ね、川があったでしょ。そのあたりが視界も開けていいと思うんだ」
「ま、誰でも思いつくだろうね」
「む」

 ユーリスは嫌味っぽかったけど、確かにその通りだった。橋の上も、川沿いも、人でいっぱいだ。下に降りたところは人が少ないことを見つけ、私たちは階段を降りた。
 そのとき、眩い光が辺りを照らした。
 私は一瞬段差を見失って、バランスを崩す。

「わっ」
「……っと」

 後ろから手が伸びてきて、私の腕を掴む。
 空気がはぜる音が、空に鳴り響いた。
 ワッ、と人々の歓声が沸き起こる。

「……わぁっ」

 見上げれば、紺色の空に、色とりどりの花が咲いていた。

「足元、気をつけなよ」
「うん」

 ユーリスのお陰で転ぶことなく無事に階段を下りて、一番花火がよく見えそうな場所に腰を下ろした。
 その間にも、新たな花が咲いては消え、あとからあとから新しい花が開く。

「うわぁー」
「口、開けっ放し」
「だってすごいんだもんっ!」

 私はますます口を大きく開けて、手を叩いた。
 一際大きな花火が上がる
 眩い余韻が長く引き、それっきり夜空は元の静寂を取り戻した。

「あー、もう終わっちゃった」
「いい加減、首が痛いよ」
「目もちかちかしてる。まだ花火上がってるみたい……」

 ふらふらしながら立ち上がった。寂しいけど、もう宿に戻らなきゃ。
 クォークとセイレンはどうしたかな。

「階段、気をつけてよ」
「大丈夫」

 ユーリスが後ろにいてくれるのは心強かった。うっかり滑って押し潰さないように、慎重にもなったし。
 ようやく、目も暗闇に慣れてきたかな。

「花火すごかったね」
「それ、何回言うの?」
「ずっと見てたかったな」
「僕は首が痛いよ」
「ありがとね。一緒に来てくれて」

 すぐに返事が来るかと思ったら、ユーリスは黙りこくってじっと私を見ていた。そのくせ、ふいと顔を背けてしまう。

 むむ。
 まだあんまり打ち解けてないな……。

「クォークじゃなくて悪かったね」
「何が?」
「花火。一緒に見たかったんだろ」
「ああ、うん。……そうだ、早く戻ってセイレンの様子見なきゃ」
「……そうだね」

 ユーリスは不自然な間を開けて、そう言った。
 他に言いたかったことを、無理矢理飲み込んだみたいだ。

「なぁに?」
「別に……」
「何か言おうとしなかった?」
「してないよ」
「そうかなぁ。言いたいことあるなら言ってよ」
「しつこいってば。もういいよ」
「気になるなー」

 ユーリスって、すぐに言いたいこと飲み込んじゃうんだから。
 私の話し方もよくないのかな。ちょっと問い詰めすぎかも。

「ごめんね。でも、ちゃんとユーリスの気持ち教えてね?」
「…………」

 あ。
 また無言でこっち見てる。
 何か呆れられるようなこと言ったかな。

「まだ、ユーリスのことよく知らないから、教えてもらわないとわからないの。私、ちゃんとユーリスのこと知りたいから」
「べ、別にたいしたことじゃないよ」

 ユーリスは空気を変えるように、ちょっと声を大きくした。
 空に目を泳がしていたけど、ふいに脱力して溜め息を吐いた。

「まったく……。参るよね。鈍いんだか、鋭いんだか」

 そう言って俯いて、笑ったのかな?
 気分を悪くしたわけじゃないみたい。

「僕もさ、まだよくわかんないんだ」
「何が?」
「僕の気持ち」

 ユーリスはにっこりと、私の方を向いて、はっきり笑った。
 びっくりするくらいの笑顔に、胸がきゅっとした。

「まぁ、だからルナがわかんなくても仕方ないよ」
「そうなの?」
「そういうことにしてあげる」
「そう……?」

 やっぱり私が悪い?
 ユーリスはまだ笑ってて、置いてきぼりにされた気分。何かそんな、楽しくなるようなことあったかな?

「ルナ、早く行くよ」
「はーい」

 まあ、でも。
 背筋を伸ばして、肩で風を切って歩くユーリスの背中を見てたら、ユーリスが笑ってるからいいか、って気分になった。

 ユーリスのこと、よくわからないけど。
 これから知っていけばいいよね。
 うん。クォークと行けなかったのは残念だけど。

「今日はユーリスと一緒に花火見れて良かった!」

 言ったとたん、ユーリスがずっこけた。

「足元気をつけなよー」

 さっきのお返しとばかり、笑いながら遅い注意をすると、ユーリスはちょっと肩を震わせながら私を睨んできた。
 まるで私のせいで転けたと言わんばかりの。

「ルナ……っ」
「転けないように、手繋ぐ?」
「もう、絶対わかっててやってるだろ!」

 ユーリスは差し出した手を無視して、足音荒く行ってしまった。
 繋ぐわけないってわかってだけど。
 ちょっと寂しかったり。

「ユーリス待ってー」
「うるさいうるさいっ」

 帰る道すがら、私たちは騒がしく言い合いを続けながら、宿に帰った。

 クォークもセイレンも未だに飲んでいて、珍しいものをたらふく食べて幸せそうなマナミアも、珍しく加わっていた。

「帰ったな。楽しんできたか?」
「うん! 花火すごかったよ!」
「そうか。よかったな。ユーリス、こいつを連れ出してもらってすまなかったな」
「別に……。そっちも、お疲れ様」
「いや、これはこれで悪くないさ。たまにはな」

 クォークはきゃっきゃとはしゃいでいる二人を示してみせた。セイレン、すっかり機嫌直ったみたい。よかった。

「明日は仕事だからな。夜更かしせず、しっかり休めよ」
「はーい」
「じゃあ、お先」

 私たちは皆にお休みを言って、二階へ上がった。

「じゃあお休み、ユーリス。今日はありがとうね」
「どういたしまして。……お休み」

 部屋に戻ってからも、お祭りの余韻はなかなか冷めなかった。
 胸が逸って、目を閉じても眠くならない。まだ、花火の音が聞こえる。
 今度お祭りが開かれるのはいつだろう?
 また、ユーリスと行けたらいいな。

 ……ん?
 なんでだろ。
 ユーリスの楽しそうな笑顔が、花火の残像みたいに目蓋の裏に浮かんでる。
 それだけ、印象に残ってるんだな。あの笑顔、すっごく可愛かったし。

 うん。また、絶対。
 一緒にお祭りに行こう。

 私は浮かれた余韻に浸りきって、心地よい眠りについた。
 きっと今夜は素敵な夢を見る。


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