氷解温度・その後 [ 3/37 ]


 翌朝、僕はルナより早く起きた。
 肩の軽さに違和感を覚える。少ししびれた。
 ……よっぽど長く乗ってたんだな、あの頭は。

「ルナ、朝なんだけど」
「……んぅ」

 あ、肩寒そう……。
 毛布ぐらい掛けてやれば良かったか。
 いやいや、これで風邪引いても自業自得だ。僕は起こしたんだから。熟睡する方が悪い。

「いい加減起きれば」
「うん……いたぁい」

 ルナは朦朧としながら体を起こそうとして、枕にしていた腕を痙攣させた。
 こっちもしびれたか。

「変な格好で寝てるから……」
「んん……あれっ?」

 目をこすり、僕の顔を見て、ルナは一気に覚醒した。
 まんまるに目を見開いて、頬がみるみる赤く染まっていく。
 眺めていたら、ぱっと顔を背けてしまった。

「ごっ、ごめん! 私寝ちゃった」
「そうだね」

 嫌味たっぷりこめて同意する。
 君は何しにここに押しかけて来たのかな?
 ルナは目を泳がせながら、何か他の話題を探して自分の失態をごまかそうと試みていた。

「あ、あーっと、怪我、どう?」
「たいしたことないって言っただろ」
「でも、熱出たじゃない」
「微熱だよ。もう下がった」
「ほんとにっ?」

 疑いながら、ルナは手を伸ばして僕の額を叩いた。
 病人を叩くってどういうことだよ……。
 たぶん、ただ触ろうとしただけなんだろうけど、勢いつけすぎ。
 不意打ちで思わず仰け反った。
 ルナはお構いなしに、真剣な表情で僕の体温を自分のおでこと比べると、僕の主張が正しいことを認めた。

「大丈夫みたいだね。良かった」
「じゃあ、そろそろ出てってくれない? 着替えたいんだけど」
「わかったよ。朝ご飯、ちゃんと食べに来てね」
「はいはい」

 ルナは念を押すと、あっさり引き下がって行った。
 ふう。これでようやく静かになった。


  ***


 着替えて階下に行くと、だいたい全員が集まってた。
 クォークはどこだろうと食堂を見回していると、ジャッカルが近づいて来た。

 なんだかにやにやしてる。
 不気味だ。
 すごく話したくないんだけど……。
 身を引いた僕に先回りしてジャッカルはがっしりと肩に腕を回して来た。

「うわっ、何!?」
「おはようユーリスくん! 今朝の気分はいかがかな?」
「怪我ならもういいけど。離してくんない?」
「ああ! 怪我な。ルナちゃんに付きっきりで看病してもらったんだもんなぁ。痛いのなんかどっか消し飛ぶよな」

 朝からテンション高いな……。いつも以上に。
 なんとか引き剥がそうとする僕を、ジャッカルはさらに引き寄せる。

「おめでとう。お前も男の仲間入りだな」
「はぁ?」
「いやぁ、どうよ、どんな気分よ? 俺ははっきり覚えてるぜ。翌朝のあの気持ちは……」
「あのさ、僕クォークに話があるから」
「部屋のことだろ? そんなこと、いいんだよ! ちょうど一部屋余ってたからさ。気にすることはない。怪我人には一人でゆっくりできる部屋が必要だよなぁ」
「ならいいけど……。ていうか、ルナが押し切ったようなもんだろ。僕はたいしたことないって言ったのに」
「えっ! ルナちゃんが押し切ったの!? 可愛い顔して、なかなかどうして……」

 ジャッカルは後ろに首を捻った。その先にはルナがいた。クォークと何か話してる。

「あ、おはよう、ユーリス!」

 こっちに気づいて、ルナはぱっと笑った。

「さっきおはようって言うの、忘れちゃったでしょ。後で気づいて」
「ああ、そうだったね……。それどころじゃ、なかったみたいだし?」

 目を覚ましたときのうろたえっぷりを思い出して揶揄してやると、ルナは面白いくらい真っ赤になった。
 ふと、脇にいたジャッカルが僕とルナを見比べて、にやにやしてるのが視界の片隅に入った。
 いつの間にか隣にセイレンもいて、ジャッカルとそっくり同じ顔をしていた。

 だから、なんなんだよこの二人は……。
 ……聞くのも鬱陶しいから無視しよう。

「クォーク、部屋もう一個借りたんだろ? ごめん」
「ああ、構わないさ。ルナがどうしても看病するって聞かなかったからな」

 クォークは口の端を持ち上げてルナに目配せした。

「そうなると、従うしかないからな」
「だ、だって心配だったから!」

 ルナは躍起になって言い募る。子供っぽい。
 もともとそうだけど、クォークがいるときはさらにだ。
 クォークもなんだかんだ言って、ルナに甘い。
 だから余計、ルナも子供じみた態度になるんだ。

「とにかく、今後はそんな気遣いいらないから。怪我も、もうしないように気をつけるよ」
「そうだな。ルナも、あまり騒ぐなよ。怪我なんて日常茶飯事なんだからな」
「はーい……」

 ルナは素直に頷いた。

「でも、ユーリス」
「っ、なに」

 ふいに、ルナが近づいて来て、声を潜めた。
 驚いて、少し舌がもつれる。
 ……ちょっと、近くない?

「怪我したときはちゃんと言って。我慢してちゃだめだよ」
「わ……わかってるよ。もう迷惑はかけないから」
「そういうことじゃないよ」

 ルナは微笑した。
 こんなときに、なんで急に大人みたいな顔、するんだ。

「ユーリスが辛いときは、ちゃんと知っておきたいの」
「ふうん……?」

 よくわからないけど、頷いておいた。
 まあ、仕事中に倒れたりしたら、迷惑掛けるわけだし……今回はそんなことはなかったけど、今後、ありえないとは言い切れないしね。もし万が一そういうことがあれば、確かに事前に伝えておかないとだめだっていうのは、わかってるさ。言われるまでもなくね。
 僕達の横で、ジャッカルは今度はクォークに絡んでいた。

「クォークよ……娘を手放した心境はどうだ?」

 またわけのわからないことを言ってる。
 向こうに絡んでるうちに距離を取っとこう。

「皆さん、朝ご飯できましたよー」

 カウンターから、マナミアの暢気な声と共に、暖かい匂いが漂ってきた。
 はーい、とルナが真っ先に答える。

 そういえば。
 僕も一つ言い忘れてたかも。
 あんまり世話になった覚えはないけど、一応筋は通しておかないとね。

「ルナ」
「ん?」
「ありがと」
「なぁに?」

 えっ……。
 なんでそこできょとんとするわけ。
 もう一回は言わないよ。

 僕は溜め息を吐いて椅子に座った。
 何のことか教えてよ、なんて言いながらルナは僕の隣に座る。
 なんでもないよと僕はつれなく答える。
 クォークはエルザのいるテーブルについた。

「ね、何がありがとうなの?」
「そんなこと言ってないけど?」
「うそ! さっき言ったじゃない」
「気のせいだよ、気のせい」

 ついでに、後ろから初々しいねぇだの見せつけてくれるねぇだの言ってるのも気のせい。

「気のせいじゃないと思うけどなぁ」
「うるさいな。ほら、食べよう」

 僕はサンドイッチに手を伸ばす。ルナはなぜだか満足そうに微笑みながら、ミルクに唇を付けた。

 いつもクォークと一緒に食事をしてた。
 時折、僕の方を気にしてた。
 その視線が、気がつけば煩わしくなくなっていて。
 食事中に楽しそうに会話してるのも、耳障りじゃなくなった。

 確かに変化は起こってる。
 君の周りで、氷の溶け出す音がする。

 ゆっくりと変わっていく僕が、なんだか変な感じだけど。
 今のところは、いやじゃないし。
 そんなところで、満足してる。


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