そして彼らは…… [ 37/37 ]



 誰かに揺すり起こされる。
 静かで、何もない。どこか寂しさの残る夢の渚。
 打ち寄せる波は穏やかだけれど、何もない。
 ここには誰もいない。
 私以外に、誰も。
 平穏で、平坦な、何もない場所。
 朝もなく、夜もない。
 暗闇のない、仄明るい世界。
 いつまでもここにいたいような気もするけれど、でも、もう起きなくちゃ。

 だって、誰かが呼んでる。
 誰かが私を呼んでくれてる。

 早く起きろって、怒ってる。
 わかったよ、もう起きるから。
 そんなに肩を揺すらないで、ほっぺを叩かないで。
 ねえ、わかったってば、もう――


「……いたい」

 ぺち、と当たった手のひらを、がしっと捕まえる。これ以上叩けないように、しっかり抑えこんで目を開けた。

「何、ユーリス」
「……何じゃないよ!」

 バカ、と言ってユーリスは途端に怒っていた顔を歪ませると、私の方へ伸し掛かってきた。

「わ、ま、待って、何っ?」
「うるさい。何度呼んでも起きなくて、青白い顔しやがって、どれだけ心配させたら気が済むんだ、このバカ!」
「ええ……?」

 よくわからないけど、ユーリスは怒ってるみたい。そして、それ以上にすごくほっとしていて、身体の力が緩んでる。肩が小刻みに震えていて、声は鼻が詰まっている感じだった。
 ……泣いてる?

「あらあらユーリスくん、嬉し泣き? 皆見てる前で女の子の上に乗るってのは、ちょっとは恥じらい持ったら?」
「うるさいっ」
「あれ、ジャッカル? 皆も……」

 よく見たら、ここはルリ島の宿の部屋だった。この天井、懐かしい。よかった。ここは無事だったんだ。
 部屋の中には、エルザも、カナンも、セイレンも、ジャッカルもいる。皆元気そうだ。
 でも、もうここにはあの人はいない。
 今までの、当たり前の日常は、もう二度と戻ってこないんだ……。

 ……ん?
 ……ん、あれ?
 何かおかしいな。
 なんだっけ。

 私はもう一度部屋の中を見渡してみる。
 エルザ、カナン、セイレン、ジャッカル、ユーリス。

「……きゃああああああっ!?」

 思わずおもいっきり叫んでしまった。
 ユーリスがびっくりした顔で飛び上がった。
 皆は耳を塞いで、苦笑してる。

「反応おっそいなぁ……」

 呆れるエルザに、ジャッカルはウインクしてみせた。

「まだルナも起きたばっかりなんだから、寝ぼけてんだよ。なあ。俺がおはようのちゅーしてやるぜ。スッキリするぞ!」
「うわあ! 本物のジャッカルだ!」

 この軽口、絶対に本物!
 セイレンに遠慮のない一発をもらって、いってぇ、なんて情けない声を上げてる。どこからどう見ても本物だ!

「えっ、どうして? だって……」

 私はゆっくりと、グルグとの戦いの日々を思い出す。まだ混乱していてはっきりとは思い出せないけど、でも、確かにジャッカルはゼーシャに不意を突かれたセイレンを庇ったのに。

「俺も、よくはわからないんだが。ま、この通り生きてるさ」

 ジャッカルはそんな風に、なんでもないように言ってる。でも、隣のセイレン、眼が赤い。ずっと泣いてたんだね。
 私も、ジャッカルが元気でいるのを見て、失ってなかったんだってわかったら、目が潤んできちゃった。

「ジャッカル……良かった」
「うむうむ。さあ、思いっきり抱きつきなさい。ついでにお前も抱きしめてやろう」
「てめっ、ちょーしにのんなよっ!」

 感極まってジャッカルに抱きつく。いつもは怒るセイレンも、口では反抗しながら手はしっかりとジャッカルのシャツを掴んでる。目には涙がたっぷりと浮かんでいた。

「ほんとによかった……。よかったね、セイレン」
「ああ。ほんと、こういう奴はそうそう簡単には死なねえよ」

 憎まれ口を叩くセイレンは、本当に幸せそうだった。
 二人が離れ離れにならなくて、本当によかったよ。

「きっと、クォークのお陰なんだ」

 ぽつりとエルザが言った。側に寄り添っていたカナンが、エルザの顔を見上げて、微笑む。エルザはカナンの肩に手を添えた。

「クォークの……? ねえ、クォークは」

 エルザからその名前が出て、私はジャッカルから離れた。本当は一番に聞きたかったんだ。ユーリスが私の肩を掴んだ。

「クォークはどうしたの?」

 皆黙りこんでしまった。
 ……うそだ。
 だって、皆あんなに頑張ったんだ。クォークを救うために、心を、思いを一つにして、頑張ったんだ。だから。
 ねえ、そんなのうそでしょ?

「クォークは、ここにはいないよ」

 そう答えたのは、やっぱりエルザだった。
 さあっと、全身から血の気が引いていく。頭がぐらぐらとした。
 まさか、そんな。
 クォークが。

 ユーリスが今にも倒れそうな私の身体を支えてくれていた。

「違うんだ、ルナ。あのあと、何が起こったかちゃんと説明するよ」

 ユーリスはそう言った。カナンがエルザに、その言い方じゃ誤解を生むでしょ、と小言を言う。
 ……どういうこと?

「あのね、ルナ。エルザが異邦のものから吐き出された後……」

 ユーリスは私の隣に座り直し、私の両手を握ったまま、あの後のことを語って聞かせてくれた。
 異邦のものは、一度完全に回復したけれど、すぐには攻撃してこようとしなかったそうだ。正確には、できなかった。

「目を覚ましたクォークが、中で抵抗していたんだ」

 一度は異邦のものに肉体を明け渡してしまったものの、ルナが異邦のものに取り込まれてしまい、その生命力を吸われているのを目の当たりにして、それを止めるためにクォークは残されたわずかな力を絞り尽くして、異邦のものに抵抗を試みた。

「クォークが作ってくれた隙を、俺達は逃さなかった。セイレンが奴の動きを止め、マナミア、カナン、ユーリスの魔法で奴の肉体を破壊し、そして俺が、力の源を断ち切った」

 結果として、異邦のものはクォークに抑えこまれ、その体を維持できなくなった。クォークはすべての力を総動員して、異邦のものの力をその体内に押しこむことに成功した。

「俺達は成功したんだよ。異邦のものに勝ったんだ。そして、クォークも、ルナも助かった」

 エルザの表情は晴れやかだった。
 私は失敗してなかったんだ。クォークは目を覚ましてくれて、暴走する異邦のものを、ちゃんとコントロールできたんだ。
 胸がいっぱいで、どう言っていいのかわからないくらいだった。ただ満面の笑みを作るしかない私に、エルザはわかってる、と頷いてくれる。

「じゃあ、じゃあクォークは……生きてるのね!」
「もちろん!」
「よかった! よかった……! ねえ、今どこにいるの?」

 そう訊ねると、皆また顔を曇らせて、沈黙してしまった。
 ようやく重い口を開いたのは、今度もエルザだった。

「異邦のものが封じられて、あの洞窟は崩れ落ちてしまった。僕達は途中まで一緒に走っていたんだけど……外に出た時には、もうクォークの姿はどこにもなかった」
「どういうこと?」
「合わせる顔がねえんだろ」

 吐き捨てるようにセイレンが答えた。
 クォークは仲間に顔向けできないと思って、それで姿を隠したの?
 皆を裏切ったこと。皆に剣を向けたこと。
 確かにそれは、そう簡単に許されるようなことじゃないんだろう。
 でも……。
 何も言わずに消えてしまうなんて。
 そんなの寂しい……。

「……とにかく、どこかにいるのは確かなんだ」

 少し明るめの声を出し、空気を変えるようにユーリスが言った。

「今すぐには無理でも、きっと、いつかまた会えるさ」
「……うん」

 ユーリスは励ましてくれてる。いつまでも暗い顔をしてるわけにはいかない。

「うん……そうだよね。私、クォークを探すよ」
「……そうだな」

 自分に言い聞かせるように、宣言する。
 今は会えないというなら、しょうがない。
 いつか会えるように、準備しておくことにするよ。
 エルザは少しだけ息を吐いて、笑みを作ってくれた。
 ぽん、とマナミアが手を叩いて、話題を区切った。

「さて、ルナが目を覚ましたことですし、今夜はお祝いですわね!」
「待ってました! さあ、今夜は飲み倒すぞジャッカル!」
「おうよ、朝まで寝かせてやらないぜ!」
「美味しいものいっぱい食べたいな」
「私も参加してもいい? エルザ」
「もちろんだよ、カナン」
「私も! すっごくお腹すいた!」

 宿の部屋が、賑やかな笑いで満たされる。
 これで全部、終わったんだ。
 戦いの日々は、もう通り過ぎたんだ。
 今私達がいるのは、日常の日々。
 つまらないことや、楽しいこと、悲しいこと、辛いこと。
 これからどんなことが起こるんだろう。
 また新しい毎日が待ってる。

 いろんなことがあった。
 失ったものは、あまりにも大きい。
 それでも、前に進む力は、未来を照らす明るい希望だけは、奪われてない。
 皆がいる。
 だから大丈夫。
 
 そうして進んだ未来で、きっと会いに行くから。
 待っていてね、クォーク。

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