過ぎ去るもの [ 17/37 ]


 グルグ族の二度目の襲撃が、次の日に起こった。私は宿の窓から、頭上を通り過ぎていく巨大な魔物を見上げた。
 魔物たちはまっすぐ城へ飛び込み、しばらくして去っていった。
 今回も、グルグが街を襲うことはなかった。

 けれど、被害は深刻だった。城は復興間もなく破壊され――トリスタ将軍が犠牲となった。
 犯人として投獄されたのは、エルザだった。

 そのどちらも、にわかには信じ難く、現実味に欠けていて、私はなかなか受け入れられなかった。

「ルナ。しっかりして」

 青ざめて佇んで放心していた私を呼び戻したのは、ユーリスだった。

「ちゃんと聞いて、見て、真実を見つけなきゃ」
「真実……」

 そうだ。トリスタ将軍の葬儀は行われて、残念ながら、こちらは本当のことだと思わざるを得なかった。でも、だからってエルザが犯人なわけない。エルザはトリスタ将軍のことを心から尊敬していたんだから。

「城も落ち着いた頃だろうし、行ってみる?」

 ユーリスの問いに、私は頷いた。

 *

「おまえたち、どうして来た」

 タシャさんを探していたら、クォークが私たちを見つけた。私は答える前に駆け出していた。

「クォークっ……、エルザは大丈夫だよね!?」
「ああ。必ず俺が出すさ。あいつは無実だからな」
「うんっ……、お願い……」

 クォークがそう言ってくれるだけで、信じられた。エルザは大丈夫。クォークが、きっとなんとかしてくれる。最初の投獄だって、ちゃんと疑惑を晴らせたんだもん。今回だって、潔白なんだから簡単なはずだ。

「すまん、俺はもう行くぞ。ユーリス」

 隣にいた騎士がクォークを呼び、私は渋々クォークから離れた。ユーリスはクォークを見上げた。

「こいつを頼んだぞ」
「え……?うん」

 じゃあな、とクォークは小さく笑って、行ってしまった。
 私はなんとなく立ち去り難くて、クォークが見えなくなってもその場に留まっていた。
なんだろう。何か、言わなきゃいけないことがあった気がする。もしくは、聞かなくちゃならないことが。

「……ルナ、あいつだ」
「あ」

 ちょうど廊下の向こうからタシャさんがやってきて、私は呪縛が解けたように歩きだした。

 *

 タシャさんは目の下を一層黒くしていたけど、背筋はしゃんとしていて、いつも以上に凛然としていた。

「トリスタ様はそのとき一人でした」

 傷は、背中に一つで、致命傷だったという。

「いくら油断していたとしても、あの方を一太刀でしとめられるはずがありません」

 ぐ、と膝に置かれた拳に力が入る。

「もちろん、エルザ殿ではない。彼を陥れたのはジル・ランバルトという公爵です」
「公爵……」

 真犯人は別にいます、とタシャさんは断言した。

「私は必ずや犯人を見つけ、トリスタ様の仇を取る」

 きっと、今一番辛いのはタシャさんのはずなのに。彼は立ち止まることをよしとせず、こんなにも強く立ち向かってみせる。だから私は、慰めではなく励ましの言葉を贈った。
私には何もできないけれど、タシャさんなら必ず、真犯人を見つけてくれる。クォークだって動いてる。絶対、エルザは助かる。

「今日はありがとうございました」
「いえ。……まだ立て込んでいますが、いつでもおいでください」

 タシャさんは少しだけ厳しかった額を和らげて、軍事塔へ戻っていった。
 行こう、とユーリスに促され、私たちは城を後にした。

 *

「ねえ、ルナ」
「ん?」

 ゆっくり宿への道を歩いていると、ふいにユーリスが声を掛けてきた。

「勝手に調べようとか、しないでよ」
「しっ、しないよ」

 思わずどきっとする。ならいいけど、なんてユーリスは疑わしいって顔をした。

「しないったら。もし下手したら、クォークの邪魔することになりかねないもん。私はクォークとタシャさんを信じてる」
「ふうん。そう」

 私の言い分に納得してくれたのか、ユーリスは意外とあっさり引き下がった。少しだけ、表情が寂しそうに見えるのは気のせいだろうか。ユーリスだって、こんなことになったら辛いのは同じだよね。
 なのに、私ずっと落ち込んでて、ユーリスに気を使わせちゃってたかもしれない。ユーリスはしっかりしてて、頼りになるから、つい甘えちゃってたかも。

「……ね、ユーリス」
「ん?」
「ちょっと寄り道しよっ」
「え? ちょっと」

 ぐいっとユーリスの腕を引っ張ると、私は横道に入っていった。
 ずっと奥まで入っていくと、大通りの喧噪が嘘みたいに静かになる。
 ちょっと薄暗くて狭いけど、そんな雰囲気も私は好きだった。

「ねえ、ルナ、どこまで行く気?」
「こっちだよっ」

 ぱっと手を離して、壁のとっかかりに足を掛けると、そのまま弾みをつけて屋根に手を掛け、その上に体を引き上げた。そこからユーリスを見下ろす。ユーリスは腰に手を当てて、あきれたように私を見上げた。

「得意みたいだね、確かに」
「ほら、ユーリスも早く!」

 急かすと、ええー、なんて渋りながらも、ユーリスは上まで登ってきた。

「うわ、っと」

 滑り掛けたユーリスの腕を捕まえて、引っ張りあげる。

「思ったより大変だ……」
「ほら、あそこまで行くよ!」

 深い溜息を吐くユーリスに、私は赤い屋根を指さす。この辺りでは一番高い屋根だ。えー、と不満げなユーリスを置いて、私は走り出す。

「あ、待てよ!」

 慌てて追いかけてきたユーリスに気を配りながら、私は屋根を渡り歩いた。普段歩く道とは違う、私だけの道。猫と鳥しか知らない、獣道。ここから見える景色が好き。もうずっと、通っていなかったけれど。
 この場所は、少し空が近くなるから。
「あとちょっとっ」
「くそっ、絶対登ってやるっ!」

 ぐぐぐ、と顔を真っ赤にして、ユーリスはとうとう赤い屋根の上へ上半身を持ち上げた。服を引っ張り、ユーリスが登るのを手伝うと、足を滑らせて屋根の上に座り込んでしまった。

「はぁ……疲れた」
「ほらほら、見てよ、ユーリス」

 そこには、想像していた通りの景色が広がっていた。
 足下の街並。屋根は全部赤く染まっている。城壁の向こうにはルリの緑の大地が続き、ぷっつりとそれが途切れたあとは広大な海。
 すべてが夕焼けの色に移ろっていた。
 空は赤く、それを移す海も赤く、さらに深く、夜を目前に最後の輝きを放っている。
しばらくはいろんなことを忘れて、変わりゆく世界を息を詰めて見つめていた。

「まさか、ルナがこんな技を持ってたとはね」

 ふう、と息を吐きながらユーリスが言った。
 片膝を立てた上に腕を乗せ、そこに顎を埋めて地平線を眺めてる。
 私は後ろに置いていた手を前に戻し、膝の上で組んだ。

「私を育てた人がね、仕込んだから」

 誰も聞かなかった。
 私がクォークに拾われる前、何をしていたのか。
 私も聞かなかった。
 皆が傭兵団に入る前、何をしていたのか。
 だから、これはまだ誰にも話してない。

 隠してたわけじゃないし、もったいぶってたわけじゃないけど。
 いざとなるとどう話せばいいのかわからないものだね。

 ユーリスが話してくれたときの声音や表情を思い出しながら、私は語り始めた。
 私の過去のことを。


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