疑惑 [ 15/37 ]
「ルナ、図書室に行かないか?」
そう訊ねた僕に、ルナはごめんね、と申し訳なさそうに言った。
「用事があるから」
そう、断ったくせに。
どうして城にいるんだ?
ルナは僕に気づかず、柱の向こうへ消えていった。大広間の階段を登る途中、ふと見上げた二階に、偶然その姿が見えた。一瞬だったけど、間違えようがない。あれはルナだ。
どうしてあんなところに?もしかして用事とやらがもう終わって、あるいはなくなって、図書室へ目的地を変更したのかもしれない。僕は急いで二階へ駆け上がった。
「あ、お兄ちゃん!」
図書室の二階から、ダイアが身を乗り出して真っ先に僕を見つける。返事をする前に一通り部屋を見渡してみたが、ルナの姿はない。
「あれ……。ダイア、ルナ来なかった?」
「ううん。まだだよ」
「おかしいな……」
「お姉ちゃん、来るの?」
隣で、ダイナがうれしそうにぴょんと飛び跳ねた。たぶんね、と答えながら、僕は踵を返す。
「お兄ちゃん、どこ行くの?」
「ちょっと。後でまた来るから!」
そう言い残して、図書室を飛び出した。ここにいないなら、おそらくまだ二階にいるはずだ、と思い、コの字型の廊下を走る。通り過ぎた貴族が廊下は走らないように、と怒鳴ったが構わない。
しかし、ルナはいなかった。どこへ行ったんだ? 伯爵の間の向こうは貴族たちの生活区だから、傭兵は入れないはず。なら、中庭か?
とにかく思いつく場所へ行ってみるしかない。
中庭は静かだ。いつもより人が少ない気がする。騎士たちは直立不動で立っていた。がらんどうの鎧が並んでるのと、見た目は変わらない。
その姿を見て、いやな予感がする。まさか、また会ってるのか?あの白い騎士と。
グルグの基地へ向かおうっていうときなのに、騎士様はよほど暇なのか。
ふと、陰が頭上を横切った気がして、顔を上げる。鳥か何かか、と思ったとき、僕は目を疑った。
屋根の上に、何かいる。
ていうか。
「……ルナ?」
城の屋根の上を、素早く、音もなく動く影。
それは一瞬で視界から消えた。
確かに、ルナだったと思うんだけど、さすがにあれは見間違いだと思いたい。
だいたい、なんだってあんなところに。
誰かに見つかったらどうするんだ。
あんなところをうっかり散歩するわけもないし。
……どうなってるんだ?
*
足音を殺して、細い出っ張りの上に飛び降りた。影に入り、一息つく。
右に開いた窓に顔を近づけると、足音が聞こえた。一人分。
どうして、こんなに奥まで来たんだろう。この先にあるのは空き部屋ばかりで、人気はまったくない。
足音はまっすぐに、廊下の先へ進んでいた。じっと息を潜めて、通り過ぎるのを待ってから、壁越しに後を追いかける。
足音が止まり、ドアが開けられた。空き部屋の一つに入っていく。部屋は反対側にある。私は屋根を越えて、空き部屋の窓を覗いた。
「……あれ?」
しかし、誰もいなかった。いくら耳を澄ませてみても、人の気配は
しない。
確かにこの部屋に入ったと思ったのに。
私はクォークを見失ってしまった。
*
クォークが城で何をしているのか知りたかったけれど、ほとんど何もわからなかった。
クォークが遠くに行ってしまうような不安を少しでも解消したかったのに。むしろますます不明な点が出てきて、余計にわからなくなってしまった。
一体、クォークは何を考えてるの?
「ルナ殿?」
「あ、タシャさん」
中庭で物思いに耽っているところに、タシャさんが現れた。隣にはトリスタ将軍とエルザもいる。エルザも私がいることに驚きつつ、やあ、と笑った。
エルザなら知ってるのかな。クォークのこと。
エルザが一番、クォークとつき合いが長いもんね。
「ねえ、エルザ……」
「ルナ殿、ゆっくり話したいのは山々だが、我らは軍事塔に行かねばならんのだ」
「あ、はい」
エルザに話しかける前に、トリスタ将軍にそう言われてしまった。エルザも、忙しいことに代わりはない。
「代わりにこのタシャを残していこう」
「は、ですが」
「そもそもお前は休憩の時間だ。ルナ殿をお送り差し上げろ」
「は……」
ごゆるりと、とトリスタ将軍はウインクをして、エルザを連れて軍事塔へ行ってしまった。エルザは、振り返りもしない。
なんだか、エルザも遠いな……。
将軍と肩を並べて、もう本物の騎士みたい。
「申し訳ありません」
「え?」
突然タシャさんに謝られた。
「その、エルザ殿に話があったのでは?」
「あ、いえ、いいんです。それより、私こそごめんなさい」
きっとタシャさんも忙しいのに、将軍に気を使わせてしまったみたい。いえ、とタシャさんは首を振った。
「トリスタ様のおっしゃった通りです。よろしければ、宿までお送りいたしましょう」
「ありがとうございます」
本当は、断るべきなんだろうけど。せっかくこう言ってくれてるんだから。
私は言葉に甘えることにした。
「タシャさんは、クォークのことどう思ってますか?」
城を出てから、私はさっそく聞いてみた。
タシャさんも、少しはクォークと一緒にいることもあったと思うから。タシャさんはクォーク殿ですか、と面食らったように瞬いた。
「彼は……とても有能だと思います」
「どんな風に?」
「貴族と騎士、上司と部下の間に立って、調停するのがとりわけ見事ですね。ああいう人は、なかなかいない」
「そうなんですか」
クォークは場を取りなすのが上手だ。双方の言い分を聞いて、双方にいい思いをさせる。
自分の本音は押し殺して。
そうやって、巧みに状況を自分の有利な方へ動かして、着実に利益を得る。クォークは私の知る限り、そういう人。
「今は……傭兵と伯爵の間で、駆け引きをしてるんだろうな」
私たちを騎士にするために。自分が言ったその言葉に違わず、きっとあらゆる努力をしてくれてる。
「あなた方を騎士にする、と言ったのは彼なのですか」
「はい」
前にタシャさんに話したことだ。だから私は騎士になりたいって思って、タシャさんに色々なことを教えてもらった。
タシャさんは何か考え込むように私に横顔を見せていた。
「では……彼は、騎士についてなんと言っていましたか?」
「え? えっと……騎士になれば、使い捨てられずにすむって」
街の人に怖がられたりしないし、安定した生活が送れるようになる、クォークはそう力説してた。
そうですか、とタシャさんは沈思黙考する。
「どうしたんですか?」
「いえ、どうも彼には――」
嫌われている気がして。
と、タシャさんは言いにくそうに言った。
「ただの性格のそりが合わないとか、そういうことではなく――彼は、騎士が嫌いなのでは」
半信半疑に。
けれど、ほぼ確信を持って。
それは思いもしないことだった。
クォークが騎士を嫌う?
ルリ城騎士団のような、だらけた騎士ならありえるけど。
タシャさんのような、立派な騎士まで嫌うなんて。
それじゃ変だ。
クォークは、まさしくその騎士になるべく、必死に働いてるのに。
その騎士を嫌ってるなら、じゃあ、クォークは一体何になりたいの?
「おかしなことを言って申し訳ない、ただの私個人の感想にすぎませんから――」
「いいえ、聞いたのは私ですから」
正直に答えてくれたタシャさんに感謝しつつ、私は近頃のクォークを思い浮かべた。
なんだかぴりぴりしていて、ほとんど話してくれなくて。
ずっと城の中にいて。
一体何をしているの?
知りたい。教えてくれないなら、やっぱりこっちから行くしかない。私は密かに決意を固めなおした。
ふいに、タシャさんが足を止めた。彼の見上げた方向に、私も目を上げる。
その先には、ユーリスがいた。
声を掛けようとした、でも。
「……なにしてるの?」
彼は笑っていなくて、気安く話しかけられなかった。
「送って――もらったの。将軍が……」
何もやましいことはないのに、どうしてか答えにくくて言い淀んでいたら、タシャさんが一歩前に出た。
「宿まで送る途中だ。後は貴殿に任せよう」
そう言って、タシャさんは私に向き直る。
「また何かあればいつでも声を掛けてください。私にできることならば何でもさせていただく」
「あ、ありがとうございます」
「では」
タシャさんは軽く一礼して、颯爽と城へ戻っていった。
なんとなく、その背中を目で追いかけてしまう。振り返ってユーリスと向き合うのが気まずかった。
「行くよ」
ユーリスは短く言って、くるりと背中を向けてしまう。
慌てて、その後を追いかけた。
どうして怒ってるのかわからないけど、どうしたら許してくれるのかもわからなくて、私は途方に暮れた。
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