幼い約束 [ 10/37 ]



 魔法使いの子供たちと知り合ってから、ユーリスはよく遊びに行っているようだった。魔法を学んでいる彼らに、教えて欲しいとせがまれたみたい。
 仕事があった日でも、少し時間があると思えば顔を出しているから、せがまれる以上に、本人の希望が強いんだろう。
 子供に対して、ユーリスは面倒見がすごくいい。クォークと同じくらい世話焼きかも。
 それに、ユーリスは子供たちの中にいると、すごく優しい顔をする。
 傭兵の中では周りが大人ばかりだから、自然と力が入ってしまうんだと思う。
 だから、自分より小さい子たちを前にすると、ユーリスの見せる顔は全然違って。
 お兄ちゃん、なんて呼ばれたりして。
 本当のお兄ちゃんみたいに、微笑むんだ。
 そんなときのユーリスは、大人びて、とても頼もしく見える。



「お兄ちゃん! 私できたよ!」

 双子の妹、ダイナちゃんが手を上げた。
 今日は仕事はお休み。ユーリスは一人で城に行こうとしたから、私もついてきた。

 魔術学校で出された宿題を手伝うことになり、机に座ったユーリスの両隣はダイナちゃんとソリーナちゃんで占められ、必然的に私は男の子たちに教える形になった。
 ユーリスは髪を耳にかけ、ダイナちゃんのノートを覗き込む。

「どれだい? うーん。……うん。ちゃんと理解できてるね」
「やったぁ」

 にっこりと微笑むユーリスに、ダイナちゃんも嬉しそう。
 ソリーナちゃんは負けじとペンを動かした。

「ルナ姉ちゃん、僕もできた」
「ウルくんも早いね。見せて」

 皆理解力があるから、実は教えることはあまりない。
 魔法理論は書いてあることを覚えてしまえば十分だし。

 ただ、理論がわかることと、魔力を上手く扱えるかどうかは別で、そこは本人の努力と資質が問われる。

「ダイナ、答え見せて」
「だめー」
「ダイアくん、わからないところあった?」

 ダイナちゃんは兄から身を引いて、ノートを隠す。私は笑いながら、ダイアくんのノートを見た。

「ここかな?」
「あ、う、うん……」

 ダイアくんは肩を縮めてどぎまぎと頷く。ダイアくんはまだ少し人見知りするみたいなんだよね。早く打ち解けられるといいな。そう願いながら、私はなるべく優しい声を出す。

「ここは難しいよね。私もなかなか理解できなかったんだよ」
「お姉ちゃんも?」
「うん」
「見せて」

 ソリーナちゃんを見ていたはずのユーリスが、いつの間にか身を乗り出していて、割り込んで来た。

「ああ、これは確かに手に余るね。でも、必ずわかるようになるから。大丈夫。いいかい?」

 励ます言葉は、ダイアくんに自信とやる気を与える。
 しゃきっと背筋を伸ばしたダイアくんに、ユーリスはわかりやすく噛み砕いて説明を始めた。
 ユーリスは教えるのも上手い。いつか、先生になったらいいんじゃないかなって、こっそり思ってる。

「むー……」
「どう? ソリーナちゃん」

 ユーリスが行ってしまったので、頭を抱えて唸るソリーナちゃんに声を掛ける。そして一緒に躓いた問題を解き始めた。
 ふと、ユーリスの声が耳に入る。

「お兄ちゃんも、昔は魔法下手だったんだ」
「ほんと?」
「ほんと。だから、君もうんと勉強するんだ」
「……うん、僕頑張るよ!」

 ダイアくんは力強く頷いた。
 ユーリスが、魔法が下手なんて。
 ダイアくんを勇気づけるために言ったのかな。
 少し、意外だった。



 30分もすれば全員の宿題が終わった。
 子供たちは集中モードをころっと切り替えて体を伸ばすと、それぞれ好きなことを始める。

「お兄ちゃん、眼帯かっこいいね」
「そう?」

 ダイナちゃんは特にユーリスに懐いていて、今も本を読むユーリスの隣に座り、楽しそうにユーリスを眺めている。

「それからね、髪型もかっこいいよ!」
「はは、ありがとう」

 まっすぐ純粋に褒められて、ユーリスは照れながら笑った。

「それにね、お兄ちゃんは魔法、誰よりも強くて……すごいな」
「そんなことないよ」
「お兄ちゃん、すごいよね」

謙遜するユーリスだけど、私は面白くてダイナちゃんに同調した。

「ルナまで。なに、急に」

 困った顔のユーリスがおかしくて、私は声を抑えて笑った。
 ダイナちゃんは素直で、可愛いな。

「私、お兄ちゃん好き! お兄ちゃんは?」

 さらに、ダイナちゃんは弾むようにユーリスに身を寄せ、にっこり笑った。

「うん、僕も好きだよ」

 照れながらも、ユーリスはそう答えた。すごく嬉しそう。

「ほんと? どれくらい?」
「これくらい」
「それだけ?」
「こーれくらい!」

 手を広げてみせたけど、頬を膨らませてみせたダイナちゃんに、ユーリスは天井に向かって伸びをするように両手をいっぱい広げた。
 そんなユーリスを面白がって、ダイナちゃんは声を立てて笑った。

「お兄ちゃん、ずっと一緒にいてね!」
「うん、一緒にいようね」
「絶対だよ!」
「約束だね」

 えへへ、とダイナちゃんは頬を染めて小首を傾げた。

「じゃあ、私お兄ちゃんのおよめさんになれるのね!」
「うんうん……えっ」
「約束っ」
「あ、あは、約束、ね」

 ユーリスはダイナちゃんと指切りをして、しっかり約束を交わした。
 なかなか積極的だな、ダイナちゃん。

「お姉ちゃん、明日も来る?」
「ん?」

 声を掛けてきたのメビウスくんだ。

「明日は……ちょっと無理かな」
「そっか……」
「でも、明後日は来るよ。それでもいいかな?」
「……うん! じゃあ、明後日だね」

 メビウスくんは一瞬俯いたけど、すぐに気を取り直してぱっと笑ってくれた。

「何かあるの?」
「ううん!お姉ちゃんがいてくれると、勉強楽しいから」
「そう?」
「ユーリスお兄ちゃんだけだと、ちょっと寂しいし……」

 声を落としてそう呟いたけど、慌ててなんでもない、と掻き消した。私も、ユーリスくらい慕われてるのかな?だったら、かなり嬉しいんだけどな。
 緩む頬を押さえられず、私は改めてメビウスくんと約束を交わした。

 もう日が沈む。
 私たちは子供たちを見送り、城を出た。

「すっかり仲良くなったよね、皆」
「そうだな」

 ユーリスの横顔は綻んでいて。良かったな、と私の心も温まる。

「ユーリスはいい先生になれるよ」
「なんだよ、それ」

 眉をしかめて見せるけど、口元は緩みっぱなしだ。

「ダイアくん、ユーリスの言葉がすごく励みになってたもん」
「ああ、あれは……」

 ユーリスはちょっと歯切れ悪く答えた。

「経験を語っただけだし」

 空を見上げて顔を背ける。
 経験か……。
 どんな経験だろう。

 今のユーリスになるまで、一体どんなことが、彼の身に起こったんだろう。

 聞いてみたいけど、まだ躊躇ってしまう私がいた。
 傭兵なら、触れて欲しくない過去は誰にだってあるから。

「ルナこそ、ずいぶん懐かれてるじゃないか」
「ん?」
「僕が行くと、必ず『お姉ちゃんは?』って聞かれるんだよ」
「ほんと? 嬉しいなー」

 私は赤くなった頬を抑える。なんだか、とてもくすぐったい気持ち。

「小さい子って、いいよね。素直に、思ったままのことを言ってくれるから。こっちの心にまっすぐ届くの」

 確かにね、とユーリスも同意した。あの子たちのそういうところが、ユーリスの心を溶かすんだろうな。

「たまに、こっちがひやっとすることも言うけどね」

 ふと、ユーリスは思い出したように苦笑をもらした。
 さっきのことを思い出したんだろう。私もふふ、と笑う。

「ダイナちゃん、行動力あるよね」
「あれには、ちょっと参ったね」

 ユーリスは辟易したように口の端を引きつらせてみせた。

「でもまあ、おままごとみたいなもんだろうし」
「あ、本気にしてないんだ? ひどいなー」

 そりゃそうだろ、とユーリスは気まずそうにしながらも、むっとした。

「まだ子供だよ。きっとすぐに忘れるさ」

 そう言った横顔が寂しげに見えたのは、夕焼けに染まっていたせいなんだろうか。

「僕は、いつかこの街を出るんだから」

 私たちは傭兵。定住場所を持たない。今まで、いくつもの街を通り過ぎてきた。
 でも、私たちの目標は、安定だったはずなのに。
 ユーリスは私を一瞥して、目を背けた。

 そうじゃ、ないの?

「ダイナだって、いつか本当の恋をするよ」

 太陽に背を向け、ユーリスは風を受ける。銀色の髪が風に舞った。
 夕陽を反射して、それはそれはきらきらと、美しかった。

「忘れないよ」

 いつか見た光景。今も甘い疼きと共に、胸の深くに抱かれる憧憬。

「小さな頃の記憶は、輝き続けるから」

 大切な宝物となって、いつまでも心に夢を抱かせるんだ。
 振り返ったユーリスは、左目を細め、眩しそうに笑った。

 失ってしまった大切な時間は、今もその心に残り、甘い切なさを呼び覚ます……。
 その思いがあるから、今、私たちは。
 温もりを求めて手を伸ばし続けるんだろう。


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