月は満ちたり、想いのように
『空の色ほど不誠実なものをわたしは知りません
朝[あした]に清々しい色をして
昼には濁った色になる
夕に涙の小雨を降らせ
夜にはまた、なに食わぬ顔で
眩い月に漆黒を彩らせるのです
これはあなたを想うわたしの心でしょうか
それともわたしを想うあなたの心でしょうか』
ーーダナンの古い恋唄「ファリテ・ルノー」より。
貴人の枕辺で歌を詠うのが、少年の仕事だった。
白木の竪琴(ハープ)を胸に抱き、要望の通りに、時には即興で。
酒の肴に、話題の種に。
貴人に求められるまま、か細い銀色の弦を爪弾き、喉を震わせる。
そうして今宵も、少年イオルはとある宿屋の一室で竪琴を手にしていた。
年の頃は、13・4。
歌詠いとしてはまだ駆け出しと言っていい年齢だ。
駆け出しの歌詠いは幾人かで集まり、貴族や富裕層の開くパーティーから仕事を始める。
合奏、合唱をこなし上流階級に気に入られれば個人で仕事を受けるようになる。
仕事の中には夜の相手も含まれるのが殆どで、性別を問わず枕を共にする彼らには、恋の話題が尽きない。
イオルは今夜、貴族のフィウゼーヌに呼ばれて宿の一室に来た。
いつものように胸を弾ませて扉を開けたがそこに愛しい人の姿はない。
寂しい気持ちで窓に歩むと、小さなテーブルの上に手紙があった。
『急用で少し抜ける。
夜半まで戻らなかったら、帰りなさい。』
急に用意したのであろう用紙はなんの飾り気もない真っ白なもので、無骨な黒いインクもフィウゼーヌらしくないとイオルは感じた。
イオルに文を書くときは、花の押された優美な巻紙に紙の色に合わせたインクで丁寧な文字が書かれているのに。
若輩の楽士の住む寮では、イオル宛の手紙が来ると同僚や先輩がこぞってその手紙を見にやってくるのが最近のお決まりになっている程だ。
年近い楽士達は羨ましいと言い、年上の楽士達はあまり信用し過ぎないようにと忠告してくる。
自らの経験した恋の話や、恋に溺れて身を滅ぼした楽士の話、どんなに美しい人でも人を怨めば醜くなるのだ、と古い恋唄を口ずさみながら語ってくれた彼らの横顔。
そんな事を思い出しながらハープを爪弾いて、窓の向こうの夜空を見上げた。
恋をして、誰かを怨んだり自らの心を嫉妬に染めて涙を流す日が来るのだろうか。
イオルの初めての恋はまだ幸せなばかりで、自分のそんな姿は想像もつかない。
ーー僕もそのうち、恋の切なさを空に喩えて歌うようになるのかな。
誰かが教えてくれたファリテ・ルノーの恋唄のように?
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