刹那 U
それはきっと、俺が生まれる前の記憶。
遠い昔、俺は。
悪魔だった。
雑踏の中、何の目的もなくただ足を進める。
否、一応目的はある。
俺は、天使を探しているのだ。
この街に引っ越してきてからというもの、毎夜同じ夢を見る。
見慣れない路地裏のゴミ箱の上。
ちょこんと座った小柄な人影。
俺を見上げる、澄んだ瞳。
その白い額にキスを落として。
悪魔であった俺の生は果てた。
天使に恋した愚かな悪魔の悲惨な末路。
けれど、あの天使に心を奪われた刹那。
俺は確かに、幸福だった。
だから今日も、慣れない街に身を投じて。
俺はあの天使を探す。
例えまた、俺の生が終わっても。
もう一度、彼に会いたい。
夕と宵の混じり始めた、薄紫色の空を背に俺は歩く。
一日中歩き続けた足には、疲労がたまっていた。
そろそろ帰るか、と家のある方向に歩み始めた俺の横を、淡い光がよぎった。
無意識に、その光に手を伸ばす。
掴んだ光は、人の肩の形に変わった。
「あの…?」
俺より少し年下の小柄な青年が、不思議そうにこちらを見つめていた。
淡い光も、白い翼も。
もう、見えはしない。
けれど、確かに。
彼は、俺の恋したあの天使に違いなかった。
魂に刻まれた、あの刹那の記憶。
違えようのない、左胸の鼓動。
何も言わずに彼の額にキスをする。
見つめた先、遠い過去と変わらぬ澄んだ瞳がせつなげに揺れた。
「あなた、は…」
「うん」
説明する言葉は、いらない。
ただ、魂の記憶に全てを委ねればいい。
きらめく夜のネオンの下。
かつての悪魔と天使。
終わらない、永遠の刹那。
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