人魚は歌わない
校舎の二階にある美術室からは、プールがよく見える。
夏の日差しに温められた水面はキラキラと輝いて、眼に眩しかった。
「先輩、スケッチ行かないんですか?」
声をかけられて振り向くと、一年生の女子が何かを期待するような眼でこちらを見ている。
「もう少ししたら」
窓枠に頬杖をついたままそっけなく答え、窓の下の水面へと視線を戻した僕を見て、彼女はスケッチブックを手に、美術室をあとにした。
夏休みも終わりに近づくと、自由参加の美術部の部活動に参加してくるものは少ない。
特に、美術室のクーラーが一台壊れてからは、参加部員は一人減り、二人減り。
今や、部長である二年生の女子と僕と一年生の女子二人の四人だ。
正反対に、夏を盛りと活躍する水泳部は賑わいを見せている。
更衣室からガヤガヤと出てきた生徒達を確認して、僕も美術室を出た。
鼻歌を歌いながら、階段を下りる。
シューズの裏がステップを捉える度に体が揺れて、襟足が首の後ろをくすぐった。
そろそろ髪を切ろうかな、なんてどうでも良い事を考えながら、一階の廊下の端にある小さなドアを開けた。
美術室のある北棟は、校内でも少し高い位置に建っている。
裏口のようなドアの先は、校内の敷地のかなり端。
植樹されたまま手入れもされず、伸び放題の緑の下を歩く。
木陰特有の湿った土の匂い。
夏を賛美する蝉達の大合唱。
それらを背に、校舎の一階、理科室の前にある水飲み場の近くに陣取った。
簡易な雨除けは日差し除けにもなる。
緑の作るのとは違う、ぬるい日陰の下で、離れた所にある白いフェンスを見つめた。
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