涙のくちづけ
「きた」
「…、え?」
平井の横顔に見とれていた俺は、言葉の意味を理解出来ずに間抜けな声を出す。
「電車。牧野あれに乗るんだろ」
先ほどもきいたアナウンスと、高い音がホームに響く。
慌てて鞄を手にとって、線路に駆け寄った。
「…?平井は、乗らないのか?」
目の前に止まった電車のドアがスライドして、俺が足を踏み出しても、平井はホームに立ったまま。
「…乗れない。もう、いかなくちゃ」
俺を見上げる平井の表情が、見たこともない、苦しそうな顔に歪む。
「また、会えるか?」
思わず零れた言葉に、平井は何も言わずに俺の手を取った。
鞄の持たない、左の手。
柔らかく、冷たい指が手首に食い込む。
ぐ、と引かれるまま、平井の方へと倒れる上半身。
言葉もなく、平井の唇が俺の身体を受け止めた。
「ひら、い」
呆然とする俺を、平井は電車の中へ押し込める。
高いベルが鳴って、目の前を見慣れたドアがスライドしてゆく。
ガラス越しに、平井の唇が開くのを見つめた。
「 」
儚げな笑顔でまぶたを閉じると、その頬には一筋の涙。
窓を隔てて、過ぎるホーム。
揺れる電車のドアに背中を預けて、目的の駅に着くまで、俺も涙の流れるに任せた。
それは、平井の訃報を受け取る、前の夜の出来事。
想いは、光になった。
そして、走った。
あなたのもとへ。
←[*] 3/3
目次へ
MAIN