ケモノノサガ

このまま、真っ直ぐ行けば駅。
今ならまだ、今日中に家に帰り着き、風呂に入って安眠が可能。


左へ曲がれば、先日岬と飲んだバー『freeze』へ。
選んだつもりもないのに、つま先は自然に左へと向かう。

近くに来たのだし、せっかく夜の街に出たのだから、もう一軒くらいいいだろう、と自分に言い訳して、『freeze』へ歩を進めた。




「いらっしゃいま……せ、シズルさん?」

店のドアを開けると、あの日と同じようにマスターである綾さんが笑顔で迎えてくれた。
違うのは、名前を呼ばれ、少し驚いたような顔をされたこと。

「こんばんは」

挨拶をして、カウンターに座ると綾さんがおしぼりを渡してくれる。

夜気に触れ、かじかんだ手に暖かいおしぼりの温度がしみた。

「一人ですか?」

今度はメニューをこちらに渡してくれながら、真剣な表情のマスター。

「はい。近くで飲んでいて、飲み足りなかったので。…その、いけませんでしたか?」

「いけなくはないですけど、シズルさん、うちのお客様がどういう傾向か、知ってます?」

「なんとなく、は。でも、先日のカクテルがもう一度飲みたくて」

マスターは困ったような笑顔で、わたしの言葉にお礼を言い、続ける。

「嬉しいですけど、シズルさんが一人で飲んでたら、危ないかも。瑛が来るのは、もう少しあとだし…」

「大丈夫ですよ。適当にあしらいますから」

「うん、まあ…。その気がないなら、相手にしないでいて下さいね」

その気、って何ですかと聞き返せる訳もなく。
気になったが、そのままにしておいた。

カクテルを作ってもらい、他愛もない話をする。

わたしもマスターも、不自然なほど、岬の話には触れなかった。


店が少し賑わってきて、マスターが他の客と話に行ってしまうと、暇になった。

グラスを見つめたまま、岬のことが頭をよぎる。


店内の薄暗いライトに照らされる明るい色の髪。

初対面の女性にカタギじゃない、と言わせてしまうような雰囲気。

わたしに礼を言ったときの、真面目な姿。

逆に、本能むき出しの唇と腕。



――どうして、こんなに。



たった二度、会っただけ。

フルネーム以外のことはほとんど何も知らない。

罠をはるように、番号を書いた小さな紙切れだけをわたしの手に残して。

一体、彼は何がしたかったのだろう?


岬のことで、頭がいっぱいになってしまう自分にイラついてしまうのに。

こうして、今も。
彼のことばかり、考えてしまっている。

ここへ来れば会えると、期待していた自分も少なからずいた。

なのに何で、岬はいないのだろう、と不満に思う。

「ダメだ、こんなの…」

彼のことばかり、考えてしまっては。
けれど、体内に取り込んだアルコールが暴れるのも手伝って、頭と身体が不本意にも、岬に支配されてしまう。



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