DEAR
多くの。
本当に多くのことを知っているのに、一番大切なことだけは知らない。
そんな、優秀で、愚かで、憐れな、可愛い。
わたしの息子へ。
「マスター、本を読みながらで良いので、足を少し上げてください」
休日の昼下がり、自宅のソファで読書をするワタシの周りで休みなく働く大海[おおみ]は、主人[マスター]であるはずのワタシにむかって軽い命令をする。
本のページから目を逸らさずに、フロアマットについていた足を上げた。
「ありがとうございます」
足の下を過ぎる、マット用に切り替えられたクリーナー。
音も静かに、滑らかな動きで掃き、拭き、仕上げまでが素早く行われていく。
大海が部屋の掃除を終え、クリーナーのスイッチを切ると同時に、時計が正午を告げた。
「マスター、今日のランチはシーフードカレーですよ」
よく通る声で、嬉しそうに言いながら、大海は鍋を温め直し始める。
スパイスの香りが部屋に広がって、空腹を知らせる腹の虫がなった。
休日に本を読むのも。
腹が減れば食事を摂るのも。
週に一度はカレーがメニューに含まれるのも。
三百年前も今も、変わらない。
ただ、本は紙から電子ファイルに変わり。
食事はアンドロイドが作るようになり。
カレーの具材は合成植物食品がほとんどになった。
ワタシの周りで先ほどからくるくるとよく動く大海も、アンドロイドだ。
『AIMIJプロトタイプno.003』。
それが彼の正式な名称。
呼称の「大海[おおみ]」を、語呂合わせだけど、なかなか良い名前だろう、とワタシの友人は言っていた。
「マスター、もう出来上がるので、こちらにどうぞ」
食卓のイスを引いて、ワタシがソファから移動するのを待つ大海。
にこにことアンドロイドらしからぬ柔らかな表情で、嬉しそうに、本当に嬉しそうに笑っている。
大海に促されるまま本のファイルを閉じ、イスに座った。
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