clasSICK
祖母の名前を親しげに呼び、俺の座るカウンターの向こうにある棚の中から古びた箱を取り出す。
とん、と小さな音をたてカウンターの上に座する木箱。
箱を開けて、紫の布にくるまれた茶碗を取り出す和服の店員の手は、どこか繊細で慎ましやかだ。
「絹さんの要望通り、欠けた部分はなるべく分からないように修理しておいたよ」
ここね、と濡れた露草色の茶碗の縁を指す店員。
俺には、どこをどう修理したのかすら分からなかった。
「君は絹さんのお孫さんなんだね。名前は?」
茶碗を箱に戻し、袋を準備しながら低い声が問いかけてくる。
「西ノ宮 絲[いと]といいます」
「そこの高校の制服だね」
「はい。一年です」
穏やかな口調と、甘く響く声に、問われたことについつい答えてしまう。
他愛もない会話をするうちに、最初は気になっていた甘い香の薫りも、気にならなくなっていた。
「おや。もうこんな時間か」
店員が時計を見上げる。
それに倣って俺も奥へ繋がる暖簾近くに掛けられた重厚感のある時計の針を見つめた。
確かに思ったよりも時間が経っていた。
「楽しい時間は早いものだね。日が長くなってきたとはいえ、暗くなったら危ないだろう」
帰宅をすすめられて何となく寂しい気持ちになり、自分でも思いもよらない言葉を口にしてしまった。
「あの…また、お茶を飲みに来てもいいですか?」
発したあと、自身の言葉に驚いて目を丸くする俺に、優しげな声が返ってくる。
「もちろん。喜んで。ヒマな店だから、大歓迎だよ」
「じゃあ、また、来ます。お邪魔しました」
返事が迷惑がっている声音ではなかった事に安堵し、店の出口へ向かう。
扉に手をかけ、ふと、振り向いた。
「…名前、きいてもいいですか?」
「そういえば、まだ名乗ってなかったね。上総野 悠里[かずさの ゆうり]といいます。よろしく。絲くん」
店を出て、帰路につく俺の手には『かずさの骨董店』と書かれた小さな紙袋。
何故だかふわふわする足どりに、知らず知らずのうちに、袋を持つ右手にぎゅっと力がこもる。
暮れ始めた初夏の街の匂いではなく、クセのある甘い香の薫りが、いつまでも胸に残った。
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