心と唇

闇の残骸が消えると、執務室に朝の光が戻って二人を照らす。

ため息をつくシフェルーに、ダリスは何も言わない。

「もう一度、やります」

自分からそう言って、吐いた息より多くの空気を身体の中に入れた。

――平常心。

村にいた頃、魔法を使うにあたってダリスに最初に言われた言葉だ。

『平常を失った心では、魔法は使えても威力が半減する。更に、魔法を使わなければならない時は何らかの局面に立たされているはず。そんな時に、雑念いっぱいの頭では、何も考えることなど出来はしない』

いつも眠たそうなまぶたをして、煙草をふかしている青年が初めて、師と思えた瞬間だった。

思えば、あの頃からシフェルーはダリスに惹かれていただろうか。


始めは目つきの鋭い、怪しげな放浪者として。

親しくなってからは、案外心優しい青年として。

憧れの英雄だと知り、自分の師となってからは誇れる導き手として。


そんなダリスに、自分自身を誇れる弟子だと思って貰いたい。

邪かもしれないが、シフェルーは自分の抱く素直な気持ちを手のひらに込めた。

指先だけを残して、先ほどと同じように手を離す。

黒い球は一度目より格段に大きくなった。

シフェルーの手のひらから生まれ出た闇が、室内を黒一色に染める。

数秒間、闇と静寂がシフェルーを包んだ。

「そのまま」

闇の中にダリスの低い声が谺する。


月も星もない夜。

二人で外を歩いたらこんな感じだろうか、とシフェルーは思った。


闇夜の散歩を思いながら、空間を広げようとするシフェルーの力に対して、抵抗感が混ざる。
不思議に思っていると、近くに小さな光が点った。

シフェルーの喚んだ闇の中に、ダリスが手のひらに喚んだ光の球。

「防御を」

ダリスのその言葉を聞く前に、たゆたう光の球を絡め取るように圧し潰そうと試みた。

小さな光の球は音もなく散って消え、残滓がシフェルーの足下に跳ねてゆく。

粒になった光を追って視線を下へ向ければ、そこには星屑を敷き詰めたような光景が広がっている。

夜空へ舞い上がることは出来なくても、ダリスとシフェルー。

こうして二人で、星空を見下ろすことはできる。



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