心と唇
以前、自分がダリスを恋慕う前はこんな時どんな態度を取っていたのだろう。
二人きりでいても、微塵も緊張などしなかったあの頃の自分に言い聞かせてやりたかった。
穏やかな心で過ごせる時間が、どんなに大切か。
身分を隠して村に居着いていたダリスが、シャリムだと知ってからもこんな想いはしていなかったのに。
思いのままにならない自分の心が、もどかしくて堪らない。
笑いかけられれば、幸せで。
触れられれば、嬉しくて。
どうして、それだけでは心は満たされないのか。
ダリスの事を考えれば考える程、期待されていたように魔法の訓練も上手く行かず、自分が情けなくてしょうがなかった。
――ダメだ。こんな事ばかり考えてちゃ!
歯がゆい自分を励ますように平手で両頬を叩いて、階段を昇る。
仕事の早い師のことだ、もうすでに書類を書き終えてシフェルーを待ち構えているだろうと予想がついた。
ドアを開ければそこに、シフェルーの思い描いていたままのダリスの姿がある。
「遅い。始めるぞ。昼は会食しながら会議だ」
煙草を消しながら立ち上がって、ダリスはため息をつく。
シフェルーに対してではなく、午後の会議を思ってだろう。
月に何度か行われる魔導士長と特級魔導士たちの会議。
ダリスは堅苦しい集まりが苦手で、会食のような独特の決まりのある場は特にそうだった。
シフェルーはいつものように数段低くなった位置にあるテーブルの前に立つ。
「この前の続きを」
少し離れて立つ師に指示を受け、返事をして両手を胸の高さまで上げた。
手のひらを合わせ、指先だけはつけたまま離す。
合わされた指先の下の空間に、黒い点が灯った。
ふ、と短く息を吐いてその黒球に全神経を集中する。
手のひらの間の空間を広げるように両手の間隔を徐々に離した。
朝の光に照らされた白一色の執務室が、一瞬にして薄闇に包まれる。
光を遮ろうとするのはシフェルーの手の中にある、丸い闇。
指を完全に離して、黒い球を大きくしようと試みる。
手のひらからひりひりとした感触が全身に広がって、首の後ろの産毛が逆立つのが分かった。
「…、っ!」
シフェルーが歯を食いしばった瞬間、指の間で黒球は弾けて飛んだ。
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