炎の夜

夢を見る。
闇の岸辺で、夜の汀で。
燃えるような、愛の夢を。




桜の季節になれば花見をするのは、この国に住まう人々の常。
それは、いつの世も変わらない習わしで、彼らの生きた時代もそうだった。



篝火の焚かれた野外には長い幕が引かれ、これから夜桜を楽しむ貴人の為に茣蓙や絨毯で座る為の場所が作られている。

炎を映して、上品な漆器の表面がちろちろと揺れていた。

夜の闇に眼を慣らして、一人の男が幕の張られた細い通路を進む。
がっしりとした体格に渋みのある髭を蓄え、左右に気を配る眼光は鋭い。

通路の奥、枝垂れ桜の大木が枝を揺らす開けた場所に出た瞬間、舞い散る花びらに眼を奪われ細められた双眸。

その瞳に人影が映った。


薄手の淡い着流しの裾がはらりと揺れる。
ゆうらりとこちらを振り返った少年は、儚げで美しい。


美しい物を愛でる心に乏しい男ですら言葉を失うほど。

「こ、此処で何をしている」

我に返って口を開くと、少年は眼を見開いて驚愕した。

「わたしが、見えるのですか?」

「何を言っている?此処は許された者しか入れない場所だ。どこから入った」

「なんてこと・・・」

身を翻し、枝垂れ桜の大木の根元に向かって走り出す少年。

「待て!」

それを追って張られた幕の下をくぐり抜けた。
布一枚を隔てただけで灯りが恐ろしく遠くなる。

闇に融け込んだ地面と石に脚を取られて、身体が倒れるのが分かった。
前をゆく揺れる裾に死に物狂いで手を伸ばして、少年を引き倒すと、慌てて身を起こした。

「手荒にしてすまぬ」

ごつごつとした木の根の上に投げ出された繊細な身体。
白魚のような指で顔を覆って、少年は嗚咽を漏らした。

「だ、大丈夫か?どこか痛めたか?」

土で汚れた白い頬に涙が流れる。

「人に見られてはいけない、と言われていたのに・・・」

細い指が男の顔に伸びて、暖かい物が触れた。

「なぜ、あなたにはわたしが見えるのですか?」

問いの意味は理解できなかったが、少年の行動は理解できた。

絡みついてきた腕に促されるまま細い身体に覆い被さって、その肌を撫でる。

白い柔肌に手を滑らせると、瞼を閉じて身を任せる少年。
垂れ幕の向こう側では、人が集まり始め賑やかになってきている。


二人の間には、静謐と熱が。

合わせた肌から香るように漂って、宴の賑わいから隔絶してくれた。





一陣の風が枝垂れ桜の花を散らした。
夜が漣のように揺れる。

硬い木の根の隙間でうとうととしていた男は腕の中の身体を抱き寄せようとした。
しかし腕の中に温もりはなく、散った花びらが寒々しく残っているだけ。

たった今、枝から離れたばかりの一枚が目の前に落ちて、男は無性に悲しくなった。

自分が腕に抱いた人の顔も声も、何一つ思い出すことができなかったのだ。

まるで、全てが夢であったかのように。

ただ言いようもない喪失感だけが胸の内を襲って、男は震える身体を木の幹に預けた。





揺れる枝の隙間から、宴のために焚かれた炎が見える。
布一枚隔てただけで、その灯りは恐ろしく遠い。



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