指輪
ときめき、きらめき、ひたむき。
二人が忘れてしまったもの。
サイドテーブルに置かれた銀の環をこれでもかと睨む。
それでも、望んだように消えてくれる訳もなかった。
指輪そのものに恨みがあるのではもちろんない。
恨めしいのは、その輝きが物語る彼の幸せ。
午後十時のビジネスホテルの一室。
電話を終え、携帯電話を片手にバスルームから戻ってきた彼は、いそいそと服を着始めた。
「帰るのか」
「うん、陣痛が始まったって」
「予定より早いな」
「そうだね。まあ、そういうこともあるよ」
俺はまだベッドに横たわったままで、熱の余韻も醒めきっていないのに。
嬉々として帰り支度をする彼が、ひどく残酷な人物に思えた。
サイドテーブルに手を伸ばし、今にも二人の時間に終わりを告げようとしている。
「もう少し、いろよ」
「そんなこと言うなんて、珍しいね」
驚く彼に、心の中で言葉に出来ない感情が暴れた。
いつも、思っている。
もう少し、と。
けれどこの関係を持ちかけたのも、いつもホテルに誘うのも俺だ。
頼まなければ、指輪を外してくれることもしてくれないんだろう。
この男は。
「…行けよ」
どう断ればいいかと躊躇っている指に、指輪をはめてやった。
謝りもせず、振り向きもせずに彼は部屋からいなくなった。
胸の弾けるようなときめきも。
甘い一刻のきらめきも。
あの頃のひたむきさも。
全て、忘れて。
残ったのは、重いため息だけ。
←[*] 15/75
MAIN