リプレイ(鍵主)
2017/12/30



なんだかペンキでぺたぺたと丁寧に塗り潰したような、作り物じみた青さだなあと思って見上げていたあの空が本当に作り物だったと知ったのは、つい先月の入学式の日だ。知ってしまうとなおのこと安っぽく見える青の上をゆったりと這う、これまた作り物の雲を校舎の屋上で眺めていると、足元のコンクリートから体の芯にじわりと、綿が水を吸うように染み込む浮遊感があった。眼下には中庭が広がる。桜の木がある。そういえば、桜の木の下には死体が埋まってるだなんてよく聞くけど、果たしてこの夢の世界の桜の根元には何があるのか―――ここで死んだ生徒たちの、どこにも行けない魂とかそんなものだったりして。ほんのりと色づきながら春の匂いを振りまくピンクに視線は吸い寄せられて、やがて足がゆっくりと、一歩


「なにしてるんですか、先輩」


背後から届いた硬い声に、襟首をぐっと掴まれた気がした。屋上の出入り口であるドアの前に立っていたのは、僕をこの夢の世界から引っ張り出した張本人だった。「なんでWIREしたのに見てくれないんです」と、眼鏡のレンズ越しの不機嫌そうな視線がこちらにじとりと向けられている。大方、集合時間を過ぎても現れない部長を探してこいと、現在いちばんの新入りである彼が命じられたのだろう。連絡のつかない僕を探して校舎のあちこちを回ったのか、少し息があがっているように見えた。そういえば携帯はここ数日、自室の机の上で充電器につなぎっぱなしだ。火とか出ちゃったらどうしよう。
「ごめんね、空見てたんだよ」
「……はあ、……え? ……あっ」
僕が屋上のどこに立っているのかに少し遅れて気がついたらしい、鍵介はぎょっとしたように目を見開いた。
「あの、それってあの、そっち側まで行く必要あるんですか?」
「うーん……あると言えばあるけど、ないと言えばないよね。まあいいよ、今そっち戻る」
間を隔てるものが少なくなければ、作り物の空でも少しはきれいなんじゃないかと思っただけだ。そんなことはなかったけど。がしゃん、と金網を掴み、靴の爪先を引っかけた。ふわりと浮き上がる体の後ろには、なにもない。そう、僕は屋上を囲う落下防止フェンスの“向こう側”にいた。
がちゃがちゃと金属を軋ませながら、自分の背丈の倍はあるフェンスを登る。鍵介はそれを「ひえ」だか「わぁ」だか情けない声をあげながら見ていた。やがてフェンスを乗り越え、コンクリートの床にすとん、と着地。詰めていた息を大きく吐き出した鍵介がこちらに駆け寄ってくる。
「なんっ、なんでそういう、あの、危ないことするんですか」
「君だって……なんだっけ、あれだ、ボルダリングやりたいとか言うじゃん。あれとおんなじようなものでしょう」
「全然違いますってば、あれは安全だからいいんです」
「あっそう、違うんだ……でも僕はただ……」

……僕はただ、あの屋上の縁に立って、いったい何をしようとしていたんだろう。

「……?」
「もう、いいから行きますよ、みんな先輩待ちなんですから」
「わ」
やや乱暴に手を引かれた。身長は控えめなのに僕のそれとさして変わらない大きさの手のひらは僅かにしっとり汗ばんでいて、まさに「手に汗握る」ってやつだ、と思って少し笑ってしまった。ずんずんと僕を引きずるように(散歩に行きたくない犬とその飼い主みたいだ)歩き始めた彼の耳にはどうやら届かなかったらしいが。
「君、手あったかいね」
それなりに男の子らしく骨張って関節が目立つ手だったが、とてもあたたかい。空いたほうの手で入り口のドアノブを掴み、鍵介は僕を見た。
「そうですよ、だって生きてるんですし」
「…………いきて、る」

何故か、その言葉にざわりと心臓を撫でられたような心地がした。


僕は無言のまま鍵介に手を引かれながら歩いた。もう二度と開くことのないよう、何度も何度も釘を打ちつけたはずの蓋が、今にも外れかけているような気がして、ひどく恐ろしかった。






























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