思いの外棘は深い



ふっと目を開くと、薄明るい天井が見えた。今何時だろうなあ、確か今日は休みだったはずだけど。ぼんやりと眠い目を動かして時計を見ようとして、違和感に気づいた。時計が、ない?
勢いよく上体を起こしてあたりを見回した。見たことないカーテン、見たことない照明、こんな部屋私は知らない。まだくらくらと覚束ない頭に手をやりながら必死で記憶を手繰り寄せた。昨夜は確か高校の同窓会があって、それに参加したことまでは覚えてる。最近は仕事で忙しく皆で飲むのなんて久しぶりだったし、懐かしい面々に会えたこともあってついお酒が進んでしまったことも、少し覚えてる。しかしそこから先は、ろくに覚えてない。

改めて部屋を見回してみた。全体的にシンプルであんまり物のない、すっきりとした部屋だ。あるのはベッドと小さめのテーブル、パソコンの置いてあるデスク。デスクには雑誌がぽつりと載っている。そして、部屋の隅には一台の赤いロードバイクがきっちりと立てられていた。考えたくないけど、どう見ても女の子の部屋じゃない。そして、そのロードバイクに見覚えがあることも、考えたくなかった。



「…いや、私は何もしてないから」


決めつけるようにそう一言呟いた。口にしてみるとそれが本当のような気がしてきて、なんとなく少し安心した。大丈夫、酔っ払った勢いで誰かと寝るなんて、そういうのはお酒を覚えたての新成人だけで十分だ。

しかし、私の心の仮初の平穏は、がちゃ、とドアを開けて入ってきた顔を見て、もろくも崩れ去ることになるのだった。


「こう…石垣、くん」
「…おはよう、みょうじ」



当たってほしくなかった予想だったけど、やっぱり間違いじゃなかったみたいだ。あの赤い自転車の持ち主は、私の思った通りの人だった。
しばらく会わないうちにずっと大人っぽくなったけど、困ったように笑うその顔は昔と変わらない。数年前、まだ私たちが高校生だった頃も、わがままを言う私に謝るとき、こんな顔をしていたっけ。

なんとなく動揺していることを知られたくなくて、努めて冷静に尋ねた。


「あのね、私、なんで自分がここにいるかわかんないんだけど…」
「そ、そうか。お前な、昨日同窓会で酔いつぶれてもうて、一人で帰れそうもなくてな」
「うん」
「俺の家、近かったから…とりあえず、連れてくことにしてな…」
「…迷惑かけちゃったね、ごめん……それでさあ、いきなりこんなこと聞くのもあれだけど…何も、ない、よね?」


祈るような気持ちで訊いた言葉は、少し上ずってしまった。ごまかすように軽く笑い、石垣くんの返事を待つ。期待に反して目線を泳がせながら石垣くんが絞り出したのは、ああ、ともええ、ともつかない声だった。そんな。


「あるの?!」
「なくは…いや、でもあれは」
「最低!潰れた人間襲うとか、まじで人としてどうかと思うわ!!ありえない!」
「ご、誤解や!落ち着き!」
「何が誤解なの!」
「お前が思うとるようなことはしとらん!やから安心せえて!」


安心って、なに。そうぽつりと呟いた私に、石垣くんは俯いて答えない。次に切り出す言葉を、もう私は持っていなかった。嘘だ、私の知ってる石垣光太郎という男は、人の寝込みを襲うようなせこい男じゃなかったはずなのに。ワンルームにかちかちと時計の進む音だけが残り、しばらくお互い黙りこくったままの時間が過ぎる。一秒一秒が、やけに長い。

それを先に破ったのは石垣くんだった。


「そや、水買うてきたんや。のど乾いたやろ」


その場を取り繕うように石垣くんが差し出したのはペットボトルのミネラルウォーターだった。二日酔い気味でからからの喉がごくりと音を立てる。


「あ…ありがとう…」
「シャワーも貸したるから、入ってき。髪、タバコ臭くて気分悪いやろ」
「……うん…」


あれこれと甲斐甲斐しく気を回してくれる石垣くんに、さっきまでの混乱はどこへやら、すっかり毒気を抜かれてしまった。ボトルを受け取り、すぐに口をつける。水はよく冷えていて、驚くほどおいしかった。はあ、とため息を吐いた私に石垣くんが笑いかける。


「タオル、洗面台の上の戸棚に入っとるから好きなの使うてええよ」
「…うん、じゃあ、せっかくだから借りるね」




あんまりにいろいろなことがあると、感覚って麻痺してくるものらしい。水のおかげか石垣くんの気遣いのおかげか、私の気持ちはだいぶ落ち着いていた。昨夜何があったかは自分自身覚えてないので何とも言えないけど、石垣くんが何もしてないって言うんだからそれを信じるほかない。もちろん、簡単に酔いつぶれた自分にも非がないとは言えないし。ある意味肚を括り始めながら、脱衣所の戸を閉める。そのまま洗面台の上の戸棚に手を伸ばして、私は小さく違和感を覚えた。勢いよく体をまさぐる。

動くまで、全く気付かなかった。ブラのホックが外れている。本当に、本当に何もなかったんだろうか。本日二度目のこの世の終わりみたいな後悔に、石垣くんには聞こえないように嘘でしょ、と小さく呻いた。



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