19



御堂筋くんのクラスまで来るのは、これが二度目だ。さすがに一限の授業前ともなれば教室にはいると思うけど、さて、どう呼び出そうか。

廊下で立ち止まって少し考えている間に、教室から出てきた女の子と目が合った。見覚えのある顔に、あ、と小さく声が上がる。向こうも同じような顔をして、こちらへ寄って来てくれた。


「あれ、自転車部のマネージャーさん、ですよね?まえ、御堂筋くんのこと探してはった…」


声をかけられて、やっぱり、と確信した。初めて私が御堂筋くんのことを探しに教室へ来たとき、御堂筋くんについて答えてくれた子だ。


「そうなんよ、今日もちょっと用があって。御堂筋くん、おる?」
「はい、あそこに」


指差された方へ顔を向けると、教室の後ろの方で御堂筋くんがぽつりと座っているのが見えた。本か何かを読んでいるようだ。もういいや、直接呼んじゃおう。教えてくれた子にお礼を言うと、御堂筋くんから見えるように教室の入り口から顔を出した。


「御堂筋くーん!おはよー!」


努めて明るく手を振ると、私が御堂筋くんの名前を呼んだことにまずクラスの子達が驚いたようで、皆の視線が一斉にこちらに刺さった。先ほどまでとは違うざわめきに、なんとなくクラスでの御堂筋くんの立ち位置が見えるようで苦笑いが漏れる。こんな風に誰かが訪ねてくるなんてこと、そうそうないと思われてるのかな。
次いでちらちらと自分を窺うように向き始めた視線に御堂筋くんは、鬱陶しそうな顔をしながら本を閉じた。いかにも渋々、と言った様子で立ち上がり、私の目の前まで歩み寄るとぶっきらぼうに「なんやの」と呟く。


「わぁざわざ人のクラスまで、何しに来たん」
「失礼やね、忘れ物届けに来たんよ。はい、これ」


昨日の忘れ物を差し出すと、御堂筋くんは無言のまま目を丸くして、ぱちぱちと瞬きした。


「なんでキミが持っとるの」
「昨日、水道のとこに忘れとったんよ。なかったら困るかなあ思て」
「ああ…」
「いっつもご飯の後、ちゃんと歯磨きしとるのマメでえらいよねえ」
「別にぃ。なんもえらいことないわ」
「御堂筋くんは歯が命やもんね!」
「余計なお世話やで」


今の、なかなかいいんじゃないかな。少しずつ、前のように自然に交わすことができるようになってきた御堂筋くんとの会話に、私は内心で頷いていた。

差し出された歯ブラシセットを手に取ると、御堂筋くんは逸らした視線を、右から左へ行ったり来たりさせた。何か迷っているようなしぐさに、なんだろうと見ていると、ようやく視線を止めた御堂筋くんが小さく口を開いた。


「………おおきに、な」


ぼそり、と。たっぷりの間を置いて早口に御堂筋くんが呟いた言葉に、つい耳を疑ってしまった。今、もしかしなくてもお礼言われた?!あの、御堂筋くんに?!
びっくりするあまり何と答えるか迷って、ああ、とかええと、とか、私が間抜けな声を漏らしている後ろで、ひそひそとこちらを窺う声が聞こえた。


「あの人、めっちゃ御堂筋とコミュニケーションとれとるな…」
「あれ、誰なん?」
「彼女?」
「うそぉ!御堂筋くんにそんなんおるわけないやろ」


それは御堂筋くんにも聞こえていたようで、御堂筋くんがその人たちをきっと睨みつけると、その数人のかたまりはばつが悪そうに、すぐに散っていく。
御堂筋くん、今の、どう思っただろう。なんとなく御堂筋くんの顔を見ることができなくて、視線を落としながら、「ほな、用事済んだし、帰るね」とだけ呟いた。できるだけ、声音は明るくなるように気にしながら。


「なんや変なこと言われてもうたね、ごめん」
「別に。…くだらんわ」


くるりと踵を返し、御堂筋くんは席に戻っていってしまった。













放課後、部活が始まってからも、今朝の御堂筋くんとのことが頭を離れなかった。外周に出る部員を送り出して、その間に自分の仕事をいくつか片づけてしまおう、と洗濯機にタオルを投げ込みながら、私の頭の中は今朝のことを御堂筋くんがどう思ったか、そればかりが気にかかって仕方がない。
迷惑だと思われちゃったかな。せっかく、少しは自然に話せるようになってきたと思ったのに。気持ちを伝えることはできないとは思ったけど、気まずくなるのはやだなあ。

と、その時ジャージのポケットに入っていた私の携帯が、着信を知らせるバイブを鳴らし始めた。考え込んでしまっていた思考から我に返り、携帯を取り出す。
石垣先輩だ。珍しい、練習中に電話なんてかけてくるの。どうしたんだろうな、と思いながら通話ボタンを押した。


「はい、みょうじです…」
「みょうじ、御堂筋くんが落車してもうた!」


電話の向こう側からは、石垣先輩の焦ったような声が飛び込んできた。全身からさあっと血の気が引いた。うまく状況が呑み込めない。落車、って言ったらつまり、あの御堂筋くんが自転車から落ちたってこと?


「今、学校出てすぐの旧道入り口におるんや!救急セット持ってきてくれるか?」
「わかりました!すぐ行きます!」


そうだ、怪我。当然怪我してるだろう、手当てしに行かなきゃ。それから先生にも連絡して、それからどうしたらいいだろう。最悪の想像ばかりが頭に浮かぶ。

通話の切れた携帯をポケットに突っ込み、部室の備品棚を漁る。救急箱をがちゃがちゃと引きずり出しながら、色んな言葉が頭の中をぐるぐると駆け巡った。どうしよう、ひどい怪我してたら。御堂筋くんはうちのエースなのに。もう自転車で走れなくなったらどうしよう。御堂筋くんはエースだから、……だから?


余計なことを考えてしまう頭を振り切るように、救急箱を抱えて部室を飛び出した。
違う。エースだとか、チームとかそんなの関係ない。私は御堂筋くんのことが大切で、自転車に乗る御堂筋くんが好きだ。御堂筋くんが自転車にかける気持ちだって、今はもう知っている。そう長くない時間だけど、それでもずっと見続けてきたのだ。だからこそ支えたいとも思うし、怪我なんかで自転車に乗れなくなるなんてこと、絶対にあってほしくない。

早く、早く御堂筋くんのところに行こう。焦る気持ちのままに、私は駆け出した。












「せ…先輩!救急セット…持って、きました!」


旧道へ入る分かれ道の、道標の傍に石垣先輩の姿を見つけた。全速で走ってきたせいですっかり上がってしまった息で、途切れ途切れにそう叫ぶと、先輩が振り向く。


「みょうじ、急がせてすまん。こっちや」


手招く石垣先輩のもとに何とか駆け寄ると、その足元で御堂筋くんが座り込んでいるのが見えた。


「御堂筋くん、大丈夫なんですか?!」
「ああ。頭打っとるかもしれんから、一応休ませとったんや。傷自体はそんな大したことないみたいやし、とりあえず腕と足の傷みててやってくれるか。俺、一応顧問に報告してくるわ」
「は、はい」


どうやらそこまでおおごとじゃないみたいだ。ほっとしたところで、ようやく私はそこに石垣先輩以外の部員がいないことに気が付いた。他の皆は、と周りを見回す私に、先輩が小さく「他の奴らは練習続けてもろとる」と耳打ちする。確かに、皆に囲まれるのは御堂筋くんのプライド的にも許されないだろう。それじゃ、とアンカーに乗って走っていく石垣先輩に軽く頭を下げ、御堂筋くんの目の前に私もしゃがみこんだ。


「御堂筋くん、怪我は?擦り傷だけ?」


御堂筋くんはまだぼんやりとした表情のまま、こくりと頷いた。


「そっか、ほんまによかった……ああ、安心しとる場合ちゃうね、とりあえず腕から見せてくれる?消毒するわ」


安心につい緩みそうになる涙腺をこらえて、救急箱を広げる。脱脂綿と、消毒液。傷の大きさにもよるけど、ひとまずはこれでなんとかなるだろう。だらんと垂れ下がった御堂筋くんの腕を持ち上げて傷の様子を見ようと、手を伸ばしたとき。


「…手当てなんてせんでええ」


その手を、軽く振り払われた。訳が分からず、御堂筋くんの顔を見返した。御堂筋くんは相変わらず何を思っているかわからない虚ろな目で足元をじっと見つめている。


「あかんよ、そら嫌かもしれんけど、こういうんは早めに消毒しとかな化膿して…」
「なんで来んのや。同情とか憐みとか、そんなんやったらいらんわ」


俯いたまま力なく発せられた、思ってもみなかった言葉に戸惑う。今、そういう話してたっけ。行き場のなくなった手を握りしめて、どうにか私は口を開いた。


「御堂筋くんおかしいよ、なんの話してるん」


混乱する私に、御堂筋くんは答えない。ただ重苦しい沈黙だけが続く。どうしてそんなことを言うんだろう。全く理由のわからない拒絶に途方に暮れて、いっそ本当に泣き出してしまいたかった。

それまでじっと俯いていた御堂筋くんが急に顔を上げた。合わされた視線にたじろいだ私は言葉が出ない。


「キミのせいやろ」
「え?」
「キミがおるとぐちゃぐちゃになる」


それだけ言うと、御堂筋くんはのろのろと立ち上がり、自転車を押して歩き始めた。呼び止めても、もう振り向かない。
なにそれ、私がいるとぐちゃぐちゃになるって、どういう意味。



どんどん遠ざかるその背中を、その言葉の真意もわからないまま、慌てて救急箱をしまって追いかけた。



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