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「…御堂筋くん」


練習終わり、皆にドリンクとタオルを配っていた私が最後に行きついたのは御堂筋くんのところだった。最後に行きついた、と言うと偶然のようだから、少しニュアンスが違うか。私は心のどこかで、御堂筋くんのことを避けようとしていた。近くにいると、また意識してしまいそうな自分が少し怖かったのだ。

差し出された手に、はい、とドリンクを乗せた。


「御堂筋くん、調子よさそやね。なんや吹っ切れたんとちゃう?」
「普通やろぉ、いつも通りや」


いくらか満足げにそう答え、勢いよくドリンクを飲み始める御堂筋くん。インハイが終わった後しばらくは不調続きだったけど、大阪へ遠征に行った頃からまたその走りは以前の調子を取り戻していた。いや、今まで以上に研ぎ澄まされたような、鋭い走り方になったような気さえする。

御堂筋くんの返事の中身は素っ気なかったけど、心なしか明るく感じられた声音に、やっぱり調子いいんだろうな、と思う。だって、機嫌よさそうだもん。



「ん」


御堂筋くんがごくごくと喉を鳴らすさまをついぼうっと見ていた私に、御堂筋くんが飲み終わったボトルを差し出した。すっかり気を抜いていた私は一瞬なんのことかわからず、御堂筋くんの顔を見上げてしまった。眉間にしわを寄せた御堂筋くんがもう一度私の鼻先にそれを突き出したから、そこでようやく、受け取れってことだと気づいた。小さくお礼を口にしながらそれを受け取る。
いったいどうしたって言うんだろう。いつも飲み終えたボトルなんて投げて寄越されたりその辺に置いておかれたり、今まで直接手渡してくれたことなんてなかったのに。

交換でタオルを出しながら、舞い上がりそうな気持ちをまた一つ押し殺した。きっとこんなこと一つ、御堂筋くんにとってはなんの気もなくやってることなんだろうな。大したことじゃない。


それにしても、ボトルひとつ手渡されただけで喜ぶって、私けなげすぎるだろう。
やっぱり私は御堂筋くんのことが好きなんだなあと思い知らされる。
わかりやすいいい人なんかじゃないけど、自転車への一生懸命さとか、それ以外のことは無頓着そうで放っておけないところとか、もっと知りたいし、他の人と違って特別に思ってる。

でも、御堂筋くんは自転車一筋だから、きっと私の入る余地なんてない。仮に私が告白なんかして振られて、マネージャーがエースと気まずくでもなったら、チームに迷惑がかかってしまう。また来年のインハイに向けてチームを作り直さなきゃいけないって時に、サポート係のはずの私が邪魔をするわけにはいかないのだ。そんなことを考えては、気づいてしまった気持ちをなかったことにしようと思い直すのだった。

だからこんなことくらいで動揺しちゃだめだ、私はマネージャーなんだから。できるだけいつも通りにしよう。いつも、通りに。それってどんなだったっけ。前の私は、こんな時御堂筋くんとどんな話をしていただろう。
ふと、御堂筋くんがこちらを覗き込むように見ているのに気付いた。


「な、なにかな」
「なんなん、さっきからそわそわしよって。キモいで」
「え?なんでもあらへんよ」


鋭い。さすが御堂筋くん、人のことを意外とよく見ている。
こんな簡単に感付かれていて、私はこれからもうまくやってけるのかなあ。先行きの不安にその場しのぎの笑いが漏れる。
もちろんそんなことじゃ御堂筋くんは納得なんてしてくれなくて、その顔はいまだに疑惑の色に染まっている。私のこの浮ついた気持ちも見透かされそうで目を合わせていられず、俯いた。今の私に御堂筋くんを納得させられるだけのことを言う自信はない。どうしようかな、なんて言えば納得してくれるだろう。



「…キミなあ、」


御堂筋くんが何かを言いかけて、そのまま口を噤む。何も言葉が下りてこないので私が顔を上げた瞬間、いつの間にか御堂筋くんの向こう側にいた石垣先輩が見えた。


「あ、石垣先輩!」
「みょうじ、どないしたんや。顔暗いで」


目が合った先輩は相変わらずのさわやかな笑顔でこちらに歩み寄ってきた。ちょっとほっとして、私も石垣先輩に小走りで駆け寄る。よかった、このまま御堂筋くんと二人だけでいたら、どんどんごまかしきれなくなりそうだった。
御堂筋くんと言い石垣先輩と言い、こうも会う人会う人に言われるってことは、相当顔に出てるってことか。目指せポーカーフェイスという私の意気込みは早くも失敗に終わりそうだ。
いや、まだあきらめるわけにはいかない。取り繕うように笑って見せた。


「私、そない変な顔してますか?ほんまになんでもないんですよ」
「いやいや、御堂筋も思たやろ?」
「…ボクが知るわけないやろぉ」
「風邪は?もうええのか?」
「はい!もうしーっかり治しました!」


ぎゅっと握りこぶしを顔の近くまで掲げると、石垣先輩は病み上がりなんやからほどほどにな、と私の頭に手を置いた。やっぱり先輩は癒される。きっとこの人の半分は優しさでできているんだろう。


「そらよかった。やけどちゃんと温かくして寝なあかんで。治た言うて油断しとるときが危ないんや」
「あはは、石垣先輩、お母さんみたいですわ」
「お、俺は後輩の体調を思てやな…あれ、御堂筋?」
「?」


振り向くと御堂筋くんはその場から忽然といなくなっていた。あれ、と見回すと、もう随分と離れたところに小さくなった猫背が見える。
何かしたかな、とつい追いかけたくなった足を止めた。二人きりでいるのは避けたいくせに、こうして離れて行かれるのは寂しいなんて。私は自分勝手だ。
行ってもうたな、と残念そうにつぶやく石垣先輩に向き直りながら、そうですね、とだけ返した。










だいぶ日も短くなって、練習が終わるころには校舎はオレンジ色の夕日に照らされていた。
真っ暗になってしまう前にはやく洗って片づけてしまおう、と校舎の入り口すぐそばにある水道にがらがらとボトルを転がす。蛇口をひねろうと手を伸ばすと、少し先になにかが置いてあるのに気が付いた。忘れ物かな、と手に取ると、それは歯ブラシセットだった。ご丁寧に名前まで書いてある。御堂筋、と。

つい吹きだしてしまった。御堂筋くんのだ。そういえば御堂筋くん、毎食後律儀に歯磨きしてるんだよね。あんな怖い顔してるのに、ちゃんと持ち物に名前書いてるなんてかわいい。たぶん私がこう思ってること知られたらすごく怒るだろうな。余計なお世話や、とか、ウザい、とか、散々に罵倒して。
なんだかその反応が妙に懐かしくなってしまった。言ってることはひどい暴言なんだけど、なんていうか、恋しい。


これ、なかったら御堂筋くんが明日のお昼困るかもしれない。届けに行ってあげよう。そう決めて、手の中のそれを見つめながら小さくため息を吐いた。



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