その後



あれだけぐるぐると考えていたのにやっぱり体は正直で、お風呂上りにほかほかのご飯を目の前に出された私は、情けなくもお腹を鳴らすしかなかったのだった。


「…いただきます」
「おう!たんと食べや」


お母さんか、と力なく突っ込むと向かいに座る石垣くんは照れ臭そうに笑った。人にご飯出すの、久しぶりで。そう言ってごまかすように目玉焼きを崩す。お互いに視線を食卓へ落としたまま、静かに、私たちは食事をそれぞれ口へ運んだ。私の口数が少ないことについては、何も聞いてこなかった。

思えばいつだって、石垣くんは優しかった。それは昔、私が彼を光太郎と呼んでいた頃から変わらない。



高校のとき、同じクラスだった私たちが始めた付き合いは、想像していた以上に、うまくいかないことの連続だった。
自転車に光太郎がかけていた気持ちを私は知っていたのに、それを受け入れて認める度量が私にはなかった。好きだからこそなんでも白黒つけなきゃ気が済まなくて、未熟だった私は何度も光太郎を責めた。納得いかないことをいくつもぶつけて、たくさん傷つけた。

好きだからこそ、どうにもならないことがあると、あの時初めて知った。

最後の日、光太郎の邪魔にしかなれないのならと自分から切り出した別れだったはずなのに、嗚咽でさよならも言えなくなった私の頭を、光太郎はいつものように撫でた。やっぱり私は光太郎が好きで、手放したくなんかなくて、口を開けばそんな未練がましい言葉しか出てこないことをわかっていたからただ私はしゃくりあげることしかしなかった。ごめんな、と言ってその手を離した光太郎が、遠ざかっていく後ろ姿も見届けられないまま。








「……じゃあ。泊めてくれてありがと」
「ああ。気ィ付けて帰り」


食事を終え、ひとまずの身支度を整えて、私はバッグを肩にかけた。玄関で振り向くと、数歩離れたところで光太郎がこちらを見ている。取り繕うように笑いを浮かべて、きちんと揃えられていたパンプスに足を滑り込ませた。
もう、短い夢を見ていたようなこの時間も終わる。このドアを閉じて、私が帰り道を歩き出す。それでおしまいだ。そうして、私は光太郎と過ごしたことをまた一つ忘れる。


「…あ、あのな、みょうじ!」
「?」


慌てた風に呼ばれ、忘れ物でもしただろうかと振り向いた。光太郎の顔は困ったように薄赤く染まっている。


「…久しぶりに会えて、嬉しかったわ。ほんまはずっと、話したいことたくさんあったんや」
「石垣くん、」
「また、会えんかな…?」


顔つきこそ大人びたけれど、緊張すると顔が赤くなるところも、ばかがつきそうなほど正直で真っ直ぐなところも、ちっとも変わってないんだなあ。
胸に広がった懐かしい感情に、私は自然と頬を緩めていた。











あの夜の真相について、光太郎が初めて切り出したのは、あれから数えて三回目のデートの最中、光太郎が予約してくれたレストランでだった。


「同窓会の夜な、俺、ほんまにただみょうじのことは泊めるだけのつもりやったんよ」


テーブルを挟んで向かいに座る光太郎が、それまで話していた話題を切り上げるようにグラスへ口を付けたかと思うと、静かにそう呟いた。ついに来たか、と私も居住まいを正して光太郎に向き直る。不思議とこの前みたいな動揺はなく、心は穏やかだった。


「けど、べろべろんなったみょうじが俺のこと、昔みたいに笑って呼ぶから、揺れてもうて…最後まではしとらんけど、それに近いとこまでいった。すまん!」


そう言うなり、光太郎はテーブルに向って勢いよく頭を下げた。本当に正直者と言うか、誤魔化せないというか。


「…うん、薄々わかってた。何かあったことも、たぶん石垣くんは本当に何もしてないってことも」
「…怒らんのか」


恐る恐る顔を上げながら、窺うようにこちらを見やる光太郎に、私は頭を横に振った。


「私、どこかで石垣くんだったらいいって思ってたんだろうね。あの日は混乱したけど、あれから、自分でも不思議なくらい怒る気持ちも沸いてこなくて」


本当は、ちゃんとわかっていた。自分の体に妙な跡も違和感もないこと、何より光太郎がそんなことのできる性格じゃないこと。

そして心のどこかで、光太郎にだったら、そう期待してしまった自分にも気づいてしまった。私はずるい。光太郎は正直に話したのだから、私もその誠実さに応えなければならない。そんな気がした。
息を小さく吸い込む。


「きっかけこそ、あんなのになっちゃったけど…ずっと話したかったのは、私も同じだった。もう一度、ちゃんとやり直したい。…光太郎」


あの時言えなかった言葉。数年越しではあるけれど、ようやく私はそれを口にすることができた。今度はきっと、大切にするから。言葉尻が震えて、目の前の光太郎が歪む。ぼやけた視界の先で、光太郎がこちらへ手を伸ばすのが見えた。


「…俺も、ずっと好きやったよ、なまえ」



頭に降ってきた感触も温度も、あの頃と何一つ変わっていなかった。それにひどく安心を覚えた。



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