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「おはよう!」


ずいぶん久しぶりに感じられる教室のドアを盛大に開き、私は小学生もびっくりの元気よい挨拶を口にした。教室の注意が一斉にこちらへ向けられる。


「なまえ、もう風邪ええの?」
「ノートとっといたでー」


次々に掛けられる言葉にお礼を返しながら、バッグを机の脇に引っ掛ける。実際、私の調子は上々だった。

昨夜は逸る気持ちを抑えながら無理やりよく寝た。水分だってしつこいぐらいにとったし、もう熱も下がっていたけどダメ押しの薬も飲んだ。念には念を入れて、だ。熱が引けたばかりの体はまだぼんやりするけど、それもすぐに治まるだろう。

家を出る前、私は御堂筋くんにライン(電話帳から勝手に登録されてた)で連絡を入れた。今日は行くよ、と一言だけ。いろいろと書きたいこともあるにはあったけど、どうにもまとまらなくて結局それだけになってしまった。

席に座る前に、改めて携帯を確認した。ラインをチェックし直すと、返事は来てないけど既読はついている。頬が緩む。もう読んでくれたならそれでいいや。



「みょうじ、機嫌よさそやな」


携帯を握りしめる私に、後ろから声がかかった。振り返ると、その声の主が山口くんだったことに気づく。



「え、そう?」
「顔、にやけとるで」


そうかな、と一応とぼけてはみたけれど、本当はそんなこと自分が一番よく知っている。精一杯ごまかすように頬を下に引っ張っても、私の顔は不自然さを増すばかりだ。
山口くんは苦笑しながら、なんかええことあったん、と首を小さくかしげてみせた。


「御堂筋くんがね、昨日私に電話くれたんよ」
「はあ、御堂筋くんが?なんて?」
「私が休むからやりづらい、て。これってきっと早よ学校来いってことやんな?」


山口くんが信じがたい、といった顔で頷く。


「…それは、すごいな」
「でしょ?!もう、御堂筋くんから電話なんて初めてやってめっちゃびっくりしたわあ。慌てて電話、一回切ってもうて」
「ほんまに嬉しそやな…みょうじ、実は御堂筋くんのこと好きなんちゃう」
「え?」


冗談めかして言われた言葉に、とっさに笑い返すことができなかった。
私が、御堂筋くんを好き?

そりゃあ確かに気にしてもらえたら嬉しいな、とは思ったけど、それって好きだからなんだろうか。


「…嘘やろ?」


答えに詰まった私を山口くんがドン引いた顔でこちらを見ている。いやいやそんなつもりは、ない、と思うけど。


「私も、わからん…」


正直なところ、そんなことを考えたこともなかった。御堂筋くんのことを男の子として好きとか、恋愛の対象だとか、そんな風に見ていたつもりは全くなかった。ずっと自分はチームメイトとして御堂筋くんのことを知りたい、認められたいと思い続けてきたつもりだった。

でも、本当にそうだろうか。例えば、御堂筋くんに対すると他のみんなに対する気持ち、それは本当に同じなのかな。


「…ちょっとええか」


言葉の出ない私の腕を引いて、山口くんは教室の外へと向かう。ほら、まただ。こうして手を引かれても、ただそれだけのこと、それ以上でもそれ以下でもない。山口くんは友達だから、別に不自然でもなんでもないのだ。じゃあ、御堂筋くんに支えられたとき、あんなに動揺したのは?

朝のホームルームを控えて人気のなくなった廊下で、山口くんが足を止める。あんな、と口を開くその表情は重い。


「友達としてはっきり言わしてもらうけど…御堂筋くんは、やめといたほうがええと俺は思う。いいところ一つもないとまでは言わんけど、御堂筋くんにとって大事なんは自転車だけやろ。周りの人間やない。みょうじが辛い思いするだけやと思う」


やっぱり山口くんはいい人だ。はっきりしない私のこと、こんなに真剣に考えて心配してくれる。

私の、御堂筋くんへの気持ち。直接会ってみたら、すこしははっきりするだろうか。
たぶん、御堂筋くんは今日の昼休みもあの場所にいるはずだ。挨拶もかねて、久しぶりに行ってみようかな。


「心配してくれてありがとうね。山口くんの彼女になる子はきっと幸せやよ」
「またそうやってふざけて」
「ほんまやって」










昼休み。


「御堂筋くん、おはよう」
「はぁ…また来よった」


裏庭へ続く階段の端に座る、もう見慣れたその猫背。相も変わらず彩りのいいお弁当をお行儀よく口へ運ぶ御堂筋くん。げっそりとした表情で振り向いた御堂筋くんの横に腰掛けて、私もお弁当を開く。


「キミは…なんでしょっちゅうここに来るん?教室ぅでお友達と食べればええやろ」
「だって、そしたら御堂筋くん一人で食べるやろ?そんなん味ないよ」
「一人で食べても余裕でおいしいわ」
「ご飯は誰かとおいしなぁ言うて食べる方がおいしいよ」
「そんなんキミだけや」


もう、私は知っている。御堂筋くんはそう言いながら、いつもここでご飯を食べてること。これは私が来ても別にいいっていう、彼なりの肯定だろうと私は勝手に解釈している。お気に入りの場所を私の為に捨てたくない、って理由もあるとは思うけど。
それでもこうして話しかけたら返事はくれるし、時々こっちの方だって見てくれる。自転車に関してはとても厳しいけど、こういうことは文句言いながらも諦めて大目に見てくれる人だ。もう、そんな線引きも少しはわかる。半年以上、ずっと見てきたからだ。


「だいぶさむなったねぇ」
「…そやね」
「御堂筋くんは真冬もここで食べるん?」
「んなわけないやろ」
「ほなどこで?」
「キミには言わん」
「何でよ教えてな!また一緒に食べよ!」
「ダメや」
「ほんま、御堂筋くんはいけずやな」
「…チッ」


ひどい、今舌打ちしたでしょ、と何気なく御堂筋くんの腕を掴む。掴んでしまってから、私は軽挙に気づいた。

触れた学ラン越しに感じる腕の硬さ、じんわりと手に伝わる体温に、身動きが取れなくなる。この後どうしたらいいかが、さっぱりわからない。変に思われないように手を離してなんでもない顔でまた話し始める、他の人には考えなくたってできるようなことなのに、どうして御堂筋くんにはできなくなるんだろう。自然にこの手を離すタイミングも、目のやり場も、次にかける言葉も全部。


「…離してくれんとご飯食べられへんよ」


気まずかった沈黙を破る御堂筋くんの声に、ようやく私は我に返った。ごめん、と小さく呟いて手を離す。

あの時、夜の職員室で御堂筋くんが掴んだ肩にそっと触れた。まだ手の平の感触も熱さもはっきりと思いだせる。思い出すたびに、頭を抱えたくなるような、なにか叫びたくなるような、そんな衝動を胸の中に押し込めて。
自分が平静を装えているかどうかも、もう自信はない。

腕に触れる、たったそれだけのこともまともにできないような、この気持ちを何と名付けるか。そんなの、きっと一つしかない。


「(そうか、)」



私は、御堂筋くんが好き。認めてしまえば、それは何の違和感もなく私の中にすとんと落ちた。



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