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「じゃ、お母さん行ってくるから。今日もちゃんと大人しくしてるんよ」
「…はあい」


ドアから顔だけ出してお母さんはそう言いつけると、行ってきます、と部屋を出て行った。
私は布団を深くかぶり直し、大きくため息を吐いた。まだ始まったばかりの今日の過ごし方について思案する。

御堂筋くんと夜の職員室に行った日、季節の変わり目で体調が崩れたのか、帰宅後に私は熱を出した。どうりで妙にふわふわするとか顔が熱いと思った。自分がおかしくなったのかと思ったけど、当然だ。風邪を引いたのだから。
結局、翌朝になっても熱は下がらず、私は学校を休んでしまった。そのまま一日潰して、本当は今日こそ登校したかったけど、今日もまだ無理そうだ。

治すには寝るのが一番だと思うけど、昨日一日寝ていたせいで眠気はとっくにどこかへ飛んで行ってしまったようだ。さっきから何度も寝返りを打っては羊を数えたり勉強のことを考えたりしているけれど、一向に眠れそうな気がしない。かと言って起き上がって何かする気にもなれないんだけど、やることがなくてつまらない。





突然、枕元に置いてあった携帯が震え始めた。何かな、とのんびり私が顔をそちらへ向けようとしている間にも、ひっきりなしに震え続ける携帯。この震え方はメールじゃない。電話だ。誰からだろう。
もぞもぞと布団から顔をだし画面を見ると、ディスプレイには御堂筋翔の文字。


「えっ」


心臓が跳ねる。初めて、初めて御堂筋くんからかかってきた。
慌てて体を起こして携帯を掴み、通話ボタンを勢いよく押した。…つもりが、勢い余って落としてしまった。半泣きでそれを追いかけてもう一度拾い上げたとき、ぷつ、という音とともに画面には無情にも通話終了の文字が現れた。



「うそやん…」



焦った私は間違えて電源ボタンを押してしまった、らしい。そんな。初めて御堂筋くんがかけてきた電話だったのに。というか、御堂筋くんがかけてくるなんて相当な用事なんじゃないだろうか。私、かなりとんでもないことした…?

呆然と、もう何も言わない携帯を眺めた。なんで電話出えへんのや、と鬼の形相でこちらを睨む御堂筋くんの顔が目に浮かぶようだ。やっぱり、私からかけて謝るしかないか。



意を決して私が電話帳を開こうとした瞬間、再び着信を知らせるバイブが始まった。ひっ、と情けない声を上げ、危うくまた放り投げてしまいそうになった手を何とか握りしめる。電話の相手はやっぱり御堂筋くんだ。今度こそ失敗は許されない。深く呼吸し、何度か通話ボタンを確かめてから私は努めて慎重にそれを押した。


「は、はい!みょうじです!」
「何なん、今の」


御堂筋くんは訝しみこそすれ、それほど怒ってはいないようだ。ひとまずほっと胸をなでおろす。


「ごめん、びっくりしすぎて間違えて切ってもうて」
「…アホちゃう」


あきれ返ったように御堂筋くんが呟く。おっしゃる通りで、お恥ずかしい。私もこんなことになるとは思わなかったよ。

それっきり、御堂筋くんが何かを切り出す気配はない。気まずい沈黙が続く。自分から電話してきたくらいだから用がないってことないと思うんだけど、何か嫌なことが出てきそうで自分からは聞き出したくない。しかしいつまでたっても返らない応えに、耐えきれなくなった私は口を開いてしまうのだった。私のバカ。


「…あの、何か用あったんやないの…」


そう問えば、御堂筋くんは堰を切ったようにぺらぺらと言葉を継ぎ始めた。


「聞いたで、キミ風邪引いたんやて?おかしなあ、バカは風邪引かんて嘘やったんかなあ。それともキミ実は天才やったん」
「……そやね、不思議やね…」
「それともそら遅れてきた夏風邪なん?夏風邪はバカが引くぅ言うしね、納得やわ」


溢れる悪口に、やっぱり聞かなきゃよかったかなと後悔した。確かに御堂筋くんに比べれば成績も振るわないし、返す言葉もない。でもさあ、ちょっとは病人に対していたわりの言葉、とかさあ…そういうの、あってもいいんじゃないかと先輩としては思うんだけど。思いやり上手は世渡り上手だよ。

そこまで考えて、小さく頭を横に振った。御堂筋くんにそんなこと期待するほうが間違ってるか。優しい言葉をかけてくれる御堂筋くん…うん、想像つかない。


少しの沈黙を挟んで、御堂筋くんは、さっきまでのなめきったような口調とは打って変わって、今度は抑揚のない声で呟いた。


「キミィ、ボクのサポートするぅ言うたよなあ」
「…?言うた、ね」
「……別に、キミがおらんでもなんも関係ないんよ。ペダルは回る」
「う、うん。そらそやなあ」


なんか今日はいつも以上にテンションが安定しない。その落差についていけないまま、いまいち話が見えないけどとりあえず頷いた。そりゃあ御堂筋くんは私がいなくても当然自転車に乗るだろう。そんなことはよくわかってる。御堂筋くんは本当に、わざわざ電話してまでそれだけを言いたかったんだろうか。


「…他のザクどもはドリンク作るんもタイム計るんもとろいからなあ、めっちゃストレスたまるわ。アホのキミが風邪引くせいやで」


御堂筋くんは早口にそう言い切ると、最後に「それだけや」と付け加えて電話を切った。呆気にとられた私の手の中に、ツー、ツー、という機械音だけが残る。

言いたいことがよくわからない。ちょっと整理しよう。
アホの私が風邪引くせいで、ストレスたまる。私の心配…でもないか。やりづらい、から…?だから、来いってことかな。私がいないと困るって、そう都合よく解釈したら自惚れすぎかなあ。でも、そういうこと、だよね。


どうしよう、すごくうれしい。



思い至った答えに、幸せとも感動ともつかない高揚感が胸いっぱいに広がって溢れる。あの御堂筋くんが私のこと、少しは役に立つって認めてくれてるんだ。あんなに、私のことウザいとかキモいとか言ってた御堂筋くんが、私のことをチームのサポート役として認めてくれた。
通話終了、とだけ書かれたスマホの画面を眺めて、緩む口元もそのままに布団に勢いよく突っ伏した。

早く明日にならないかな。明日は熱が何度あっても行くよ御堂筋くん!



それでも居てもたってもいられなくて、気合を入れて思い切り体を起こした。病み上がりの体はすぐにめまいで布団に引き戻された。



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