幸福と呼んだ



「翔くん、お疲れ様ー!雨すごいのによう走るなあ」


そう言うてタオルを抱えた両腕を広げるように伸ばす彼女に、ボクは無言で頭を差し出した。先ほどまでさえぎることなく雨に打たれていた髪を、ふわっと包み込むタオルは清潔そうな香りに溢れている。こういうのにもずいぶんと慣れたものやな、とボクがむず痒さで視線を斜め下へ落としたことを、なまえちゃんは知らない。



わしゃわしゃとボクの頭を擦る手の隙間から、へにゃりと緩んだなまえちゃんの顔が見えた。キモ。


「…ロードは全天候スポーツやから、雨が降っとろうがレースには関係ないんや」
「ふうん、大変なんやねえ」


ふむふむと神妙な顔でなまえちゃんは頷くが、まあ大して理解はしとらんのやろな。べつにそれはそれで構わなかった。彼女が自転車を理解しとるかしとらんかはさして問題やない。妙に分かったようなふりで首を突っ込んでくるよりかはよほどええ。
なまえちゃんは自転車のことなんか何も知らんけど、レースを終えたボクをいつだって迎えに来る。雨の日はタオルを持って、寒い日は熱いお茶を持って。お疲れ様、と差し出されたそれらを受け取る瞬間はいつも、ほんの少し世界がふわっとした暖かい色に変わる気がした。


「ちゃんとシャワー浴びな風邪引いてまうね、はよ帰ろ」
「そんなん後でええわ。帰ったらまず濡れた自転車のメンテや」
「またそんなこと言うて、翔くんはほんま自転車第一やなあ」


苦笑まじりになまえちゃんはタオルをボクの肩にかけた。ほらな、ボクが風邪なんかより自転車の泥や錆の方が気にかかることもなまえちゃんには理解できんようや。大事なもんの順序も違う、価値観も違う。たぶんボクとなまえちゃんがすべてを分かりあう日は来ない。


ちゃんと傘も持ってきたんよ、となまえちゃんが得意げに広げたのはボクの黒い傘やった。びしょ濡れなのは今に始まったことやないから、もう傘なんて差す必要ないんやけど。屋根の外へ踏み出したボクを追うようになまえちゃんと傘もついてくる。その身に合わない大きな傘を差す手はやはりその重さを支え切れておらず、時々柄がボクの頭にごんごん当たる。めっちゃうっとうしい。


「キミが持っとると低くて歩きづらいわ、貸し」


握りしめられた手から傘を奪い、代わりにデローザをなまえちゃんの手に押し付けた。


「こっち押して」


なまえちゃんはびっくりしたように目をぱちぱちさせて、小さく「わかった」と答えた。恐る恐る、慎重な手つきでそれを支え、幾分か緊張した面持ちで押す様子に笑いが漏れる。そや、この意味が分かるんやったら、それで十分や。



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