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「ザクども、今日は遠征に行くで」


9月も半ばを過ぎて連休初日の朝、私達を集めた御堂筋くんが口にしたのは、ちょっと意外な言葉だった。


「たまには外ぉの空気吸いになぁ…ププ」


いつも通りの、何を考えているのか読めない笑顔で御堂筋くんが私をちらっと見る。目が合うと意味ありげに目を細め、歯をカチンと鳴らした。今日も変わらず御堂筋くんの歯並びはきれいだ。
確かに提案はしてみたけど、まさかこんなにすぐに行くことになるとは。と言うより、私の意見を聞いてくれたと思って本当にいいんだろうか。御堂筋くんにとってどこが受け入れるポイントだったのかいまいちつかめない。


「ま、大勢でぞろぞろ行ってもしゃあないしなぁ、今日行くんは…」


もう一度歯をカチンと鳴らした御堂筋くんは、人差し指をずるっと突き出した。









御堂筋くんに連れられてきたのは、京都市内から電車で一時間ほどの、大阪にあるコースだった。船や倉庫が立ち並ぶ港の中、私たちは自転車を押して歩いた。



「へー、こんなとこ知っとったんやな、御堂筋くん!」
「……」


水田くんは御堂筋くんの後ろをひょこひょこと足取りも軽く追いかける。こちらからは背中しか見えないけど、間違いなく浮かれた顔をしているだろう。今日の「遠征」に呼ばれたことが嬉しくて仕方ないようだ。どうにも最近の水田くんにはちぎれそうなくらい振られている尻尾が見える気がしてならない。対する御堂筋くんは至って冷たいけれど水田くんはお構いなしだ。

そのさらに少し後ろを石垣先輩と山口くん、そして私が着いていく。結局、御堂筋くんが呼んだのはこの四人だった。水田くんと山口くんは次期最上級生、そしておそらく来年のインハイメンバーにも選ばれるだろうからわかるとして(私はもちろん雑用のためだろう)、石垣先輩を指名した意図はどこにあるんだろうか。

出発前、石垣先輩を指さした御堂筋くんに皆が困惑の表情を浮かべる中、先輩だけはすべてわかったような顔でうなずいた。インハイが終わってから変わったのは、何も御堂筋くんの調子だけじゃない。石垣先輩と御堂筋くんの関係も、徐々に形を変えてきていた。普通の先輩と後輩らしい関係とは未だ程遠いのだけど、レースを通じて御堂筋くんも何か思うところがあったらしい。ごくまれに、石垣先輩には多少気を許しているようにも見えることがある。



「(一緒に走るって、やっぱ見えるものも違うんかな)」

「…なんや向こう、騒がしいな」


山口くんがぽつりとこぼした。ぼんやりと考えを巡らせていた私の耳にそれが入ったとき、それに合わせるように大きな歓声が聞こえた。ずいぶんと盛り上がっているようだけど、ここはただの練習場じゃないのか。まるで、レースでもやっているみたいな。

歓声のする方へ向かうと、すでにそこでは草レースが始まっていた。
沿道に並ぶ人たちの見つめる先、コース上の他の選手をかき分けるようにぶっちぎりで走っていく小柄な体。その黄色いジャージには確かに見覚えがあった。


「あれって…」


忘れもしない、今年のインハイ優勝校、千葉の総北だ。あの選手は確か、スプリンターの鳴子くん…と言った気がする。真っ赤な自転車に真っ赤な髪、表彰台の上で緑色の髪の人と同じくよく目立っていた。
まだ一年生ながら、一日目のスプリントリザルトや三日目終盤まで末恐ろしい実力者だ。まあ、うちの御堂筋くんも同じく末恐ろしい一年生なんだけど。



「なんやキモいのがおるやないか」



御堂筋くんが長い舌をべろりとたらし、口の端を吊り上げた。なんだか御堂筋くんの周りの空気だけ、ぞわりとうごめいたような気がした。
そうだ、最近の御堂筋くんに足りなかったのは、この空気だ。どことなく精彩を欠いているように感じられたのは、この鳥肌の立つような、鬼気迫るプレッシャーが感じられなかったからだ。



「ボク、アイツと走ってくるわ」
「あっ、御堂筋くん!」


私たちが引き止める間もなく、御堂筋くんは自転車に飛び乗ると、コースを一気に駆け抜けていった。私は伸ばしかけた手もそのままに石垣先輩に目線を送る。


「い、石垣先輩、どうします?」
「行かせたり。こういう、公式のレース外で誰かと走るんもええやろ」
「そう、ですけど…」
「あんな御堂筋、久しぶりやないか」


御堂筋くんの背中を見つめる石垣先輩の目は真剣そのものだ。御堂筋くんの登場にどよめく人の波を遠目に、私は先輩の隣で勝負の行方を見守ることにした。










レース終盤、鳴子くんに半周の差をつけられてからの御堂筋くんの走りは圧倒的だった。背筋をまっすぐに伸ばした異様とも思えるフォームで、猛然と鳴子くんとの距離を縮めていく。覆すことは難しいと誰もが思うような差をあっという間にひっくり返し、半身前に出た。お互いがものすごいスピードの攻防を広げる中、ボトルを捨て、サドルを捨ててまでも走る鳴子くんがじわりじわりと後ろに引き離されていく。

御堂筋くんは悠々と両手を掲げ、ゴールラインを奪ったのだった。




勝負の余韻を残した空気の中、ふと目を向けると、コースの脇に自転車を横たえて茫然と座り込む鳴子くんが見えた。確か、この勝負に負けたら、スプリンターをやめる、と言っていた。それが鳴子くんにどれほどの重みをもつことなのか私に推し量ることはできないけど、易いことだと受け流せるほど鈍感にもなれなかった。



「行くで、マネージャー」


呼ばれた方へ顔を向けると御堂筋くんがこちらを振り返っている。いつの間にかクールダウンを終えていたようだ。


「う、うん」


歩き出した御堂筋くんに着いていく三人。その背中に、私も遅れないように駆け寄った。





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