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ゴールラインを過ぎ、そのままペースを落として走っていく御堂筋くんの背中から、手の中のストップウォッチに目を移し、表示されている時間を小さく口にした。


「10分25秒…」


同じコースでのベストタイムよりも1分以上の遅れが出ている。

新学期が始まってから、もっといえばインハイが終わってからというもの、練習中の御堂筋くんの走りがどうもおかしい。前はもっとコンスタントにタイムが出る選手だったのに、最近はいつも通りのタイムが出たかと思えば今回のようにちっとも冴えなかったりとめちゃくちゃだ。今日だって、取り立ててコンディションが悪そうに見えないことも不可解な点の一つではあるんだけど。

思えば、確かに異変の兆しはあった。例えば、練習日誌。部活終わりに部室に残って日誌を書くなんてこと、インハイ前の御堂筋くんはしてなかった。
それに練習中の態度も変わった。ザクザクと周りを罵倒しながら(普段に比べれば)テンション高く走っていたのが、最近は必要な指示を口にするのみで、なんというか、自分の練習に没頭している風に見える。勝てなかったインハイについて自分を追い詰めて無理してるんじゃないかとも思ったけど、御堂筋くんのことだから話はそう単純ではないような気もする。



「御堂筋、どやった?」
「あ、石垣先輩」


いつの間にか傍まで来ていた石垣先輩が私の手の中のストップウォッチをのぞきこんだ。先輩は引退してからもちょくちょく顔を出してくれる。今日もこうして放課後練習に来て、レギュラーでない後輩たちの指導にも当たってくれている。


「見てください。最近、妙にタイムが伸びんで…」
「珍しなあ…調子悪いんやろか」
「今までこんなことなかったんですけどねえ」
「そやな…」


先輩は考え込むように腕を組んだ。


「まあ、インハイでも色々あったしな。アイツも心境の変化とかあってもおかしないし、こういうこともあるんちゃうか」
「そうですね…」
「このところアイツがなんか変なんは俺も気になっとったんや。まあ、もうちょっと様子見よう」


石垣先輩の言葉に私も頷いた。悩んだりとか、迷ったりとか、御堂筋くんは普段そんなところは微塵も見せない。そうして周りが気づかないうちに、また前みたいに自分が折れるまで走り続けてしまうんじゃないかと気がかりではある。私にできることがあればいいんだけど、なにしろ御堂筋くんは人に構われるのが嫌いだからなあ。












練習を終えた部員を見届け、部室の戸締りを確認していると校門の方に人影が見えた。とっくに皆帰ったと思ってたのに、と思い目を凝らすと、街灯の明かりに照らされて見えたのは制服に着替えた御堂筋くんが歩いていくところだった。心なしかその背中が頼りなさげに見えて、私はついその背中を追いかけた。




「御堂筋くん!」


私の声に振り向いた御堂筋くんは足を止めないままだったけど、いつもより緩い歩みに並ぶのに苦労はしなかった。広めにとられた歩道は並んで歩くにも余裕がある。


「なんや、キミか」
「これから帰り?」
「見たらわかるやろ」
「ねえ、私もちょうど帰るとこなんよ。折角やし駅まで一緒に行かん?」
「嫌や」
「そんな長い距離やないんやからええやん」


嫌そうにこちらを睨みつけながらも御堂筋くんはさして歩みを早めはしなかった。一緒に帰るのが嫌なのはたぶん本心だと思うけど、私を置いて行かない以上は御堂筋くんなりの承認とみなそう。どうしても嫌なら面倒でも早歩きすればいい。完全に開き直りの心境で私は隣を歩き続けた。


「やっぱ練習終わるとお腹すくなあ」


伸びをしながら、返事を求めるでもなくそうこぼす。帰り道ってどうしてもコンビニとかの誘惑に負けそうになるんだよね、と。ちらりと隣を見やると御堂筋くんは蔑んだ目でこちらを見ていた。


「…食べてばっかおるとブタになるよ」
「わ、私も皆程やないけど動いとるから…大丈夫やと…」
「断言できんのは自覚があるからやろぉ」
「そ、そんなことないで!」
「うっさ」


出てくる憎まれ口のオンパレードに、やっぱり自転車から離れるといつもの調子なんだよな、と再確認した。
時折、ガードレールの向こうを車が抜けていく。しばらくの沈黙の後、私は思い切って口を開いた。




「なあ、一個聞いてええ?」


御堂筋くんはこちらを見ない。ただ、ぽつりと静かな返事だけが返される。


「…ダメや言うても聞くやろ」

「御堂筋くん、最近調子悪いん?」
「別にぃ……キミに心配されたら終いやな」


御堂筋くんが何を思って、何に躓いているかはちっともわからない。もっと、ちゃんと後輩の悩みとか受け止めてあげられる先輩になれたらいいのになあ。自分のしまらなさを自嘲しながら続けた。


「例えばの話やけどね、たまには外の空気吸うてみるんはどうかなあ」
「そと?」
「そう、遠征とかね!いつもと違う環境とか相手とか、新鮮でええと思うけど」


私もね、行き詰ったときは一旦手止めて離れてみたりするんよ、そうすると考え込んでたときよりええアイデア浮かんできたりして。と、手を広げて見せながら身振りで話す私に、御堂筋くんがようやくこちらに顔を向けてふっと笑った。



「それ、ボクにアドバイスしとるつもりなん」
「いやあ、その…」
「やかましい上にいらんことしいのおせっかいやな、キミは」



前に向き直った御堂筋くんの表情ははっきりとはわからないけど、思いのほか楽しそうな声音に私の頬も微かに緩む。いや、罵倒されてこの反応ってちょっとまずいかな。今まで考えたことなかったけど、実は私そういう趣味あったんだろうか。知りたくなかった。いや、まだ決まったわけじゃない、自分を信じなければ。
ぐるぐる考えていた私に、次いで言葉が降ってくる。



「そやね、まあ考えとくわ」
「えっ」



聞き間違いでなければ、私には肯定の言葉のように聞こえたんだけど。想像してなかった返事だ。どうせまた先輩面すんなとかうざいとかキモいとか言われるだけだと思っていたのに。
気づけばぽかんと口を開けたままだった私に、御堂筋くんは「その顔いつも以上にアホに見えるで」とまた小さく笑うのだった。



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