12
新学期が始まって最初の昼休み、お弁当の包みを左手に廊下をまっすぐ歩く。行先は決まっていた。裏庭へ出る昇降口。
窓をちらっと見ると、あの細長い猫背が見えた。やっぱり、今日もここで食べている。御堂筋くんお気に入りであろうこの場所は今のところ、誰にも奪われることはなかったようだ。
「御堂筋くん、おはよう」
「……」
御堂筋くんは頭だけぐるりと振り向いて、私の姿を確認すると顔をしかめて歯を見せた。御堂筋くんは大抵マイナス方面の表情が豊かだ。
「今日は何やの」
「御堂筋くんおるかなって見に来たらほんまにおったから。一緒にご飯食べよかなって」
「いらんわ、教室でお友達と食べたええやろ」
「私のことは背景やと思てくれたらええから」
「……」
諦めたようにお弁当に視線を落とすのを見届けて、私も階段の反対側の端に腰を下ろした。図太くなった方の勝ちだ、御堂筋くんと関わるようになってこれもだいぶ板についてきた。じろりとこちらを見て大げさにため息をつく御堂筋くんを気にしないことにして、膝の上にお弁当を広げた。
珍しく寝坊したお母さんに代わり自分で詰めたお弁当は、きっちりおさめたつもりだったのに少し偏っていて、色味もなんだか茶色っぽい。いつもきれいなお弁当を作るお母さんのテクニックを改めて実感する。付け焼刃じゃやっぱりうまくいかないなあ。
ちょっと離れたところに座っている御堂筋くんのお弁当を何気なく見やった。私のよりは大き目なお弁当箱に、赤、緑、黄、色とりどりの野菜やおかずがちりばめられている。私より先に食べ始めていたからところどころ空きはあるものの、整然と詰まっていたことが見て取れるきれいなお弁当だ。
「御堂筋くんのお弁当、きれいやね」
「うわ背景がしゃべりよった」
「お野菜もお肉も色々入っとってバランスよさそうやわ」
さっぱりしたおかずを中心とした栄養バランスのよさそうなお弁当を、御堂筋くんは相変わらずお行儀よく食べている。九月に入ったとはいってもまだじっとしているだけで汗ばむ気温の中、ちょうど木陰になっているここは少し風が吹くだけで涼しい。
「体作るんは基本やろ、栄養のこと考えたらこうなるわ」
「お母さん勉強してくれとるん?」
「……自分で」
「え?!じゃあそれ自分で作ってるん?すごいなあ!」
御堂筋くんはお弁当のミニトマトを口へ運びながら、小さく「別に」と呟いた。
もう一度隣のお弁当を感嘆の気持ちを込めて眺めた。御堂筋くんて自分でお弁当とか詰められる人なんだ。しかも上手い。今話題の弁当男子とかいうやつだろうか。それに比べて、後輩、しかも男子に負ける私の女子力って。自分のお弁当と見比べて、歴然としている差に焦りとも悔しさともつかない気持ちがじわじわと広がった。どうしよう、やっぱり基本くらいできないとやばいかな。これからたまには自分でお弁当作ろう。打倒御堂筋くんだ。お母さんに教わって、詰め方とか彩りとか勉強して、それから。
「なあ」
「あっ、はい!」
完全に考え込んでいたこのタイミングで声をかけられるとは思っていなかった。つい上ずった敬語でしてしまった返事に御堂筋くんは眉を顰めて怪訝そうな顔をした。取り繕うように、なあに、と問い直す。
「キミは大体用もないのに来んやろ。なんか用あったんとちゃうん」
御堂筋くんがお弁当に視線を戻しながら発した言葉に、私も忘れかけていた用事を思い出した。御堂筋くんのお弁当に気をとられて頭から抜けていたけど、私はただ御堂筋くんとお昼ごはんを食べるためだけに来たわけではなかった。
「ようわかったね、私も忘れかけとったわ。今日ね、御堂筋くんに渡すものあったんよ」
渡すもの、と御堂筋くんはおうむ返しに繰り返す。私はひとまずお弁当にお箸を乗せて向き直った。
「こないだ、課題手伝うてくれてありがとう。おかげでなんとか期限に間に合ったよ」
「キミのためちゃうけどね」
「あはは、そやね。それでね、これ、お礼」
お弁当とは別に持ってきていた小さな包みを差し出した。御堂筋くんは恐る恐る、といった動きでそれを手に取る。
受け取ってもらうために差し出したのに、本当に受け取ってもらえたことに私は内心驚いていた。不思議な感覚だ。例えるなら、野生動物に自分の手から初めて餌を渡せたときの気持ちに似ている、と思った。
終始納得のいかなそうな顔のまま包みを開けた御堂筋くんの手には、変な色をしたカメレオンのマスコットがついた派手なボールペンが乗っている。
「…なんやこれ」
「夏休み、家族で旅行行ったときにお土産屋さんで見つけたんよ。御堂筋くんに似とるな思ておもろかったから」
「ひとつもおもろないわ、センスヤバいんちゃう」
「ええ、そうかなあ」
「キモォ、めっちゃいらん。返すわ」
眉尻を下げて嫌そうに目を細めた御堂筋くんはそれをまた私に差し出した。
「私もいらんよ、御堂筋くんに買うてきたんやから」
「こういうんありがた迷惑言うんや、無駄なもんボクいらんから」
「ボールペンやから無駄にはならんよ、書けるもん」
「ボクにこれでお勉強せえ言うの?」
「したらええやん」
御堂筋くんは私に向けていた視線をもう一度ペンの先のカメレオンに移し、ぽつりとこぼす。
「口の減らん女やなあ」
もうええ、と御堂筋くんは差し出した手を下ろした。お礼と言いながらその実ただ押し付けただけのような気もするけど、どうにかあちらが折れてくれてよかった。キモいとかいらないとか、さんざんぼそぼそと悪態をつきながら、一応そのお土産をポケットに突っ込んでくれたところを私は見逃さなかった。
教室に戻ると、すれ違った山口くんが声をかけてくれた。私のお弁当の包みに目をやり、不思議そうな顔をする。
「みょうじ、外で昼飯て珍しいな。どこ行っとったん?」
「御堂筋くんとお昼ごはん食べとったんよ」
「は?!御堂筋と?!」
山口くんは御堂筋「くん」を付けるのも忘れ、盛大に引いた顔をしている。それが妙に面白くて、笑いをこぼしながら私は席に着いた。
「御堂筋くんな、意外と女子力高いんやよ。私も負けてられんわ」
「いや…意味わからんけど…」
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