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「…てことがあったんよ!お巡りさんめっちゃいかつくてどうしよかと思ったわぁ」
「ほんま行かんでよかったわ」
「なんでや、来てよ」
「死ぃんでも行かん、そんなザクの集会」



そんな暇あったら自転車乗るわ、と御堂筋くんは吐き捨てる。部室の粗末な机と椅子の上でも、御堂筋くんが日誌に走らせるペンは淀みない。さらさらと軽快な音を聞きながら、私はノートにくちゃくちゃの円を書いた。


本格的に練習が始まり、また毎日のように部活のメンバーで顔を合わせる日々が再開した。もちろんこの御堂筋くんも例外じゃない。数日ぶりに顔を合わせた御堂筋くんは、相変わらずの独裁ぶりでみんなに厳しい練習を指示した。

今日の練習を終えてみんなはもう帰ったけど、御堂筋くんはまだ残っている。練習日誌を書いているらしい。
そして、私も同じく部室に残っている。しかし私の目的は部活に関係することではなかった。



「…そんで、キミはそこでなにしとるの?」
「勉強やけど?」
「ちゃう、そうやない。なんでいつまでもそこにおるんか聞いとるんや」


ではなぜ私がまだここにいるか、それはすべて夏休みの課題のせいだった。これが全く終わっていないのだ。花火大会やら何やらに現を抜かしていたせいで、休暇初日のあれ以来全く進んでいないという危機的状況に私はいた。このままでは間違いなく間に合わない。特に英語が。


そんなわけでとりあえず私は課題を部活にも持ってくることにした。もう自習室なんて生ぬるい。もっと集中できる、人の目がある場所でやらなければ。そう思った私が思い付いたのがここ、練習後の部室だった。


「許してや、静かにするから」
「……」


実際のところ、御堂筋くんのいるこの部室はなかなか勉強に適していた。
御堂筋くんは話しかけてもこないし、いつも妙なプレッシャーを放ってるから傍にいると緊張感を持って勉強できる気がする。サボったら怒られそうだし。

私のことはその辺の小石だとでも思ってくれればいいから。私がそう言い募ると御堂筋くんはちらっとこちらを見て、諦めたようにため息を吐いた。


「声出したら叩き出すで」


叩き出されてはたまらない。無言でうんうんと頷いて問題集にかじりつくように向かい合った。




そのまま無言で進めていく手が、少しして止まる。やっぱり全くわからない。

藁にもすがる思いで目の前の人を見た。御堂筋くんはちょっと手を止めて何か考えるようにペンをいじっている。声を出したら叩き出す、と言われている手前悩むところだけど、御堂筋くんならもしかして、この問題もわかるだろうか。声をかけるかどうか私が迷っていると、視線を無視しきれなくなったであろう御堂筋くんが物凄く嫌そうな顔を上げた。



「なんやキモいな、じろじろ見んといてくれる」
「ねえ御堂筋くん!これわかる?」
「ハァ?」


御堂筋くんは嫌そうな顔のまま私の手元の問題集に目を寄越した。右から左へ目線を数度滑らせて、



「…ナンシーはいままで飛行機に乗ったことがなかったので機内でとてもピリピリしていました」


ぼそっと呟いた。


「すごい!」
「こんなんも解けんて…ププ、キミ頭やばいんとちゃう」
「英語は苦手なんよお!なあ御堂筋くん、私知ってるんよ、御堂筋くん勉強得意やろ?英語だけでええから教えてくれへん?」
「…キミ、プライドいうもんはないの」
「お願いやから、このままやと休み明け部活に出られんようなってまうんよ」


英語の先生は鬼みたいに怖い。課題遅れには強制居残りで厳しく対処する。部活があるんですけど、なんて言い訳をしようものなら向こう30分はお説教だ。……経験者は語る。ここまで来て上級生のプライドがどうとか言ってる場合じゃない。課題が終わるなら安いものだ。なんでボクが、とかぶつぶつこぼしながら、顔の前で手を合わせて必死に拝み倒す私を、御堂筋くんは値踏みするように無遠慮に見た。
それから小さく頷く。


「…1ページだけやよ」
「ありがとう!御堂筋くん!」







結局、御堂筋くんは最低限の説明を付け加えながら約束の一ページを軽く終わらせてしまった。感嘆の声を漏らす私に、無駄な時間使ったわ、と冷たいことを言うのは忘れずに。でも、今ならどんな暴言も気にならなかった。教えてもらえただけ奇跡みたいなものだろう。


「ほんまに御堂筋くんは頭ええんやなあ」
「キミができんだけや。こんなお勉強できんで将来どうするん」
「……どうしよかなあ」


将来、か。私もあと半年とちょっとすれば三年生だ。未だに将来やりたい仕事とか夢とか、そういうものはぼんやりと曖昧なままだ。


「み、御堂筋くんは将来の夢とかないん?」


間近に迫った分かれ道から目をそらすように、私は御堂筋くんに返した。


「なんでキミに教えなあかんの」
「だって気になるよ、頭ええんやから色んなことできるやろ」



御堂筋くんはそのまま言葉を継ぐことはなかった。まあ、あっても私には教えてくれないだろうな、というのは簡単に予想がついた。沈黙のなか、せっかく繋がりかけていた会話のキャッチボールが途切れてしまったことだけは残念に思いながら、私が視線をよそへ向けた時、意外にもその答えが返ってきた。



「……プロのロード選手や」
「え!そうなん?」


思った以上に具体的な夢に、ちょっと驚いた。
御堂筋くんの選手姿を思い浮かべた。5年後、10年後も、今みたいにびっくりするくらいきれいな歯並びを見せながら、両手を上げてゴールをくぐる御堂筋くんがすんなり思い浮かぶ。これ以上ないくらいにしっくり来るものでつい笑いを漏らした私に、御堂筋くんは眉間にシワを寄せた。


「悪いん」
「ごめん、バカにしたんやないの。御堂筋くんにめっちゃぴったりやなあと思って」



御堂筋くんは珍しく、ちょっと面食らったような顔で口を閉ざした。私何か変なこと言ったかな。眉間のシワは消えている。そのまま視線を下へ向け、ゆっくりと何度か瞬きをした後御堂筋くんは、いつものように鼻で笑った。



「……キミにわかったような口きかれたないわぁ」


きつい言い様もいつも通りだけど、その声は、突き放すでもなく、刺を含むでもなく響いた。一応、怒らせた訳ではなさそうだ。


「くだらんおしゃべりしすぎたわ。あとは自分で必死こいて解きや」



サボって手止めたらどつき回すで、とにやにや笑いながら御堂筋くんは頬杖をついた。そうだ、課題。しゃべっている暇がなかったことを思いだし、また私はノートとの長い長いにらめっこに戻った。



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