09



インターハイが終わり、ほんの数日間ではあるけど京都伏見自転車部にも夏休みが来た。本格的に練習を再開する前に、体を休めて今までの疲れをとるためのリフレッシュ休暇と言うやつだ。しかし、私はリフレッシュとかそんな甘っちょろいことを言っている場合ではなかった。夏休み最大の敵、宿題によって。

どうにかこの休み中に夏休みの宿題を終わらせたい、と取り掛かった私は早くも行き詰っていた。テレビもある、自分一人の部屋もある家じゃ全く集中できない。元から勉強はあまり得意でない上に、終わりの見えない宿題と言う作業に私の心は早くも折れかかっていた。それなら、と気分転換もかねて私は家を飛び出し、自転車で三十分ほどの我が京都伏見高校までやってきたのだった。



しんと静まり返った自習室の空気は涼しい。私のように家では集中できない生徒の為に、自習室は夏休み期間中も解放されている。冷房もしっかり完備されているのは私立高校の特権だな、と私は思う。部屋の中には数人の生徒が仕切られた机に向かっていたけれど、みんな口を開くことなく真剣な顔でシャーペンを走らせている。ここなら私も集中できそうだ。足音を憚るように人の後ろをすり抜けて、窓際の席に座った。










窓にかけられたブラインドの隙間からオレンジ色の西日が差しこむのに気が付いた。他の生徒たちも一人、また一人と席を立っていく。
我ながらなかなか捗ったんじゃないの、と誇らしい気持ちで書き込みの終わったプリントの束を眺めた。


「(まあ、終わっては、ないんですけど)」


たとえ終わってなくてもここまで努力したことに価値がある。間違いない。このペースならきっと31日までには終わらせられるはずだ。そう結論付け、私も荷物をまとめ始めた。






昇降口を出ると、昼間の暑さの余韻がわっと纏わりついてきた。薄紫の空を見上げながら、途端にじわりと汗ばむ首筋に、早く帰ってアイスでも食べたいなあ、と伸びをした。

自転車置き場への道は部室棟のそばを通る。夏休みでも練習のある部は多く、ちらほらと明かりがついているのが見えた。何気なく目をやった先、自転車部の部室の窓からも明かりが漏れている。


「(誰か来とんのやろか)」


窓から中をうかがうと、部室の奥に一つ置いてある机に、御堂筋くんが向かっていた。手元のノートは、練習日誌だろうか。そんなものマメにつける人なんだ。





「御堂筋くん!」


正面に回りドアを開けると、御堂筋くんがびくっと顔を上げた。


「なんでおるの、しばらく部活休みやのに」
「関係ないやろ。自主練いうやつや」
「体調は?もうええの?」
「キミに心配されるまでもないで」
「そっか、よかった」
「……」


何か言いたげにこちらを見た御堂筋くんだったけど、まあいいか、とでも言うように目線をまたノートに落とした。
そのまましばらくかりかりと何かを書き込んでいたけど、私がその場から立ち去らないことに気づいてか、御堂筋くんはまた振り向いた。


「帰るんやないの」
「帰るよ?でも御堂筋くんがどんなこと書いとるんか気になって」
「やめや、人の日記気にするなんて趣味悪いでぇ」
「ええやん、恥ずかしがらんと見せてよ」


机の上を覗き込もうとすると、御堂筋くんは自分の体でガードするように私に背を向けた。そんなに隠すと逆に見たくなるでしょ、見せてよ、とその体の向こうに手を伸ばした。御堂筋くんの細長い腕に邪魔されながらそれをすり抜けて、あともうちょっと、というところで足元をずるっと踏み外す。


「あ、っ」


ぐえっ、と変な声を上げて御堂筋くんが机と私の板挟みにされた。ただでさえ普段から折れそうに細い御堂筋くんの背中は骨ばっていて私もそれなりに痛かったけど、たぶん御堂筋くんのほうが痛かっただろうなあ。あごと机がぶつかって、ごん、と結構勢いのいい音がした。




「早ようどきや!」


苛立ちに満ちた御堂筋くんの声が二人だけの部室にやけに大きく響く。なんとなく居たたまれなくてさっと離れた。御堂筋くんは威嚇するように歯を剥いてこちらを睨む。



「………ほんまキモいわ」



体勢と崩れた服を直しながら御堂筋くんは早口に小声でそう呟いた。ちょっと調子乗りすぎたな、と思った私も小さく謝った。ごめん。

さすがにすぐ近くに座る気にはなれず、ちょっと離れたところに座りなおした。






「…もうええわ、やめる」



キミがいると気散るわ、と御堂筋くんは首を鳴らした。それなら私も帰ろうか、と立ち上がろうとした時、こちらをじっと見る視線に気が付いた。




「?」
「……キミは、なんでマネージャーやっとるん」
「私?」



ため息とともに唐突に尋ねられた言葉に、何の脈絡もないなあ、と思って問い返すと御堂筋くんは頷く。


「自分で走らんの、勝つのが自分やなくてええの」
「私は…頑張って走っとる皆を応援するのが好きやから…皆が勝ってくれたら、私も嬉しいわ」



私の答えを御堂筋くんは小ばかにしたように鼻で笑い、ありきたりや、と言った。ありきたりすぎてあくび出てまうわ。だよねえ、と私も少し笑う。もちろん笑顔が返ってくるはずもなく、御堂筋くんは途端につまらなそうな顔をするのだった。


「前から薄々思っとったけど…キミ、ちょっと石垣くんに似とるとこあるな」
「私が、石垣先輩に?」
「そういう、人の為とかなんとか本気で言うキモいとことか、折れてもめげんウザいくらい前向きなとことかや」



思わず、何度か瞬きを繰り返してしまった。キモいとかウザいとかがちょいちょいはさまれているのを聞かなかったことにさえすれば、思ったより悪くは言われてない気がする。っていうか、石垣先輩のこと、そんな風に思ってたんだ。意外とちゃんと見てるじゃないか、と感動に近い気持ちが胸に広がる。


「意外やわ…」
「何が」
「御堂筋くん、結構人のこと見とるんやね。そういうん、全然興味ないかと思ってたわ」
「…ボクは隊長や言うたやろ、隊長が隊員のこと知らないわけないやんか」


呆れたように目を細めながら御堂筋くんは続ける。


「部員のこと、他の学校の奴らのこと、コースのことも余さず徹底的に調べ上げた上で作戦は立てるもんやよ」



言われてみれば、確かにそうだ。インターハイのときだって、どこから手に入れたのか、御堂筋くんは他校の有力選手について来歴から嗜好、プライベートにいたるまで事細かな情報を調べ上げていた。それはもう、徹底的に。
ようやく、納得がいった。御堂筋くんは、御堂筋くんの行動のすべては、ただ勝つためだけ、それに尽きる。もちろんそれで何をやってもいいということにはならないけど、悪役じみたパフォーマンスも、徹底した独裁チーム作りも、御堂筋くんにとっては厳しい練習と同じ、勝つために積み上げてきたものだったんだろう。
それにくらべて、私はどうだったか。もちろん、勝ちたい、勝ってもらいたいって気持ちはある。でも、勝つこと、そのために御堂筋くんほどの覚悟はあっただろうか。


「私ね、今年の目標、インターハイに出ること、欲を言えば上位入賞やて、思っとったんよ」
「はぁ」


皆で仲良く楽しくやれればいいって、それに結果がついてくればいいって、いつの間にかそういう気持ちで応援していた。でも、そんなんじゃ甘かった。こんなに本気で真剣に、優勝しようと努力している人がいるのに。



「私の志が低かったわ。来年は完全優勝、それ以外あらへん。私、全力でサポートするからどんどん頼ってね!」
「……」


ノートをカバンに詰め、御堂筋くんは手をひらひらと振った。



「そら嬉しなあ、百人力や」
「一緒にがんばろな!」
「嫌味やよ、気づき」



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