06






「か…帰ってきますよね、御堂筋くん」


不安をごまかすように水田くんが笑う。誰もそれに笑い返せないまま、御堂筋くんが消えて行った道の先をただ見ていた。




全部、シナリオ通りだった。初日、スプリントリザルトも山岳リザルトも捨ててペース維持に徹した中盤から、一気にトップ集団を追い上げてそのまま1位を獲る。インターハイで御堂筋くんが掲げた完全優勝という目的達成の為に作られた作戦、それと寸分の狂いもなくレースは進んでいった。このままなら本当に完全優勝も狙えるかもしれない。開始前まで半信半疑だった部の空気は上がり調子に良くなっていった。

はず、だった。


二日目のレースを終え、京伏の順位は3位だった。全国の並み居る強豪を抑えての3位。総合9位だった去年に大差をつけた大躍進だ。すごい、とおおはしゃぎで選手を迎えた私の目に、この結果の立役者、御堂筋くんは見当たらなかった。




「どうする、石やん…明日のレースは…」
「ほんまに御堂筋抜きでいくんか?」


井原先輩と辻先輩が不安そうに石垣先輩を見た。石垣先輩はさっきからずっと何かを考えるように口を噤んでいる。



御堂筋くんが勝利にかけていた思いの丈を、私は知らない。

完全優勝の夢は消えてしまったけど、まだ全てが終わったわけじゃない。三日目、最終ステージの総合優勝だって残っている。そんな、去年のうちにとっては雲をつかむような話だって、御堂筋くんとなら叶えられると思った。

そうしていつの間にか、御堂筋くんに引っ張ってもらうことが当たり前のようになっていた、そんな都合のいい自分に気づいてしまった。いつだって御堂筋くんは不敵にそこにいて、私たちを道具扱いしながらも導いてくれる。そんな御堂筋くんに勝手な夢を見て寄りかかり、ただ優勝だけを見据えていた御堂筋くんのことを、理解できていなかった。



「(……マネージャー失格や)」


思えばいつだって、御堂筋くんは勝つことだけを考えていたのに。私は御堂筋くんをチームになじませることばかり考えて、肝心の御堂筋くん本人を理解しようとはしていなかった。
そうして折れてしまった御堂筋くんの、支えになることもできずに。


そんな私の心中はよそに、石垣先輩が顔を上げる。


「御堂筋は心配やけど…とりあえず今日は休まな、明日もまだレースはある」


でも、と誰かが声を上げた。御堂筋がいないまま、明日走るんですか、と。


「御堂筋は…帰ってくるよ。きっと。俺はそう思う」


そう言った石垣先輩も、自信があるなんて顔はしていなかった。不安は消えない。それでも、レースの開始時間は刻々と近付いているのだった。








湯上りの髪をタオルで乾かしながら、旅館の人が敷いてくれた布団に座り込んだ。いくら吐いても減らない、深いため息が漏れる。ふと、携帯の電話帳を開いた。
御堂筋翔、と書かれたページ。ちょっと前にどうにか教えてもらったきり、一度もかけることのなかった電話番号を眺めた。御堂筋くんは、今どこにいるんだろう。本当に、京都に帰る、その道の途中なのかな。
少し躊躇ってから、その番号に触れた。今更、電話なんてして何か変わるのか、と。自分でもそう思う。こんなことさえも自己満足だと言われてしまったら、返す言葉もないだろう。それでも、私は御堂筋くんと話がしたかった。


「(…なんて、)」


そんなことを言えば、また、いつもの調子でキモいって言われるかな。
それでもよかった。なんて言われてもいい、今どうしているか、知りたい。

通話ボタンを押した。携帯を耳に当てると、しばらくの呼び出し音の後、ぷつっと無音が始まる。私は思わず身を乗り出すように話し始めた。


「御堂筋くん?!私、みょうじです!今どこに…」
「おかけになった番号は、現在電波の届かないところに…」


間を置いて聞こえてきたのは抑揚のない女の人の声。どうすることもできずその音声を聞いていた。
予想通りと言えば、予想通りか。御堂筋くんが私からの電話なんかに出ないことくらい、最初からわかっていたはずなのに。この期に及んで私は何を期待してたんだろう。
ピー、という音がした。とにかく、迷っている時間はない。意を決して私は口を開いた。


「御堂筋くん、あのね…」


すぐに、言葉が続かなくなる。御堂筋くんに言いたいことはたくさんあるのに、そういうの全部が絡み合ってうまく出てこない。


「……ごめん。待っとるから、帰ってきてほしい」


ようやく絞り出した言葉は、自分でも情けなくなるくらいに平凡で単純なものだった。
こんなので、少しでも伝わるだろうか。伝わらなくても、せめて聞いてくれさえすればいいと、ただそう思った。









ろくに眠れた気もしないうちに、最終日の朝は来た。
じりじりとした日差しの下、携帯を見る。あれから何度も確認したけど、結局返事は一度も来なかった。
スタートまでもうあまり時間がない。きっとこうなることも予想はついていたし、私は私の今すべきことを全うすることしかできない。深呼吸をして、コース内の選手に呼び掛けた。


「皆さん、あと一日、頑張ってください!」


御堂筋くんを探すようにきょろきょろとしている水田くん、まだ腹を決めかねた顔の辻先輩のボトルや補給食も最後の確認をし、石垣先輩の目の前まで来た。


「はい、石垣先輩」
「ああ…」


差し出したドリンクを受け取る石垣先輩の顔は浮かない。ほんの一口だけ口をつけて、それはすぐに私の手へ返される。
そのまましばらく思いつめたように俯いてサイコンをにらんでいた先輩が、勢いよく顔を上げた。


「先輩?」
「…もう一度だけ探してくる」


そう言うと石垣先輩は自転車を水田くんに預け、ビンディングシューズのまま走り出した。


「先輩!どこ行くんですか!」
「すぐ戻る!」


先輩は人ごみをかき分けて、あっという間に見えなくなってしまう。気づけば、私も後を追うように走っていた。







レース開始まで、あと2分を知らせるアナウンスが響く。


「石垣先輩!もう戻らな、レース始まりますよ!」


走る石垣先輩を追う。リミットは近い。このままでは、石垣先輩まで出走できなくなってしまう。焦る私に、振り返ることなく石垣先輩は叫んだ。


「それでも、俺は御堂筋を連れて行かなあかんのや!このレースに、ゴールに、一番で!」


そんなの、できることなら私だって。

そう言いかけた声は出せないまま口を閉じた。御堂筋くんはいない。どうしたって、御堂筋くんを見つけることも連れて行くことも、できはしないのに。
その時、後ろで叫び声が聞こえた。反射的に振り向いた先に見えたのは、銀色のデローザに、京都伏見のジャージ。


「アカンやろ、こんな時間にこんな所でうろついとったら…石垣くん」


戻ってくることはないと思っていた、御堂筋くんがいた。いつもみたいに、びっくりするくらいきれいな歯並びを見せて、誰にも負けないって不敵な顔をして。


「キミはボクのアシストなんやから!」










「御堂筋くん!!」


スタートラインについた御堂筋くんを、とにかく夢中で呼んだ。もう、かける言葉は一つしかなかった。


「勝って、な」


今度こそ御堂筋くんのこと、ちゃんとサポートするから。総合優勝、それだけを目指す御堂筋くんのこと、ちゃんと信じるから。

御堂筋くんは憮然とした表情で、歯をかちんと鳴らした。


「そんなん当たり前やよ」


ボクを誰やと思とんの、御堂筋翔くんやで。


走り出したその背中に、泣きそうになった。



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