「馬鹿!」
手の平が頬を打つ、あの痛々しい音が教室に響いた。教室の中が波が退くように静まり返った。世津は自らが出せる渾身の力で黒都を打ったのだった。泣きこそしなかったものの、それを防ぐためには顔を歪めるしかなかった。そしてじっと黒都を見つめ、もう一言馬鹿と言ってから世津は教室を出て行った。黒都は自分が叩かれたのだと認識するのも忘れ、打たれた衝撃で尻餅をついたまま呆然としていたのだった――…





今日も帰り道は一人だった。あの日から黒都と会っていない。
世津が徹底的に黒都を避けていたせいで、幸か不幸か二人は全くと言って良いほど出会わなかった。

(寂しいなあ)
思ってすぐに我に返った。寂しい、なんて気持ちは久方ぶりだった。長らくそんな感情は忘れていたのを思い出す。
(…感化されてしまったのだろうか)
それとも。
そういえば、黒都と再会してから自分の周りに人が増えた気がしている。しかし黒都の人柄に惹かれて集まる人達だ。黒都と繋がりがあるから世津の所に来るわけで、彼がいなくなればきっと前と同じに戻るだろう。一人が好きな、少し変な相沢さんに。
大体本来自分と彼は住む世界が違う。彼は特進クラスで、自分は学校でも有数の落ちこぼれの集まりのクラスなのだ。黒都が世津のクラスに来れば人の良い友人の大半は歓迎するが、世都が黒都のクラスなどに行けば奇異と好奇の目線に晒されるだけである。
「世津!」
聞き覚えのある声だった。




「黒都」
来るな、と震える声を抑えて世津は言った。向き合ってはいるが目はあっていない。彼女には今の状態で顔を上げるほどの気力はなかった。
世津は黒都の茶色い瞳が好きだった。じっとそれを覗くのが。それをすれば、自分がどこに居たって這い上がれる自信があったのだ。だから今世津は顔を上げたくなかった。上げれば黒都に全てを見透かされてしまう――――それは自分のなけなしのプライドにかけたって、堪え、許せる自信がなかったのだ。
「私、お前と再会なんてするんじゃなかった…」
瞬きをしないよう必死だった。下を向き、走馬灯のように廻る思い出を噛み締めていた。ちりちりと脳髄を燃やすそれは今考えても正直とても断ち切れるようなものではない。だというのに世津の心は確かに、どこかで拒絶を指針していたのだ。不可能を可能にしようともがく自分がいて、そんな己を冷静に黙視している自分がいて。どちらも事実。それに失笑は無い。ただただ無表情。脳髄は常に火に晒され炙られていると錯覚しそうなのに当の場所以外は背筋が凍りそうな程冷たく敏感だった。冴える筈もない思考は茹だっていたが、それはそれで心地良かった。


title:有るようで無い
-------
いつか言ってた相沢と黒都
オチはない

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -