「例えば此処に、君のお気に入りのティー・カップがある。それから此方には、飲みもしない癖にデザインが好きだからと君が買ってきた、あの、デミタス・カップがあるとする」
「唐突なお話しね? ……それで?」
「ああ、それでこのふたつに、同じ液体を……紅茶でもエスプレッソでもいいけれど、まぁ、水にしようか。水を満たす」
「ええ」
「その、ティー・カップに満ちた水が君の愛情のすべてで、デミタス・カップに満ちた水が僕の愛情のすべてだとしたのなら。どちらも十分目まで入っているくせ、その量には差異が出るんだ」
「あら、そういったお話しだったのね」
「……それって、狡いと思わないか?」
「まぁ。あなたがかしら? それとも、私が?」
「君に決まっているだろ。僕がどんなに、精一杯、愛しても、君はそれを軽く越えてゆく」
「そうかもしれないわ。それが、不服だというの?」
「不服さ。君って人には、驚かされてばかりだ。そう――屈辱なんだ。どんなに君を想ったって、君に追い付けなければ意味が無い」
「そうかしら」
「少なくとも僕は、そう感じるよ」
「ねぇ、でも、私だって不服だわ?」
「……、何がさ?」
「今日も私、プールで好きに泳いできたわ。一寸休憩にしましょう、と思ってプールサイドで休んでいたら、うっかり、うとうとしてしまって。あなた、あんまり遅いものだから、私を起こしに来てくれたわよね」
「……話が見えないな」
「あなたの精一杯がデミタス・カップならば、私の愛情の精一杯はあのプール、って言いたかったの」
「……絶望的な回答を有り難う」
「どういたしまして。……でも、流石に嘘よ。安心なさって。私の愛情は、きっと、バスタブくらいなのだわ」
「……と、騙されるところだった。プールからバスタブ、って聞いて、一瞬安心しかけたじゃないか。プールだろうがバスタブだろうが、デミタス・カップからしたらとんでもない量には違いない」
「ふふ」
「誤魔化されないからな」
「誤魔化そうだなんて、思っていなくってよ。……ただね、あなたがそんなことを考えてくれていたのだなぁって、思うと、胸の辺りが喜ぶの。……ねぇ、でも、考えてもみて? デミタス・カップ一杯の愛情は、尊いものだわ。だってバスタブから少しくらい水を他所にやったって代わり映えしないけれども、デミタス・カップの水は少し減っただけでも、すぐに気付いてしまうもの。それってとっても、愛しいことだと思わない?」
「つまり僕は、君が愛情を他所にホイホイやらないように、常に見張っていなければならない、って事じゃないか」
「あら、いいえ、見張っていなくても結構よ? あなたにお任せしますわ」
「……やっぱり、狡いよ、君は」
「でもね」
「うん?」
「“あなた”のデミタス・カップにはやっぱり、エスプレッソが似合うと思うの。私はそのカップで、カフェ・ロワイヤルを作りましょう。真っ白な角砂糖に飴色のブランデーを染み込ませて、青い炎を灯すのよ……きっと、とても美味しいのでしょうね……」
「みちる」
「……なぁに?」
「抱き締めたい」
「……はるか。強引に抱き寄せるだなんて、紳士的じゃなくってよ……?」
「いいじゃないか。僕は紳士じゃ無いのだし」
「そうね、その通りだけれど……」
「僕を、“君”のバスタブで窒息死させてくれ」
「そんなの、いや。私をひとりにしないで」
「なら、せめて、君の気に入りの花をたっぷり浮かべて、浸からせて。お湯がすっかり冷めてしまっても、何時間でも、浸かっているから」
「風邪をひいてしまうわ」
「構わないさ」
「なら……明日、抱えるほどの花束を、あなたに贈ることにするわ」
「それじゃあ僕は、エスプレッソ・マシーンとブランデー、それから角砂糖も買って来なきゃ」
「ロワイヤル・スプーンをお忘れなく、はるかさん」
「ああ、そうか。必ず探してくるよ」
「そしてもうひとつ、探してきて戴きたいものがあるの……」
「何?」
「デミタス・カップ。あなたの気に入ったものを」
「カップはもう、あるだろ?」
「だから、一緒にいただきましょうよ。……ね?」
「そうか」
「ええ」
「でも不公平は無しがいいな。バスタブ、一緒に浸かろうか」
「よくってよ。但し、冷めないうちに上がって下さるのなら」
「……はは。君には、どうしたって敵わないな。狡いみちる」
「もう、まだ狡いだなんて……」
「……が、好きだよ」
「…………」
「あ。赤くなってる」
「あなたこそ狡いじゃない。不意打ちだなんて」
「明日が楽しみだ」
「……そうね、明日が、楽しみね」
20111004
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