茶碗


 その茶碗はずっしりと重く、よく手に馴染んだ。ザラザラとした肌触りが心地よい。全体的に肉厚だが、飲み口の数センチだけ土が薄く整形されている。指による無骨な痕跡はなく、ただただ滑らかであった。派手な主張などなく、落ち着いた雰囲気を醸す茶碗は侘び茶の数寄道具として相応しかった。茶の道を知らぬ学生が整形したにはあまりにも美しい。
 澪子は目を閉じた。その茶碗に濃茶を練り、給仕する自分を想像する。夕闇に沈む海の様な不思議な色をしたそれに触れているだけで、心が凪いでゆく気がした。正に、この街で海を愛する澪子の為にあるような茶碗だと思った。
 澪子は茶碗の製作者である水野真澄を見上げた。座っていても、視線は彼の方が頭ひとつ高い。涼しげな彼の目は、真っ直ぐに澪子を見据えていた。少し緊張した面持ちである。
「どう思う」
 それは、彼が半年に及ぶ工芸の授業で、経験を積んだ上で制作されたものだ。茶道を嗜むという澪子の為に、授業の集大成として拵えた。澪子は茶碗に目を落とすと、愛おしそうに撫でた。あのゴツゴツとした真澄の手が、数日かけて整形したものだ。澪子はその工程をじっと見ていたのだ。軽く緻密な整形を何度も何度も重ねた、苦労の結晶だ。その手間を知っているからこそ、澪子の為にと手渡された時には嬉しかった。真澄は、澪子の誕生日までそれが彼女への贈り物であることを明かさなかったのだ。
「この茶碗に触れていると、真澄さんの大きな手で包まれている様な気がします」
 そう言って澪子が茶碗の縁に唇を触れると、真澄は頬を染めた。澪子は真澄の茶碗を、何か愛おしい、儚い命を手にした様に扱う優しい小さな手を、真澄は愛おしいと思った。彼は緊張を解いて頬を緩める。
「気に入ってもらえたのなら良かった」
 澪子は慈しむ様に茶碗をもう一撫でしてから、そのままの眼差しで真澄に視線を向けた。真澄は己の心臓が高鳴るのを感じた。口元に小さなたおやかな笑みを浮かべている澪子は、本当に幸せそうに見えた。顔の作りはあどけないのに、その表情は分別のある大人のものだった。
「この茶碗で、真澄さんにお茶を立てて差し上げたいの」
 凪いだ海を掠める夜風のような声で言うと、澪子は優しく茶碗を畳に置いた。真澄が頷くと茶道具を用意し始める。一つ一つの動きがなめらかでたおやかで、そして淑やかであった。まるでこの茶碗がそのまま人間になったかの様だった。澪子は美しかった。

お題:即興小説トレーニング 様より『軽い整形』



表紙

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