選抜合宿に於いて、300人の中から50人を振るいにかけるべく行われたボール拾い。
中学選抜50名全てがボールを獲得し、高校生たちの半数以上が遅れを取る形となった。
そんな中、ポツリと落ちた一個のボール。
我先にとボールへと群がる高校生たちを嘲笑うように、軽やかに宙を舞った黄色。
そしてそれは鮮やかな軌跡を描き、小さな掌へと落ちた。
「ちぃーっす」
選抜合宿の中。
現れた一陣の風は、新たなる喧噪を巻き起こした。
◆◇◆◇
「『ちぃーす』じゃねぇ。突然いなくなりやがって!」
「く……苦しいっス……桃先輩」
「おチビぃーっ!!!!」
「い……痛いっス……英二先輩」
唐突に現れた闖入者に真っ先に走り寄ったのは、青学の桃城と菊丸。
二人に揉みくちゃにされた小柄な少年──リョーマが、二人の過剰な歓迎に不満を口にするが、桃城と菊丸は聞く耳持たず。
数ヶ月ぶりの再会に可愛い後輩を構い倒してくれる。
そして二人に続いて周囲へと近付いてくる見慣れた面々。
「心配したぞ越前!全国大会三日後にいきなり姿を消すなんてー!?」
「越前がここに呼ばれる確率120%……。データ通り」
「フシューッ」
「ウェルカムバァーク!!!!」
大石、乾、海堂、河村と。
個性豊かな出迎えの言葉に、リョーマからは溜息とともに帽子を目深に引き下げる事で挨拶。
「相変わらずっスね。先輩達……」
あまりに記憶と変わりない彼等には喜んでいいやら呆れていいのやら。
しかし、リョーマとの再会を喜ぶのは何も彼等だけではなく。
青学の面々に囲まれたリョーマを遠巻きに眺めていた者たちも同じ事。
「フフ……変わらないね。あのボウヤは」
「あんチビ!やっぱ呼ばれちゅーさぁ英四郎!」
「うろたえないで下さい田仁志クン」
「うーん。役者だねぇ」
「……そうか分かったぞ。ワザと後から登場して目立とうと……。ちくしょう……相変わらずムカツク一年だよな。今回こそブッ倒そ。……でも橘さんはチームだから協力しろとかいってたし……。スキを見てやるしかないなぁ……あーあ……」
「やっぱカワイイわねぇ」
多種多様な反応ながら、リョーマの登場は少なからず波紋を投げかけており。
全国大会決勝に於いてのリョーマの功績は、既に周知の事。
更には面々が浮足立つ理由がもう一つあるのだから、この喧噪も至極当然だ。
青学に囲まれ、揉みくしゃに揉まれるリョーマがその輪から漸く抜け出した頃には、青学を囲むように他校の輪が出来上がっていたのも頷ける。
菊丸と桃城から漸く解放されたと安堵の息を吐いたリョーマの前に、ザリと砂を噛む音が聞こえたのはその直後。
俯けた視線を持ち上げれば、見慣れた顔の一つ。
「どうだった、越前。アメリカは?」
表情筋を揺らす事のない問い掛けは、やはり記憶にあるものと寸分の狂いもなく。
ニッとリョーマの口角が上がった。
「ちーっス部長。まぁまぁっスね」
手塚も青学レギュラーも変わりなければ、リョーマとて変わりなく。
生意気と評される物言いはまだまだ健在だ。
久々に顔を合わせた最大の好敵手に、リョーマの表情も表現豊か──好戦的な笑みに緩む。
試合の申し込みでもしようかと口を開きかけたリョーマだったが、見計らったかのように手塚との間には二つの影。
「あーん……。腕はナマってねぇだろうな?」
「たるんどる」
お決まりの台詞を吐きながら手塚を押し退けた跡部と真田。
その手には山積みのテニスボール。
呆れるやら感嘆するやら。
言葉なく溜息を吐いたリョーマだが、その後ろから。
「コシマエ勝負や!」
何かとリョーマとの試合に固執する遠山と。
錚々たる面子に囲まれ、フッとリョーマが再び口角を吊り上げる。
久々に逢えど、彼等(ライバル)たちにも変わりはないようで。
自然と期待に胸が踊るという物。
これからまた好敵手たちとのテニスに臨める事。
それは何よりの興奮と高揚を齎してくれる物だ。
ニヤリと不適な笑みを浮かべたリョーマに、好敵手たちもまた笑み。
互いの変わりない様子に、無言の喜びと期待を篭めて。
そんな中。
「ゴラァーッ!クソガキ共っ!!」
耳障りな怒声が蒼天に轟いた。
声の根源を振り向けば、浅黒い肌に金髪をこれみよがしに逆立てた高校生が、一人。
「一人で何個もボール取ってんじゃねぇよ」
唾を撒き散らしながら喚き散らす男から吐き出されるのは、ひがみともやっかみとも取れる発言。
如何にも脳の薄そうな奴ならではの台詞だ。
「そーいや侑士……。さっきコーチが“ボール取れなかった人は帰れ”って言ってたよな?」
「岳人……声がデカいでぇ」
クスクスと嘲笑混じりに男を揶揄る声は、氷帝のジャージを纏う二人組みから。
高校生がググと言葉に詰まれば、追い討ちのような言葉が更に立海大の中から。
「ひゃっひゃぁーっ残念!ちゃっちゃと帰っちゃって下さいよ!!」
『ボールを取れなかった方々は監督の意向通り速やかに帰宅しなさい!以上!』
立海大のトラブルメーカーと名高い切原の言葉に重なるように、選抜本部からの放送。
ボールを取れなかった者たちの帰宅を促す旨は、頭の軽い男の短い気線を切れさせるに十分だった。
「おいおい……。こんな乳臭ぇガキ共と俺達が入れ替わるってのかよ!?」
再び唾棄とともに怒声を響かせる男が、抱えていたラケットを振りかざす。
そして、侮蔑とともに周囲に立つ中学選抜者を見下ろした。
「試合だ……。テニスで決着つけようや」
男の発言に釣られ、脱落者たちから幾つもの同意の声が上がる。
高校生でありながら中学生にしてやられた事に憤怒しているのは、何も一人ではなかったらしい。
その喧噪の片隅で、ドサリと重い何かが下ろされる音。
「誰でもいい。自分の取ったボールを賭けて挑んでくる勇気のある奴はいねーのか!?」
下品な笑みとともに吐き捨て、男の目が中学選抜の者たちを順繰りと見渡し。
そして、ニヤリと歯を見せたかと思えば肩に担いだラケットをトンと数回弾ませる。
その時、フェンスの片隅に鮮やかな青がバサリと翻ったが、気付く者はなかった。
「おいそこのメガネどうだ?」
「……ん?」
男に指名された思しき手塚が、そちらに視線を投げた。
しかし。
「待ちなさいよ手塚クン……。彼は今私を指名しましたよ」
「いいえ木手君。私でしょう」
「なんや。眼鏡言うたら俺やろ?」
「アタシかも!」
木手、柳生、忍足、金色と。
眼鏡をかけた選手たちが次々と名乗りを上げ始める。
眼鏡というだけでは特定しきれなかったための誤算だ。
「…………」
「外すなよ乾……」
約一名程眼鏡を外して難を逃れんとした輩もいるようだが。
次々と名乗りを上げる者たちの中。
指名した張本人は予想外の展開に狼狽。
ググと歯を噛み締めながら一歩引き下がった。
フワリと微かな風が吹き過ぎ、コートへと舞い下りたが、男に気付く気配はなく。
噛み締めた口を怒声に張り上げた。
「ど……どいつでもいいから早くコートに……──」
「──もーいーかい?」
瞬間。
コートの中から響く甘やかなアルト。
背後からの呼び声に男が目を見開いて振り向けば、小柄な少年らしき人物が。
ネットに寄り掛かり、クスクスと楽しげな笑みを浮かべて。
下から覗き込むような視線と、その目許には眼鏡。
先までは存在しなかったその小道具を示すように、細い指先がヒョイとフレームを押し下げた。
「え、越前!」
驚愕に上がった大石の声。
そこには「また何をやらかす気だ」との思いが言外に篭められている。
しかし飄々とコートに立つリョーマに、大石の懸念を歯牙にかける気配はなかったが。
「何だチビ。またお前か」
苛立たしげな舌打ちとともにリョーマを睨む男。
見下した瞳を隠しもしないソレに、リョーマがニッと瞳を細めた。
「ガキはすっこんでろ!怪我すんぞ!」
「──おい佐々部……」
唾を撒き散らすのが癖なのか。
下品極まりない様で怒鳴り散らす男の後ろから。
帽子を被った長身の男が歩み寄った。
「俺に任せろよ」
名乗りを上げた男がリョーマを睨み、叫んでいた男──佐々部が嫌な笑みを浮かべた。
リョーマはと言えば、不適な笑みを一閃させたかと思えばコートの外へ。
「どーも部長」
「……全く」
かけていた眼鏡を片手で外し、傍観に徹していた手塚の元へ。
それはコートに入る間際、手塚から拝借した物。
試合ともなれば必要のない物だし、万が一壊しでもすれば後が恐ろしい。
「グラウンドは勘弁っス」
「…………」
とは言え、無断拝借の時点でお咎めは確定だ。
ならばと初めに釘を刺しておくに限る。
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