夜の帳が降りて久しく。
それぞれの家屋からも人工的な明かりが零れ落ちる。
夜とは言えまだまだ活動圏内である今、短針の位置は九の手前。
食事も風呂も済み、まったりと寛げる最たる時間だ。


「……………」


当然リョーマも入浴を済ませ、既に持参の寝巻姿。
ベッドの傍らに敷かれた自分用の布団の上に腰を下ろし、ベッドの縁に寄り掛かる。
抱きしめているのはクッションではなく、枕。
モフッと弾力のある羽毛に顔を埋め、覗かせた瞳で眼前の画面を眺める。
持参した寝巻。
ベッドの傍らの布団。
これらから言って、ここはリョーマの自宅ではない。
ついでに言えば東京でもない。
ここは大阪。
更に言えば、白石家の長男、蔵ノ介の自室だ。
全国で知り合った後、恋人といった間柄になって二ヶ月。
土日と祝日による三連休を利用し、初めての宿泊。
白石が東京に来るという選択肢もあったのだが、リョーマの父である南次郎に知られると面倒な事になるのは確実。
そのため、娘の初彼氏を見たかったと眉尻を落とす倫子と穏やかな笑顔の菜々子たちに見送られながら、リョーマが白石家に赴いた次第だ。
そして今、白石の自室。
宿泊していると言えど、基本が自由なリョーマの事。
そう甘い雰囲気になる事もなく、ましてや家人がいる中であからさまな態度を取る事は白石自身も気恥ずかしい。
そのため、リョーマは先ほどからテレビに。
白石は愛読書である植物図鑑を捲っている。
泊まる意味はあるのか、という程に互いに会話もなく。
約三十分はテレビの中から漏れる会話以外に言葉は飛び交わない。
リョーマが見詰めるテレビには、少し前に話題になったらしい恋愛映画が映し出されている。
暇潰しにテレビを起動させたところ、ちょうどそれが映し出された。
他に気になる番組もなく、東京とは違うチャンネル配置にも戸惑った事からそのままそれを見続ける事にしたらしい。
画面の中ではヒロインの女性を主人公が抱きしめ、彼女の涙に濡れた瞳を拭っている。
ブラウン管を介して聞こえる英語。
甘やかなテノールで囁かれる男の言葉。


『貴女がいなければ僕は息の仕方すら解らない。貴女は私にとっていなくてはならない存在だから。だから僕の側にいてください。ずっと』


男の言葉に女は更に涙を零し、その胸に縋り付く。
恐らくは感動なりなんなりを抱くべきシーンなのだろうが、眺めるリョーマにその気配はなく。
呆れたように瞼を下ろしただけ。


「……実際にこんなこと言われたら引くよね」


溜息とともに枕に頬を埋め、リョーマの指先が先程放り投げたリモコンを手繰り寄せる。
ポツリと呟かれたリョーマの台詞に読んでいた図鑑から顔を上げた白石が、首を傾げながらチャンネルを無造作に回す黒髪を見遣った。


「何?」

「別に。さっきの映画で男が女に言った言葉」


問い掛けには興味を欠いた返事が返り。
結局気に入る番組がなかったのか、テレビには面白くもなさそうなニュース番組。
諦めたように背中をベッドに凭れたリョーマを上から覗き込み、白石の手がまだ僅かにシットリと冷たい黒髪に絡んだ。


「どないな台詞?」

「んー。日本語にしたら多分、『アンタがいないと死んじゃう』とか『ずっと一緒にいてくれ』とか。そんな感じ。『いないと息も出来ない』とかも言ってたかな」


髪を梳かれる感触が心地良いのか。
トロリと伏せられた琥珀の瞳に、クスクスと白石の笑みが零れた。


「ンな台詞、実際言われたら引くよねって。重いじゃん」


猫のようとしばしば形容される瞳が開かれ、白石を見上げる。
同意を求めるような瞳は明かりを反射し、金にも銀にも映り込む。
白石の髪を梳く手が消え、見上げるリョーマの上で白石自身の顎へと向かう。
考えるように顎に手を添えた白石の仕種を訝り、僅かにリョーマが上半身を捻る。


「何?アンタは嬉しい?」

「んー。せやなぁ……」


思案する恋人に溜息を吐き出し、リョーマの手から枕が放られる。
寝るつもりなのだろうか。
布団を捲り上げたリョーマがベッドから背を離した。
しかし、その背が布団に転がるよりも早く。
伸びた手がその体を拾い上げた。


「わっ!ちょっ!何!」


唐突に変わった視界と浮遊感に抗議を上げたリョーマの体は、そのまま大きな温もりの中へ。
それが白石の腕の中だと気付いたのは、数秒後。
いったい何だと振り返ろうとした矢先。
耳朶に感じる吐息。
ビクリと一瞬肩が跳ねた。
そして、囁かれるテノール。


「愛してんで」


甘やかに掠れた、鮮やかな響きが耳朶を打った。


「自分がおらんねやったら息かてしたれへん。俺ンとこ、ずっとおっとって」


体を戒める腕が強まり、僅かな圧迫感。
そしてそれ以上の温もり。
哀願のように震えた声は、まだ終わらない。


「自分がおらんと……生きていかれへん。ここに……ずっとここにおって……」

「ッ…………」


低く、涙すら混じりそうな哀切。
鼓膜とともに胸すら震わせてしまいそうな響き。
知らず息を飲み込んだリョーマはただ、無言のまま頬を上気させるだけ。
返答の言葉すら浮かばず、囁かれた言葉の余韻に震える。
胸に浮かぶのは、嫌悪や億劫ではなく。
何故か、ただ、ただ純粋な……──。


「どや?重ったるいか?」

「──……は?」


瞬間、打って変わったような朗らかな声。
思わず間の抜けた声とともに背後を仰げば、甘やかな美貌が浮かべる微笑み。
そして、瞬時に理解する。
さっきの白石の台詞が全て、恋愛映画にて男が囁いた台詞そのままだと。


「リョーマ、あぁ言うん言われたない言うとったから。せやから、実際はどないやろ思ってな?」


ニコリと朗らかに微笑んだ白石はいっそ鮮やかで。
一瞬でも間に受けてしまった自分自身に、リョーマの顔が一気に赤く染まった。
怒りと羞恥に。


「ッ!莫迦じゃないの!」


白石のベッドに鎮座する枕を引っつかみ、彼の顔へとテイクオフ。
関西人ならではのオーバーリアクションによって倒れた白石から距離を取り、フンッと顔を背ける。
本気で受け取った過去が疎ましい。
時間を返せと理不尽な思いに胸中を埋め尽くされている。
頭を押さえながら起き上がった白石をギッと睨み付ければ、優しげな苦笑が降った。


「堪忍堪忍。揶揄う気ィはなかってん」

「嘘だ!」

「ホンマやて。せやって本気やし」

「だから嘘……は?本気?」

「せや」


怒鳴り散らそうと威嚇したリョーマが、ポシュと肩を落とす。
ポカンとした顔もまた愛らしく、クスクスと白石の笑みが零れた。


「本気やで?台詞は……まぁパクらしてもろてんけど、ホンマの事や。自分おらんかったら生きていかれへん」


白石の足がベッドを離れ、常には包帯に覆われた左手がリョーマの頬を撫でる。
グリップに傷付いた肌が、カサカサとリョーマの肌に触れた。


「せやから、ずっと一緒におってな?」

「────ッ!」


正面から齎された言葉。
そして愛しげに瞳を細めて微笑むから。
リョーマの喉が再び言葉を放棄した。
見開かれた瞳には驚き。
そして染まった頬には嬉しさが滲み出して。
白石の瞳が再び細められた。


「好きやで。リョーマ」

「……ン……」


囁きとともに落とされた唇にも、逆らう術を持たず。
ただ甘受するだけ。
そのまま体を布団へと倒されても、体格差のせいで抵抗も出来ない。
そう、体格差のせいだ。
抵抗出来ないのは。
胸に一人言い訳を連ね、僅かに離れた白石の唇を追う。
また妙な殺し文句を言い出さないようにと。
咥内に自分とは違う温もりが入り込んでも、持参したパジャマの中に違う指先が這い回っても。
抵抗出来ないのは体格差のせい。
決して、白石の言葉に感化されての事じゃない。
違うけれど。
僅かに離れた唇の合間。
濡れた吐息が絡む距離のまま。
リョーマの唇が、微かに揺れた。






◆◇◆◇







重い台詞は嫌い。
束縛も好きじゃない。
その筈なのに……貴方が吐いた言葉に震えたのは、紛れもない歓喜。
例え他人が吐いたならば重い鎖であったとしても、貴方が齎すならばそれは甘い芳香。
貴方でなければ、その言葉に意味はないのだと気付かされた。
だからこれはその仕返し。


『だったら俺の心臓はアンタだね』


貴方が離れたら、俺も生きていけないみたい。






END


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