解っていた、つもりだったけど。


「来ない……かぁ」


寄り掛かった柱。
本来なら温かい腕であるべき場所は、冷たいコンクリートの塊。
コツリと押し付けた頭に、微塵の温もりもくれない。


「……あーぁ。暇」


柱に頭を凭れたまま見上げれば、青い空。
絶好のテニス日和。
出掛けようと誘ったのは、リョーマ。
そして、それを承諾したのは向こう。
だけど、彼は色々と忙しい身の上。
待ち合わせ時間に遅れるとの報告が届いたのは、三十分前。
何時に着くのか、何故遅れるのか、何の理由もなく。
たった一行のメールだけ。
そういう人だってちゃんと解ってる。
面倒事は御免だって性格も理解してる。
だけど。


「……寂しいもんは……しょうがないじゃん」


凭れた柱から、ズルズルと崩れる。
柱の根本にしゃがみ込めば、何だか無性にやる瀬なくなった。


「帰ろっかな……」


きっと帰れば今日のデートはご破算だ。
拗ねて帰った人間をわざわざ迎えにきてくれるほど、あの人は優しくない。
我ながら、本当に男の趣味が悪い。
もっと他にいい男がいるだろうに。


「……………」


なのに、会えなくなるのが嫌でこんな所に女々しく蹲ってる。
腕に埋めた顔が、クシャリと歪む。
莫迦だ、莫迦。
本物の莫迦だ俺。
頭の中で自分を卑下してみても、やっぱり動く気にはなれなくて。
一層強く腕に顔を埋めた。


ジャリ……


靴の音が、目の前に。
明らかな意図を持って止まった靴音。
リョーマの数歩手前で止まったその足音に、バッと顔を上げた。
待ち人が、来たのかと。


「お、ラッキー。めちゃくちゃ可愛いじゃん」

「ねぇねぇ。君、一人?一緒に回んない?」


しかし、見上げた先にいたのは、ヘラヘラと軽薄な笑みを浮かべた男二人。
待ち人とは似ても似つかない下品な奴ら。
一瞬でも期待した自分に苦笑しながら、再び俯く。
こんなに早く来る筈ない。
むしろ来るかどうかも微妙なところだというのに。
ゆっくりと立ち上がり、柱に背を預けたままで男二人を見上げる。
取り敢えず、男二人を追い払おう。
彼が来るにしろ来ないにしろ、男に群がられている場所は見られたくない。


「……悪いけど。人待ってるんで」


視線は合わせず、出来るだけ素っ気なく。
嬉しくもないことに、ナンパに合うのは初めてではない。
だから、下手な言い訳をすれば更に調子付かせてしまうのは経験済み。
脳みそがちゃんと入ってる奴ならば空気が読める筈だ。


「えーでもさ。君みたいな可愛い子待たせる奴とか、マジ信じらんなくね?」

「だよなー。なぁそんなヒデェ奴ほっといてさ。俺らと遊ぼうよ。なんでも奢ってあげるからさぁ」


残念ながら、今回の奴らに脳みそは入っていなかったようで。
更に迫ってくるニヤケ顔。
気持ち悪いから、思わず顔を背けた。


「なぁいいっしょ?遊ぼうぜ」

「ちょっ!やっ!離せ!」


コイツらは莫迦の極みらしい。
嫌だって言ってるのに腕を掴み、勝手に連れ出そうとしてくる。
慌てて離そうと腕を振り回してみるが、握力は強いらしくビクともしない。
睨み付けてみても男たちには何処吹く風。
ズルズルと引かれるままに待ち合わせ場所から離されていく。
必死で暴れても全然駄目で。
待ち合わせ場所は既に人波に呑まれて見えなくなった。
と、いうかドンドン人気の疎らな場所に向かわれてる気がする。
これは、本気でヤバイのではないだろうか。
サッと血の気が引いた気がして、懸命にもがく。
男二人に囲まれて人気のない場所に連れ込まれるなんて、ロクな目に合う筈がない。


「無駄だよーお嬢ちゃん」

「そうそ。大人しくしてれば、酷い事はしないからねぇ」


既にお前らの顔が酷いんだよ。
と、胸中にだけ毒付く。
下手に口にすれば、自分の首を絞めるハメになりかねない。
とはいえ、ピンチである事に変わりなく。
どうにか状況を打開せねばと周囲を見渡す。
喚くリョーマに気付き、通り過ぎる人たちは何事かと視線を向けてはくる。
でも手を貸してくれる人はおらず、皆さっさと視線を逸らして通り過ぎてしまう。
薄情者っ!と頭の中で毒づいても、やっぱり現状は変わらず。
奥歯を噛み締めた。
もう、誰でもいい。
誰でもいいから。


「……すけて……」


このまま連れて行かれるなんて本気で冗談じゃない。
誰か……誰か。


──助けて……!


「──おい」


ギュッと目を閉じて喉奥に叫んだ刹那。
握られた腕に、新しい感触。
そして、聞き覚えのある声。


「ンだよテメェ」

「邪魔すんなよな。失せろやニィちゃんよ」


口々に言い募る男たち。
ソロリと瞼を開き、何事かと掴まれた手を見遣る。
そして、目を見開いた。


「コイツは俺様の女だ。失せんのはテメェらだろうが。アーン?」


ここに、いる筈のない男。
艶のあるテノールと、アッシュブラウンの髪。
仕種の全てが洗練されたように優雅な男。
跡部 景吾。


「な……んで……」

「さっさと来やがれ。リョーマ」


男に掴まれていた腕を引きはがされ、引き寄せられる。
抱き留めてくる腕が背中に回って、跡部の好むコロンの香りが鼻孔を擽って。
無性に、泣きたくなった。


「おら、失せろ。テメェらと遊んでやるほど暇じゃねぇんだよ」


リョーマの肩を抱き留めたまま、男たちに背を向ける。
後ろから男たちの怒号が聞こえてきたが、数秒もすれば収まった。
この男の事だ。
ボディーガードか、または樺地を連れていたとておかしくはない。


「…………」


暫し、無言のまま。
跡部に肩を抱かれたまま歩いて。
漸く足を止めたのは、先刻までリョーマが佇んでいた、待ち合わせ場所。
俯いて持ち上げない顔のために、跡部の表情が見えない。
どんな顔を、してるのか。


「……取り敢えず、ドーモ」


助けて貰った事は確かだ。
口先だけとはいえ、礼と呼べるだろう言葉を放る。
そして、次いで向けたのは背中。
これ以上話す事はないと、無言の拒絶。
直後、背後に聞こえる溜息。


「……遅くなって悪かった」

「……何が」

「止めに入んのがだよ」


背中越しに、跡部が柱に寄り掛かったのが見えた。
ポケットに手を突っ込んで立つ様は、だらし無くも見えるのに。
殊更この男がやると無駄に絵になる。


「……別に……助けてなんて……頼んでない」


半分嘘。
誰でもいいから助けてくれと叫んだ。
胸の中で。
口には出してないから、半分本当。
胸の中で叫んだから、半分嘘。
胸の前で作った拳を、ギュッと握る。
後ろから、ダークサファイアの瞳に射抜かれている気がした。


「──手塚か」

「っ!」


バッと勢いよく振り向くリョーマの先には、やはりと言わんばかりに吐き出された溜息。
呆れたように竦められた肩。
カッと頭に血が上って、左手を振り上げた。


「お前も懲りねぇ女だな。アーン?」

「っ……るさいっ!」


振り下ろされた平手は、跡部の秀麗な顔の直前で掴まれて、不発。
悔しくて幾らリョーマが睨み付けてみても、跡部の視線は変わらない。
いっそ、哀れみすら浮かぶような、憐憫の目。


「……辞めちまえよ」


グッと、掴まれた手に力が篭る。
すっぽかされたのは、今日だけじゃない。
あの人は──手塚は、多忙で。
デートだけじゃない。
泊まりも、会う事すらすっぽかされたなんて、ザラだ。
好かれてないんじゃないか、なんて。
両手両足の指を使ったって足りないくらい、不安になった。
それでも別れられないのは、リョーマ自身が手塚を好きだから。
諦めようにも諦めきれないから。
跡部が言っているのは、そういうこと。
別れてしまえと。
そうすれば楽になれるのだと。


「いつまでそうやって振り回されてんだよ。いい加減、我慢すんな」


跡部の言う言葉は、いつも正論だ。
今日だけじゃない。
過去にも何度か跡部とは出くわした事がある。
その度に、リョーマは待ちぼうけを食らわされていたのだけれど。


「……なぁ、越前。俺に、しとけよ」


捕まった手が、跡部の唇に触れる。
恭しく、捧げ持つように、厳かに。
指先に触れた乾いた唇の感触。
一瞬、ビクリと肩が跳ねた。
リョーマの思考が、瞬時にグシャリと崩れる。
見詰めてくる跡部の視線。
間近に。
リョーマは、手塚が好きだ。
それは間違いない。
誰よりも手塚を好きな自信がある。
けれど、不安なのも確かで。
跡部の言葉に、縋りたがっている自分も、真実。
手塚と付き合っていくのは、常に不安が付き纏った。
あの人は多忙で、結構自分勝手。
振り回されるのは、いつもの事。
不安で、寂しくて、悲しくて。
でも、生来の性格が涙を拒否する。
手塚の負担になりたくないから、泣き言も言えない。
苦しくて、仕方ない。


「あ……」


喉がカラカラに乾いて。
声が、上手く出せない。
跡部は、いつもリョーマとともにいてくれた。
手塚に待ちぼうけを食らわされても、一緒に待ってくれた。
何をするでもなく、ただ隣に座って。
一緒に、いてくれた。


「っ……」


縋って、しまおうか。
跡部の隣ならば、苦しくない。
寂しさなんて、感じないかもしれない。
手塚の隣は、苦しい。
嬉しいけれど、寂しい。
ならば、この手を……取ってしまおうか。


「跡……部さ……っ!」


応えてしまおうかと。
震える喉を開いた、刹那。
身体が後ろに引かれて、バランスを失った。
同時に、跡部の手から左手が擦り抜けた。


「……何を遊んでいる」

「っ!くに……みつ……」


引き寄せられて、抱き留められた頭上から。
響くヴァリトンヴォイス。
低く甘やかな、威厳ある声音。
待ち焦がれた物。
手塚 国光の声。


「世話になったようだな。跡部」

「……あぁ。まぁな」


リョーマの肩は手塚によって抱き寄せられ、跡部の姿が見えない。
しかし、跡部の声が明らかな不機嫌を物語る。
ゆっくりと跡部を見上げようと持ち上げられた視線はしかし、振り向いた手塚の身体によって遮られ。
そのまま背を向けさせられる。


「ではな、跡部」

「…………」


交わされる二人の会話を頭上に聞き、リョーマの瞳が緩やかに伏せられる。
結局、手塚の元に来てしまうのだと、自分の愚かさに自嘲しながら。










そして、リョーマは知らない。
跡部に背を向ける刹那。
手塚の口が、音のない呟きを発した事に。


『ア キ ラ メ ロ』


たった五文字。
けれど跡部にとって、何より屈辱的な言葉。
欲しい女が、手に入らないと知らしめられた台詞。
残る跡部はただ、蟠る苦さを噛み締めながら。
青く遠い空を、睨み上げた。




END


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