忍足侑士は、大変悩んでいた。
目の前に見える光景に。
その美味しさに。
大変に悩んでいた。






◆◇◆◇







恋人であるリョーマを自宅に招いたのは昨日。
就寝前に掛けた電話で約束を取り付けた。
青学の部活が終わる頃に、迎えに行くからと。
最初こそ遠いやら面倒やらと渋っていたリョーマを、何とか荷物持ちとファンタ三本で釣り上げた。
リョーマを招けるならばパシリだろうがファンタ一年分だろうがお安い御用だ。
むしろこうでもしなければリョーマは来ない。
……物で釣らなければならないとは、恋人としてどうなのかとは思うけれど。
兎にも角にも、漸くリョーマを自宅マンションに招き入れる事が叶った。
何を隠そう、リョーマはまだココに来たことがない。
どんなに誘っても『眠い』『やだ』『カルの餌買うから無理』など。
彼氏のおウチ訪問は飼い猫以下の価値なのかと地面に涙を染み込ませたのは一回や二回ではない。
しかし、漸く念願叶った。
是非悲願を達成させたい。
即ち、所謂“初体験”。
言わずもがな忍足自身に経験は既にある。
と、言うより結構な場数を踏んだ自負がある。
しかしリョーマは、となると話は別だ。
まだ中学一年に上がって間もない。
日本で言えば数ヶ月前まではランドセルだ。
そんな人間が経験済みとは到底思えない。
ならば、可愛い恋人の“初めて”の人間になりたいと念願抱いてしまうのは、男として──否、恋人として当たり前だろう。
付き合い始めて二ヶ月余り。
進展はキスのみ。
それも子供のように啄むだけの可愛らしいものだ。
そろそろ進みたい。
何より健全な青少年に我慢は非常によろしくない。
故に、漸くリョーマを招けたこの機に是非一歩先にと気合いを入れていた──のだが。


「……嘘やん……」


ガックリと項垂れる忍足の前には、このマンションに移り住む事になった当初に購入したソファ。
皮張りのソレは弾力もあり、肌触りも心地よくて忍足自身も気に入っている代物だ。
それはいい。
それはいいのだが。
そこに横たわる人物が問題だ。


「普通寝るかいな……」


長い睫毛を閉じ、スヨスヨと心地よいまでの呼吸を繰り返す恋人。
忍足が少し席を外したほんの数分の隙に、リョーマはどうやら夢の中へと旅立ったようで。
ファンタの乗ったトレイが酷く虚しい。
テーブルにトレイを置いてソファの傍らに腰を落とせば、無防備な寝顔が視界に飛び込んだ。
長い睫毛。
薄く開いた唇。
微かに上下する胸。
ソファに散らばる黒い髪。
間近に捉えたその光景に、忍足の瞳が俄かに開かれる。
もしかしなくとも、これはチャンスではないだろうか。
自宅、眠る恋人、無防備、隣の部屋は寝室。
据え膳とはまさに今この状態ではないか。
はっきり言って寝込みを襲うような真似は、趣味じゃない。
しかし、一度コトに及んでしまえば篭絡させる自信は──ある。
となればここはやはり、据え膳を戴いてしまうべきだろうか。
日本の諺にも『据え膳食わぬは男の恥』とある。
男としてこの美味しい場面を逃すのは如何なものか。
だがしかし据え膳を物にしたとして、その後が気掛かりだ。
リョーマの事だ、お触り禁止どころか絶縁宣言しかねない。
それだけは避けたい。
拝み倒す形で漸く付き合うことが出来たというのに、ここまで来て三行半を突き付けらるのは御免だ。
リョーマの愛らしい寝顔を眺めながら、忍足侑士の人生最大の苦悩が幕を開けたのだった。






◆◇◆◇







それから二時間。
結局のところ答えは出せず、忍足の姿は台所に。
食うにしろ食わないにしろ、時間は既に夕食時。
部活を終えたばかりのリョーマはさぞ空腹だろう。
ならば当面の為すべきは悲願達成よりもまずは夕食の支度。
あまりの決断力の低さに辟易しつつ、ガクリと落ちた肩のまま包丁を握る。


「……ま……焦ったかてしゃあないわ」


言い聞かせるように呟きながら、具材を鍋に。
取り敢えずは仕方がないと諦めよう。
それにまたチャンスは来る筈だ。
焦らなくても平気だ。
……多分。
コトコトと煮立つ鍋の中は、肉じゃが。
そしてグリルの中には秋刀魚。
和食党なリョーマに合わせて、本日のメニューは純和風。
夕食を気に入って貰えればこれから先に自宅に誘い易くもなるだろうと、自分を慰めながら。
香ばしい香を上げるグリルに、大きな溜息を一つ落とした。






◆◇◆◇







いい匂いが室内に漂って。
リョーマの瞳がパチリと開く。
モソリと体制を入れ換えれば、肩から毛布が滑り落ちた。


「……まだまだだね」


クスクスと小さな笑み。
ソファに肘を付き掌に顎を乗せながら、眺めるのはキッチン。
さっきまでウンウンと唸っていた男の後ろ姿を思い浮かべながら、ニッと口角を吊り上げた。


「ほんと、ヘタレ」


襲いたいなら襲えばいいのに。
口の中だけに呟き、再び転がる。
例え傲岸不遜で名を馳せるリョーマと言えど、初めて訪ねた恋人の家で寝こける程図太くはない。
最初から意識はしっかりしていた。
当然忍足の苦悩の呻きも聞こえていたわけで。
天井に向け、再び小さな笑い。


「先は長そうだね。侑士」


未だ背を丸めて後悔やら言い訳やらを脳裏に描いているだろう忍足を瞼裏に浮かべつつ。
差し当たっては夕食のメニューに思いを馳せる事にしよう。
経験だけは豊富なクセにいざとなれば及び腰になる恋人を、どう浮上させるか思案を巡らせて。






◆◇◆◇







きっと君が思うより、俺は君が好き。




END


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