重厚な鐘の音が響き。
新たな暦が始まる。






◆◇◆◇







除夜の鐘。
前年に生まれた煩悩を祓い落とし、新たな年は煩悩に揺らぐ事がないよう祈る鐘。
蕎麦を啜りながらその音を聞いたリョーマは今、手塚の隣。
彩菜手製の年越し蕎麦を咀嚼する。
リョーマも本当なら家族と年を越す筈だったが、南次郎は寺の仕事、倫子も弁護士時代の友人に招かれたパーティ、菜々子は実家での年越しと、全員が出払ってしまい無人。
それならばと昨日、急遽手塚宅での年越しが決定した。
旧家である手塚家──特に厳格な手塚の祖父は、家族以外を招いた年越しに反対するかと危惧したが杞憂に終わり、手塚家一同、快くリョーマを迎え入れてくれた。
ちなみに祖父曰く、リョーマは未来の義孫になる娘なのだから共に年を明かすのは当然だと述べたとか。
それはリョーマの与り知らぬ事であるが、祖父の言葉を聞いた手塚は心なしか機嫌が良かったらしい。


「日本って面白いね。年越しに蕎麦食べるなんて」

「昔からの風習なのよ」

「蕎麦は麺が長い。この麺のよう、長く生きられるよう願を掛けるんじゃ」


蕎麦を啜り、不思議そうな面持ちのリョーマに、彩菜の微笑みと国一の説明が返る。
アメリカにいた頃、当然年越しに蕎麦を食べるなどという慣例はなかった為、実に不思議な光景だった。


「へぇ」

「ちなみに、親が子供にお年玉っていうお小遣を渡す風習があってね。それは子供たちに今年が強く過ごせるよう、親が魂を分け与えるって意味合いがあると謂れているよ」


国晴の言葉にも、リョーマは至極興味深そうに頷きを返す。
日本は何かに準えて願掛けや祈願をする風習があるとは聞いていたが、実際に聞いたのは初めてだ。


「日本て凄いね。国光」

「あぁ。故人が残す風習には学ぶべき事も多いからな」

「うむ。偉大なる先人の知恵は、今を生きる若人の遥か及ばぬ物がある。先人に次げるよう日々精進を怠ってはならぬ」

「じいちゃんらしい」


国一の言葉にクスクスと笑い、リョーマの箸が下がる。
両手を合わせて小さくお辞儀をすれば、彩菜が穏やかな微笑みを返した。


「ご馳走様でした」

「お粗末様でした」


軽やかな微笑みとともに蕎麦椀が下げられ、温かな湯気と香ばしい香を上げる茶が運ばれて来る。
芳醇な香りが鼻孔を擽り、一口啜れば仄かな苦みと甘みが実に美味。
自然と綻ぶ頬が、言葉よりも素直な感想だ。


「そうだわ。国光。これからリョーマちゃんと初詣に行くんだったわね」

「はい」


パンと軽やかに合わせられた彩菜の掌。
少女のように無邪気な微笑みが、楽しげに手塚を仰ぐ。


「それならいい物があるの。倫子さんから昨日お預かりした物なのよ」

「母さんから?」


いそいそとリビングから消えて行く彩菜を傾げた首とともに見送り、傍らの手塚を見上げる。
何か知っているかと視線で問い掛ければ、緩やかに首が振るわれた。
どうやら手塚も知らないらしい。
疑問符を脳裏に浮かべながら一口茶を啜れば、カタンと開くリビングのドア。
釣られてソチラに意識を向ければ、両手を大きく広げた彩菜。
その手には上品な桐の箱が抱えられていて。
リョーマと手塚、両名の疑問符は更に数を増したのだった。













フゥと吐いた息は白く浮かび上がり、瞬きの間に溶けて消える。
日付が変わったばかりの時間帯。
当然のように空はまだ暗く、星が見事。
吹き抜ける風に首を竦め、リョーマの頬が赤く染まった。


「……寒い」


再び吐いた溜息も白い靄となって賑わう境内に散った。
所狭しと犇めき合う人混みは、一路神社の賽銭箱を目指して進んで行く。
新年を迎えて間もなく。
日の出前に初詣に赴く人は決して少なくなく。
かくいう手塚とリョーマもその参拝客の一端だ。
前の参拝客が進めば、その度に二人も進んで行く。
カラン、と軽やかな音色が響いた。


「……歩きにくい」


ボソリと不平を口にするリョーマを、手塚が視線だけで見下ろした。
数時間前に彩菜が持ち出した桐の箱。
リョーマの母である倫子から預かったというソレは、見事な振袖だった。
ピンクの布地に幾つもの華が散らされ、緑の葉が舞う。
首元には白い綿が回されて、和風マフラーさながらだ。
髪も左耳の上を果実のような赤い飾りで軽く結われている。
倫子がリョーマに着せようと密かに買っていた物らしく、驚く程リョーマによく似合う。
普段スニーカーやテニスシューズぐらいしか履かないリョーマにとって、振袖は慣れない上に身動きが制限されて酷く不評だ。
しかし、傍らを歩く手塚からしてみれば目の保養以外の何物でもなく。
時折リョーマを振り返っては思い思いに声を上げる男参拝客たちに、嘲笑してやりたくなるぐらいだ。


「これ終わったらすぐ脱ご。動きにくいし。二度とこんなの着ない」


ぶつくさと不平不満を零すリョーマを眼下に、また一歩進む。
あと二組の参拝が終われば、順番が巡ってくる。


「……どうせ三年後には着れなくなるんだ。今のうちに着ておけ」


よろけそうになるリョーマを片手で支えて。
揺れる袖を整える。


「え?なんで三年?」


不思議そうに首を傾げるリョーマを見下ろし、手塚の瞳が俄かに笑みに細められる。
目を細めて口端を吊り上げて。
手塚独特の、含み笑い。


「知らないのか?既婚の女性と子供のいる女性は振袖を着れない。振袖は独身の証だからな」


振袖に隠れた小さな手を捧げもって、指先にキスを一つ。


「三年後には、独身ではなくなるだろう?」


発された手塚の言葉を、キョトンと目を見開いて聞く仕種。
幼さの滲む表情が、俄かに変化する。
手塚の言葉の意味を、理解したのだろう。
パクパクと空回りする唇が、リョーマの心情を見事に表現している。


「行くぞ。空いた」


まだ正常に戻らないリョーマの手を引いて。
いつの間にか目の前にある賽銭箱へと進む。
リョーマの頬が赤いのは、果たして寒さのせいか。
はたまた三年後のプロポーズのせいか。
無造作に放り投げられた賽銭と、顔の前で組まれた手。
掌を合わせるのではなく、指同士を組んで握る祈り方は流石帰国子女だと、意味もなく笑みが零れた。
リョーマに倣い、手塚もまた賽銭を投げる。
神に捧げた祈りは、二人それぞれの胸の内に。
新しい年が、始まる。






◆◇◆◇







三年。
君の艶姿を見られる期間。
けれど、哀愁はない。
君から艶姿を奪うのは、他でもない俺なのだから。
神など信じてはいない。
だが、もしも聞いているなら見ているといい。
神に捧げた祈りは、俺自身の手で叶えてやる。
お前はただ高みで見ていればいい。
俺の願いの成就を、証明する者として。


“俺の未来は、永劫リョーマとともに”




END


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