誰にだって挫折は付き物。
自分だけは有り得ない、なんて自惚れてたつもりは微塵もない。
けれど。
これが心身の成長に必要な痛みであると言うのなら、いっそ殺してくれと願ってしまうのも、必要な思考なのでしょうか。






◆◇◆◇







──ガタンッ


耳障りな音。
金属同士が擦れ、甲高い音とともに爪痕を残していく。
音源は、机。
豪奢な佇まいを醸すローテーブルが壁に擦れ、白い線を刻む。
テーブルの傍らには、投げ出された細い腕。
白く滑らかな肌が、毛足の長いカーペットに埋もれていた。


「っ!やっ!」


息を呑む声と、拒絶。
閉鎖された空間に踊る音が忙しい。
切迫した息遣い。
衣擦れ。
拒絶。
時計の音すらも膨張するような静寂が、それらの音を更に拡張して響かせる。


「っや……メ……!」

「…………」


吐息の一つ一つが水分を含んだように重く、白く凝縮されて視認出来るかの如く錯覚する。
投げ出された腕は、微動だにしない。
否、出来ない。


「い……やぁ……!」


赤いカーペットに散る漆黒の髪。
漏れるあえかな声。
甘く蕩けるような情景。
作り上げるのは、二人の男女。
華奢な肢体をしどけなく横たえ、乱された服の隙間から絹の如き肌を覗かせる少女──リョーマ。
そして、それら全てを搦め捕り自らの下に組み敷くサファイアの瞳──跡部。


「いや……!やだぁっ!」


拒絶を吐き出す唇が戦慄き、金色(こんじき)をも宿す瞳が涙に濡れる。
伸し掛かる男の所業に困惑し、苦しみを噛み締めながら。


「嫌?これだけ濡れて、どの口が言いやがる。アーン?」

「ひっ……やぁ……!」


執拗なまでの愛撫。
胸も陰部も首筋も足の指に至るまで、全てに加えられる指戯。
舐め、撫で、噛み、抓み。
ありとあらゆる刺激に、リョーマの身体は思惑を離れ高揚していく。


「止め……てェ……!あっ、あぁ!」


陰部に潜り込む指先が柔らかな場所を掠める度に、腰が淫らに揺らぐ。
止めどなく、溢れるように。
悔しさと悲しみに涙が生まれるのに、与えられる不義の快楽に身体が愉悦の証を垂れ流していく。
頭上で一纏めにされた両腕。
押さえている跡部の腕は左腕のみだというのに、抗えない。


「やぁっ、ダメ!ダメぇ!」


陰部を乱す指先がその速度を上げてしまえば、抵抗など欠片すら不可能。
陸に打ち上げられた魚のように腰を跳ね上げ、悦楽に首を振ることしか許されない。


「あぁっ、あ……やッ……やぁぁぁぁっ!」


無理矢理押し上げられた絶頂も、ただ苦しみを積み上げるだけ。
乱れた息を吐き出し、せめて跡部の顔だけは見るまいと顔を逸らした。


「……リョーマ」


甘く響くテノール。
降り注ぐその音から逃げようと、固く瞼を閉じた。


「何でだ……」

「ンっ!」


ズルリと、胎内が引きずられる感触。
ピクンと跳ねた肩。


「何故……俺じゃねぇ……」

「ひッ!」


身体が、強張った。
剥き出しの脚を開かれ、そのあわいに触れた熱。
熱く脈打つソレ。


「何故……手塚なんだよ……!」

「や……いや……いやぁぁぁぁぁ!」


逃れようと引いた腰は呆気なく捕われ、拒絶に振るった首も跡部の顔を歪めさせただけ。
それだけは、耐えられないと。
恋人の手塚とは違う男を、受け入れることだけは。
もう止めてくれと懇願しても、跡部の熱は引くことはなく。
押し入った灼熱に、絶叫。
悲鳴を上げる胸中と喉を裏切って、奥まで迎え入れてしまった貪欲な陰部。
引き裂かれる痛みは、胸の奥だけ。













リョーマが氷帝へと訪れたのは、初めてではない。
過去にも幾度か練習に参加させて貰った事もある。
氷帝の設備は中学の物とは思えない程に整っており、ジム並だ。
女子であるリョーマは特例(勿論中帯連には内密)として男子の大会に出場する権利を得ている。
だが女子が男子に対抗するには圧倒的にパワーが劣るのは変えようのない純然たる事実として目の前に横たわっていた。
そこで、ジムによる筋力強化を試みようとしたのだが、やはり財布は中学生。
部活のない日にはクラブのコートを借りたり、愛飲の炭酸を買うのに小遣いは毎月ギリギリで。
新たにジムに通う金額などありはしない。
親に相談してみたところ、ジュースを我慢すればいいだろうと素気なく返され、大喧嘩を巻き起こす羽目になった。
結局親からの援助は得られず、更にはジュースの我慢など論外であるリョーマは、困り果てた。
手塚に相談したところで、例えそうは見えずとも彼も中学生。
リョーマのジム料金を工面してくれる筈がない。
寧ろ親と同じくジュースを我慢しろと提案してくるのは明白だ。
さてならばどうするかと悩み果てた末、救いの手が差し延べられた。
それが、氷帝学園テニス部部長の跡部。
関東大会以来何かと関わりがあった跡部が氷帝のトレーニングルームを使用するよう、提案してくれた。
聞いて見ればジムに比べて規模は劣る物の遜色ない環境が整っている。
更には部活で使用する施設の為料金はかからない。
これ程美味しい条件はない。
一も二もなく提案に乗り、週に三回から四回、リョーマは氷帝へと通った。
勿論手塚にも報告してある。
部活後に氷帝を訪れるのだから、必然的に帰りは夜になる。
手塚はそれを懸念し、携帯電話だけは忘れないよう念を押してきた。
故に、いつもは家に放置気味の携帯も最近は常にバッグの中だ。
そして氷帝に通い始めて一ヶ月が経つ今日。
事態は思わぬ方向へと転がった。
トレーニングを終えれば氷帝の部室を借りて制服へと着替える。
レギュラー専用らしいその部室は広く、練習の終わった後には跡部とリョーマ以外に人が出入りする事はない。
故にリョーマは気兼ねなく着替える事が出来る。
青学であればリョーマの性別は公然の秘密とされ、着替えの際は意図的に人払いがされる。
しかし他校ともなればそうはいかない。
中帯連にすら隠していることを他校生が知る筈もないし、知らせてはならない。
当然跡部もリョーマを男と認識している筈だ。
今の時間帯、跡部は部誌を職員室に届けて部室の鍵を受け取っているため不在。
几帳面な性格らしく、跡部は常に時間きっちりに動く。
そのため後十分は帰って来ない。
跡部不在の十五分弱を利用し、リョーマの着替えは手早いものだ。
そう、リョーマに落ち度はなかった。
ただ運が悪かっただけで。
粗方の着替えを済ませ、後は学ランを羽織るだけという段階で鳴り響いた携帯。
ゆったりとした曲調の着うたは個別設定にされたもので、反射的にリョーマはそれを取った。
後は学ランを羽織ればいいだけなのだから電話をしながらでも問題はないとの判断をして。


「部長?どうかした?」

『まだ氷帝か?』

「うん。今着替えてる」

『そうか。スマンな。切るか?』

「いいよ。後学ラン着るだけだし。何か用あったんでしょ?」

『あぁ。今日お前がリストバンドを失くしたと言っていただろう』

「あぁ、うん。結構気に入ってたやつ、今朝から見当たんなくて」


頷きながら、学ランへと袖を通していく。
いつも着けているリストバンドが失い事に気が付いたのは今朝の朝練の時。
汗を拭おうと持ち上げた右手にある筈の物がなく、朝練終了とともに慌てて鞄を漁ったのだ。
だが鞄の何処にも目当ての物はなく、盛大に溜息を吐いたのは記憶に新しい。


「それが何?」

『リストバンド、俺の部屋にあったぞ』

「え?嘘。だって今朝部長の部屋出た時何もなかったじゃん」

『ベッドの下に入り込んでいたからな。母が掃除の時に見付けたらしい』

「あぁ。ナルホドね。じゃあ帰りに部長んチ行くよ」

『解った』

「あ、今日はナシだからね。俺疲れてんだから」

『それは残念だな。新しいゴムも買ってあるんだが』

「ッ!莫迦じゃないの!もう切るよ!」

『あぁ。解った』


クツクツと受話口から聞こえる笑みに憤然としながら通話を終了する。
あの手塚という男。
常は色事など縁遠い澄ました顔をしている癖に、なかなかどうして結構な絶倫だ。
一度コトに及べばそれこそ体力尽きるまで付き合わされる。
しかも二人きりになればこちらの準備もお構い無しに押し倒してくるのだから、リョーマとしては堪らない。
しかしまぁ、手塚とのセックスは嫌いではないので強くは言えないらしいが。
とは言え失くしたと思っていたお気に入りが見付かり、機嫌は悪くない。
昨日は手塚の家に泊まり、そこから学校へと向かった。
つまり当然昨夜はソウイウコトをした訳で。
ベッドの下に落ちてしまっていてもおかしくはない。


「早く帰ろ」


リストバンドも取りに行かなければならない事だし、もうすぐ跡部も帰ってくる筈。
そう思って振り返ったリョーマの視界に、驚きが走った。
いつの間にか開け放たれていた入口。
夜に染まった校庭を背に腕を組んだまま入口に凭れ、冷ややかな視線を向けてくる跡部が、そこにいた。













間断なく上がる粘着音。
悲鳴混じりの嬌声。
解放されている腕は顔の横に縫い止められ、寄せては返す胎内の熱に涙を散らす。
リョーマの瞳には、苦しげに自分を凌辱する男。


「い、ヤぁ…!ひッあっ、あッ…んぅ……」

「……リョーマ……」


切なげに吐き出される名前にすら嫌悪を覚えて、競り上がる刺激をやり過ごそうとリョーマの黒髪が乱れる。
徐々に速さを増す律動から逃げるように腰を引いても強引に引きずられ、更に奥を突かれた。
ビクッと仰け反る喉に湿った舌の感触が滑り、新たな涙が目尻を滑る。


「あァっ!…ふっ、ぅンっんっ!」


胎内を暴く熱が、肥大した。
目を見開いて腰を跳ね上げれば、切羽詰まった息遣いが耳朶に触れる。
触れただけで湿り気を帯びてしまいそうに濡れた吐息。
速まる律動と呼吸音に、リョーマの背筋が戦慄した。


「やっ!いやぁっ!」


必死に頭を振り、縋るように掌を握り締める。
胸中に過ぎった予感。
想像するだに恐ろしい事実を目前に、リョーマの瞳が恐怖に彩られた。


「ぃヤっ!だ…めっ!中……中はイヤぁっ!」


胎内を抉る肉塊に、隔たりはない。
手塚との性交ですら必ず使用していた避妊具は、跡部の性器にはなく。
このまま絶頂へと達されれば当然、リョーマの胎内に跡部の精液が撒き散らされる。
無理矢理に身体を拓かれ、更に跡部の子供でも孕んでしまえばどうなるか。
考えるだけで気が触れてしまいそうな恐怖だった。
必死で懇願するリョーマを前に、一瞬ピタリと跡部の動きが止まった。
唐突に止んだ刺激にヒクリとリョーマの喉が震え、解放してくれるのかとの期待に跡部の瞳を見上げる。
交差する視線。
冷え冷えとしたサファイアブルーが、酷く艶やかな笑みを浮かべた。


「あと──ッあァッ!あっあっやッあァっ!」


名を呼ぼうと開いた唇は、瞬時に意味を為さない悲鳴へと変わる。
一気に沸点へと到達するかのような突き上げに、ガクガクと四肢が痙攣した。


「あっ、あっ、あっ…ぅんっ、ひッあ…やっ……イッ……ぃやっ…!いやぁぁぁぁぁっ!!!!」

「っ……クっ!」


喉を引き裂かんばかりの絶叫が、迸った。
意識が浮遊し、脳天まで突き抜けるような悦楽。
四肢が痙攣し、全身に拡がる脱力感。
頭上から降り注ぐ呻きすら、耳に届かない程に。
グッタリと身体をカーペットに沈め、荒い呼吸だけを繰り返す瞳は虚ろ。
胎内から伝わる熱の拡散が、リョーマの脳内から正常な思考を奪い去った。
ただ感じるのは愛しい人への背徳感と、残酷な温もり。
止めどなく溢れ出る涙は、目尻を伝って髪を濡らしカーペットの中へと吸い込まれていく。
意思を踏みにじられ、揺さ振られ、撒き散らされた。
手塚にすら許したことのない場所を、他人に踏み荒らされた。
その現実が、リョーマの意識を現実から隔離する。
直視してはいけない。
一度理解してしまえば、耐えられなくなる。
目の前の男を恐れ、浅ましく受け入れてしまった自分を憎んでしまう。
そして、手塚すらも触れられなくなるかもしれない。
そんなもの、耐えられない。


「……知ってたぜ。お前が女だって事は」


慈しむように髪を梳き、語りかけてくる男。
一点を見詰めたまま微動だにしないリョーマにその言葉が届いているかは、解らない。


「ずっと……お前が欲しかった」


それでも、跡部は紡ぎ続ける。
押し込め続けた想いを、吐き出すために。


「何で俺がお前を氷帝に誘ったと思う。傍に置きたかったからだ」


跡部の腕がピクリとも動かない身体を抱き寄せ、頬を擦り寄せる。
求めた温もりが腕にある。
その事実に安堵し、瞳を和らげた。


「なのにお前は……既に手塚のモノだった」


“手塚”の名に、ヒクリと震えた華奢な身体に奥歯を噛みしめる。
渦巻く激情は哀しみか、嫉みか、憎しみか。
胸中に広がり始めた感情の坩堝。
それは目の前の少女を組み敷いた時にも感じた物。
部誌を職員室へ持って行く折、忘れ物に気付いて部室へと戻った。
生徒会に出席し、その足で部活に参加したために生徒会室の鍵は跡部が持ったまま。
部誌の提出の際に一緒に返却してしまおうと考えていたのに、鍵は部室のロッカーの中。
舌打ちとともに反転し、部室へと戻った。
そして、開いた扉の向こうから。


『え?嘘。だって今朝部長の部屋出た時何もなかったじゃん』


聞こえた台詞に、足が止まった。


『あぁ。ナルホドね。じゃあ帰りに部長んチ行くよ』


“今朝”手塚の家を出た?
それは、目の前の少女が手塚の家で一晩を過ごしたということ。
年頃の女が、男の家に泊まる。
ただの男女の仲では、有り得ない現象。


『あ、今日はナシだからね。俺疲れてんだから』


そして、続けられる言葉は、跡部の予想を決定付けるもの。
手塚とリョーマの関係を、違えることなく理解した瞬間。
胸にジワジワと染み渡る衝動。
真っ白な紙に垂らした墨汁が、徐々にその体積を増やして行くように。
一色に塗り潰されていく。
けれど思考はおかしな程に冷めて。
憤怒に似た激情は、振り向いたリョーマの瞳を見た瞬間に。
──爆発した。


「お前が悪い」


ダラリと腕を投げ出したリョーマを抱きしめ、吐き捨てる。


「お前が悪い」


跡部の繰り返す言葉は、まるで暗示のよう。


「お前が俺を狂わせた」


ゆるゆると、天井を見上げる琥珀の瞳が、見開かれていく。


「お前が、全てを狂わせた」

「……ぁ……」


跡部が言葉を紡ぐ度に、リョーマの瞳が、身体が、小刻みに震えていく。


「だからこれは……──」

「……ぃ……ゃ……」


か細い声が、微かな拒絶を示す。
抱きしめる腕が更に強さを増し、小さな耳朶へと唇を寄せた。


「──お前の、罪なんだぜ。リョーマ」

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」


絞り出された悲鳴は静寂を切り裂き。
そしてリョーマ自身の胸をも引き裂いて。
跡部の口端に、うっそりとした笑みが上った。


「そうだ。壊れちまえ。手塚にくれてやるくらいなら……」


修復不可能になるまで。
身体を蹂躙し、逃れられない鎖を腹に打ち込んで。
自分を選ばなかったその心そのものを。
全て、破壊すればいい。


「これで……お前は誰のモノでもなくなる。永遠になる」


低く嗤う跡部の声は、現実そのものを拒絶し、何も映し出すことのない瞳へと落ちる。
重なる唇は、幕開け。
楽園(エデン)への扉。
永遠の罪を課す、呪われた楽園は、今開かれた。
囚われた少女の瞳から滑る涙が、音もなくカーペットの間に埋もれ、消えた。






◆◇◆◇







これが人生に必要な絶望だと言うのなら。
死を望むこの願いも必要なものなのでしょうか。
誰かを愛することが罪だというのなら。
何を糧に生きればいいのでしょうか。
存在そのものが全てを狂わせてしまうというのなら。
どうか殺して。
これ以上の罰を背負う前に。
これ以上“あの人”を裏切る前に。
この首を、切り落として。
俺が俺でいられるうちに。
俺が俺を、手放す前に。



どうか此の胸を貫いて……




END


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