何の変化もない練習風景。
レギュラーはコートにてサーブ&レシーブ。
非レギュラーは壁打ちやランニング。
一年は球拾い。
何一つ日常と相違ない光景。
ある意味では照り付ける太陽の熱さ──否、痛さが異様と言えば異様だったが、まぁ夏だからと納得もできよう。
そしてそんな中にも、ささやかな事件は起こるもの。
例えば海堂がコケたとかタカさんがラケット吹っ飛ばしたとか菊丸の髪が一本あらぬ方向に跳んでたりとか。
日常的些細な事件は何処にでもある。
そう、それは当然彼女にも。


「ひっく」


コートに入る面子の中、一際小柄な少女。
男子に混じっての練習を積む彼女は、なぜか男子テニス部レギュラーにして中学男子テニス界最強プレイヤーである。
なぜ女子が男子に混じっているのかとか色々疑念は抱くけれど、今のところ解明できた者は存在しない。
聞くところによると石川校長が何やら噛んでいるとかいないとか。
まぁしかしそんな事は些細な事。
問題はその少女──リョーマの口から出た奇妙な音だ。


「ひくっ」


華奢な肩を盛大に揺らしながら聞こえたのは、先より少し短めな二度目。
一斉に集まる視線の先で、件のリョーマは口元を指先で覆って硬直。
うっすらと頬が紅潮しているのは、あまりに唐突な自然現象に対処が追い付かず思い切りコートにソレが響き渡ってしまったからか。


「ひっく」


三度目。
苦しげに眉を寄せる表情も中々にクるものがある、と数名の平部員がガッツポーズ。
常よりも遥かに高い音で聞こえる奇妙な音。
それは誰しもが経験する肉体的自然現象。


「おチビがしゃっくりにゃー」


しなやかな身の熟しでリョーマの背へじゃれ付いた菊丸が、大きなその瞳をキラキラと輝かせる。
纏わり付かれたリョーマも菊丸を払おうと試みているようだが、何しろ現在しゃっくり警報発令中。
口から手が離せないらしい。


「おチビかーわいー!」

「……るさッひっく!」


そんなリョーマにしたたかに悪戯心を刺激されたらしい菊丸が、柔らかいその頬をプニプニと突く。
なんとも羨ましい光景だ。
そしてそれに抗議せんと口を開いたアルトヴォイスは、再び奇異な音に掻き消された。


「え……越前。水でも飲んできたらどうだ?」


独特の息苦しさと木霊せんばかりに一際大きく響いてしまったしゃっくりに、リョーマの顔は悔しさと羞恥に真っ赤だ。
見兼ねた大石が解決策として入口のフェンスを指し示した。
しゃっくりは通常、水分の一気飲みをすれば止まると言われる。
または息を止めるか。
要するに鼓動を速めてやれば止まる。
中でも一番オーソドックスでお手軽なのが、一気飲み。
となれば水道の水をがぶ飲みするが手っ取り早い。
大石の指先を追いフェンスを見遣ったリョーマが、コクリと小さく頷く。
そして大石によって引き離された菊丸の悲鳴を背に聞きながら、リョーマの足は一路裏庭へと向かった。













「げ……」


蛙を踏み潰したような声は、そう言う時ほど身体現象に遮られる事なく唇を滑り出た。
目の前には目的地の水道。
──そしてその奥から近付いてくる物体。


「こんなところで何をしている。今は部活中のはずだ」

「…………」


青学テニス部部長手塚国光。
リョーマにとっての天敵と言っても過言ではない生物だ。
何故かって?
苦手だからだ。


「越前」

「……なんでも……ッないっス」


詰問の意も露に強められた語尾に、ようようリョーマも口を開く。
まさか『しゃっくりが出たので水をがぶ飲みしに来ました』なんて、恰好悪くて口に出来やしないだろう。
途中しゃっくりの前兆が胸を襲ったが、ゴクッと息を飲んで我慢。
手塚が怪訝に眉を寄せたのが解った。


「何でもないわけがないだろう。大石には言ってあるのか」

「だから何でもなヒクッ!」



更に突き詰めてくる手塚に、イラッ。
水呑場は目の前で、もうすぐしゃっくりだって止まるはずなのに。
なぜアンタなんかに邪魔されなければならないんだと。
カッと昇った怒りのままに声を荒げれば。
例のアレが飛び出たわけで。


「…………」

「…………」

「…………」

「…………」


無言。
見つめ合う。
沈黙。


「…………しゃっくりか」

「解ってんならッヒック……いちいち言うひぎゅッ」


確認の言葉にも八つ当たり混じりに怒鳴ってみれば、言葉の途中のために奇怪な発音でのしゃっくりが飛び出した。
恥ずかしいどころの騒ぎじゃない。
口を両手でババッと覆い、真っ赤な顔を引き連れて手塚の脇を走り抜ける。
そして水呑場に向かえば瞬きの間もなく蛇口を捻った。
さっさと収めてしまえ。
ってか今あの男の顔なんか見れないし!
どの面下げて顔合わせろと!?
だぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!!!
と胸中に様々な絶叫をあげたリョーマが、ビシャビシャと吹き出す水へと顔を傾けた。
──はずだった。


「──へ……?」


前のめりになろうとした体はなぜか動かず、むしろ後ろに傾いた。
そして背中には、太陽とは違う熱。
一体何だ、と振り向こうとした刹那。


「……リョーマ」

「ッ!!!!」


耳朶にかかる吐息。
低く甘く掠れた艶やかな雄の声。
それが紡ぐ、甘やか過ぎる自分の名。
ビクッと肩が震えた。
グシャリと、思考回路が断線。
いったい何が起きてる?
何が起こった?
一気に熱を増した頬が、ドクドクと耳脇に心臓を張り付ける。
抱きしめられている。
誰に?
…………手塚に。


「っわぁぁぁぁぁぁぁッ!」


正気に戻るや否や。
リョーマの口を突いたのは、普段の彼女からは想像だに出来ない大絶叫。
ババババッとしなやかな身を存分に活かしては手塚の腕を払いのける。
まるで猫のよう。


「な……なななっなッ……」


パクパクと口を開閉させるリョーマが、手塚を凝視する。
真っ赤な顔が熱い。
警戒心丸出しに逃げ出したリョーマを目に、手塚がニヤリと笑った。


「止まっただろう」

「なっ何がッ!」

「しゃっくり」

「だから何……あ……」


してやったりと笑う手塚。
言われて気付く。
呼吸は正常。
会話も順調。
完全に、止まった。


「早く練習に戻れ。でなければ──この場で襲うぞ」

「ッ!アリガトウゴザイマシタッ!」


クツクツと笑う手塚の言葉にカッと再び頬が熱を噴出。
怒声混じりの礼を吐き捨て、手塚の脇を走り抜けた。
背中に視線を感じる。


──だからあの人苦手なんだよ!


時折リョーマにだけ見せるあの顔──リョーマは勝手に“黒塚”と呼んでいる。
所構わずリョーマにちょっかいをかけてくる。
そしていつも振り回されては遊ばれる。
悔しいかな、解っていても毎度あの男の策に嵌まって遊ばれてしまう。
翻弄されてしまう。
だから、苦手だ。


「……ッかやろー!」


悪態は小さく口の中だけ。
──苦手だけど、嫌いとは言わないのは何でだろう。













残された男は一人。
小脇に抱えた資料でトンと肩を一叩き。


「そろそろ……か」


クツリと笑んだ喉。
クルリと返した踵が向かうのは、元来た道。
会議を抜け出した身の上、そうそう長居は出来ない。
目当ての者を見付けたから網を掛けてみただけだったが、思わぬ収穫。


「どこまで抗えるか……見物だな」


釣りはゆっくり慎重に。
焦りは禁物。
──あの子が釣れるまで、あと少し。






-END-


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