関東中学男子テニス界に於いて、現在まことしやかに囁かれる噂。
とある中学に、“凄いマネージャー”が入ったらしいと。
その中学は去年まで都大会止まりの実力しかなかったが、今年に入り急激な成長を見せ快進撃を続けているらしい。
その裏には、今年から採用した例のマネージャーによる影響なのだと。
だがそのマネージャーの姿は他校の者誰もが目にしたことがなく、幻の存在とも言われている。
そして、名も姿も解らぬ存在に対し、誰からともなくこう呼び始めた。
『サファイア・クイーン』と──。






◆◇◆◇







「……」


関東大会会場。
例年にない賑わいを見せるこの会場に、テニスコートとは全く別の場所で立ち尽くす少女が一人。
淡い新緑色のセーラー服を纏い、漆黒の髪を腰よりも長く延ばした少女。
肩には大きな四角いバッグを提げ、左手にはジュースの缶。
大きな琥珀色のアーモンドアイが、キョロキョロと周囲を見渡しては落胆に溜息を繰り返す。
佇めば誰もが振り返るだろう美貌。
白い肌はまるで陶磁器のような滑らかさ。
微かに開かれた唇はふっくらとしたチェリーピンク。
片腕でも余ってしまうほどに華奢なボディライン。
幻想的なまでの美貌の少女は、ただ今とてつもなくピンチだった。


──……会場……どこ……


つまり迷子。
案内板を探して周囲を散策してもそれらしきものは見当たらず。
かれこれ二十分程彷徨っている。
辺りを伺う度に柔らかそうな髪が風に揺れ、白く細い項が露になり周囲の男共を悩殺しながら、少女は歩く。


──参ったな……


顔にかかる欝陶しい髪を耳に引っ掛けながら、目には明かな焦躁。
時間がないのだと、腕に嵌めた時計をチラチラと伺っている。
と、不意に前方に気配。
歩く足を止めて反射的に前方を見上げれば、茶髪でパーマの男が一人。


「ねぇねぇ君一人?一緒に遊びに行かない?」


見た目の軽薄そうな印象に違わず、頭の軽そうなナンパの常套句が飛び出してくる。
ヘラヘラと薄気味悪い笑みを浮かべる男にジトリと少女が冷たい視線を向け、返答すら億劫だとばかりに踵を返した。
が、そこで諦めないから頭が軽い男ならでは。
歩き去ろうとした少女の腕をガッシリ掴み、揚げ句の果てには引き寄せてくる。


「無視すんなよなぁ。俺達さぁ試合終わっちゃって暇なんだよー。まぁ相手が弱すぎたっていうか俺達が強すぎたっていうかー?ま、実力の差なんだけどさぁ」


返事も待たずにペラペラと喋り続ける男に、少女の眉がピクリと動いた。
そして、男の顔を見上げる。


「……アンタ、テニス強いの?」

「当ったり前だろ?マジで俺にかかりゃプロだって一捻りだっつうの」


思いがけず話に食いついて来た少女に、男はここぞとばかりに饒舌になる。
少女の瞳が、微かな笑みを浮かべた。


「いいよ。デートしてあげる」

「うっしゃあ!何処行くよ!俺的には……」


嬉々としてデートスポットを模索し始める男。
思惑に埋もれる男は、気付かない。
少女の瞳が楽しげに細められたことに。


「ただし、一つ条件」


ピッと突き出された指先。
その奥にある瞳は、これ以上ない程に蠱惑的な微笑み。


「俺に、テニスで勝てたらね」






試合は一方的だった。
片や今し方試合を終え、ウォームアップ万全の男。
片や男からラケットを借り、制服のままの華奢な少女。
誰が見たとて男の圧勝に終わるかと思われた試合。
しかし、予想は見事に覆される。
少女はどんな場所に返球されようと抜群の瞬発力で簡単に追い付き、相手の死角となる位置にピンポイントでリターンする。
更に次々と飛び出す多彩な技術。
ツイストサーブに始まり、片足のスプリットステップ、ドライブボレー。
技術、スピード、ゲームメイク。
全てに於いて少女の強さは圧倒的だった。
そして、僅か十五分という早さで勝負は決した。
勿論、少女の圧勝によって。
長い髪を風に揺らし、不適に笑みを浮かべる少女が大の字に転がる男の上にラケットを放る。
そして、クスリと笑みを零して。


「まだまだだね」


不毛な試合に、完全に幕を下ろした。
立ち去ろうとフェンスに近付き、開こうと腕を延ばした時。
見覚えのある姿を視界に入れて、動きを止めた。
威風堂々とした佇まいと気品を醸し出す男を筆頭に、そぞろに連れ立つ男たち。
見下すかのように高慢な笑みを湛えた男と視線が合い、思わず眉を潜めた。


「こんな雑魚相手に何遊んでやがんだ。アーン?『サファイア・クイーン』」

「アンタには関係ないでしょ。猿山の大将」

「相変わらず吊れねぇ女だな、リョーマ」

「アンタに呼び捨てにされる覚えないんだけど」


唐突に現れた集団──名門氷帝学園の部長、跡部景吾を前にキッと視線を尖らせる。
『サファイア・クイーン』こと越前リョーマ。
それが少女の名。


「ねぇ。青学の試合会場どこ」


跡部との会話に興味を失ったかの如く──いや実際に興味を失ったのだが──白銀の髪をした長身の男の元に歩み寄る。
問い掛けられた鳳長太郎はと言えば、溢れんばかりの歓喜に頬を緩めた。
リョーマが鳳に問い掛けた理由は簡単。
一番会話が成立しそうだから。
それだけだ。


「青学ならあっちの第二コートだよ。何なら連れて行こうか?」

「いいっス。場所さえ解れば」


さりげなくエスコートを申し出る鳳をスッパリ切り捨て、長く伸びた髪を靡かせて踵を返す。
しかし、進もうとした足は唐突に引かれた腕によって阻まれる。
怪訝に振り返れば、切れ長の瞳を細めて微笑む男が一人。


「そないなこと言わんと。どうせ俺らも行くトコやってんで?」


甘く低めた声と凄絶な流し目。
並の女ならこの最強コンビネーションに腰を砕くだろう。
しかし、対するリョーマは良くも悪くも“並”ではない。


「ってコトはアンタら初戦の相手?」


飛び出した台詞にガクリと脱力したのは忍足だけではない。


「何だよそりゃ!お前マネージャーだろ!対戦相手ぐらい把握しろよ!」

「してるよ。一回戦の相手って氷帝でしょ。あの跡部とか忍足とかがいる……って。あぁ!アンタら氷帝なんだっけ」


これには氷帝正レギュラー全員が崩れ落ちた。
どうやら彼等が氷帝の生徒だと知ってはいたが認識は出来ていなかったらしい。
とんでもないボケ具合だ。
 

「ま、いいや。そんなら話早いし。連れてってよ」


崩れ落ちる面々を見渡し、案内を乞おうと荷物を抱え直した。
だが。


「その必要はない」

「あ!部長!」


前方に現れた威厳に満ちた声と佇まい。
見慣れた無表情を見止めて、パッとリョーマの顔が花やいだ。
尤もそれは、これで迷わずに済むという安堵感からに他ならないが。


「ウチのマネージャーが世話になったようだな。跡部」

「はっ!こんな場所を女に一人歩きさせてるテメェら青学の気が知れねぇがなぁ」


瞬時にバチッと散る火花。
手塚は背にリョーマを庇い、跡部はそんな手塚を睨み付ける。
両者譲らぬ睨み合い。
そこに、新たな乱入者。


「確かにリョーマ君を一人で来させた僕達に非があるのは認めるよ。だけど君達みたいな存在自体が猥褻物に近付けさせたくないんだよね」

「言うてくれるやないか。せやったら自分かてそのけったいな顔どないかしぃや。胡散臭うて適わんわ」


手塚の脇から現れた不二に忍足が応戦。
部長対決の次は天才対決。


「クソクソ青学!お前らなんかのトコにいなきゃなんねぇ越前が可哀相だぜ!」

「へへーん!負っけ惜っしみ!おチビは青学の生徒でお前らなんか眼中にないんだかんなー!」


お次はアクロバティック対決。


「ウス……勝つのは……氷帝です」

「クイーンは俺達のモンだぜベイビー!」


お次はパワー対決。


「チッ。激ダサだぜ」

「すまないな。ウチの部員が……」


こちらは唯一の常識人。


「ふむ。君達の元に越前を置いておくと色々と危険なようだ。データによれば98%の確率で悪影響を及ぼすと出ている」

「それは飽く迄データですよね。乾さん?机上の空論って言葉をご存じですか?」


こちらはビッグサーバー対決。


「マジマジ越前可っ愛E!マジほっC!なぁ越前くれよ!なぁなぁ!」

「あ゛ぁ?ふざけてんのかテメェ」


こちらはアニマル(犬vsマムシ)対決。
そこかしこに始まる対決。
取り残されたリョーマは一人成り行きを見守りつつ腕時計を一瞥。


「あ」


そして一声。
一斉に集中する視線に臆すことなく。
腕に嵌めた時計を周囲に示した。


「ねぇ。試合まで後五分なんスけど。全員デフォ食らいますけど、いいんスか?」


……間。


「チッ!この決着は試合で付けてやるぜ。行くぞ!」


慌ただしく、しかしやはり威風堂々と立ち去る氷帝に続き、青学のメンツもまた慌ただしくなる。
会場に向かう間、傍らに立つ人物を見上げリョーマの口許が笑みを滲ませた。


「なんかあの流れだとウチが負けたら俺氷帝いかなきゃなんないみたいっスね」


クスクスと楽しげに笑うリョーマを一瞥し、隣を走る男が僅かに視線を向けた。


「負けるはずがないだろう。まだ関東の初戦だ。ウチがこの程度で負けるなど有り得ん。……それに」


大きな手が、隣に揺れる長い髪を一房掬い、口づける。
口許には仕返しとばかりに嫌味な笑み。


「お前が俺から離れて平気なはずがないからな。越前」

「なっ!」


予想外の切り替えしに一気に爆発した頬の熱。
そして機能しなくなった言語中枢。
パクパクと開閉する口はまともな言葉を紡げず、隣にいた人物は常の無表情はどこへやら。
意地の悪い笑みをもう一度向けて、スルリと前へ走り去っていった。
遠くなる背中を見詰め、残されたリョーマは悔しげに眉を潜め、そして熱くなった頬に掌をあてがう。


「……にゃろう……部長のくせに……」


明日の練習メニュー倍にしてやる。
不穏な事を胸に誓いながら、漸くリョーマもまた会場入り。




こうして、青学vs氷帝の関東大会初戦は過去にない激戦となったのだった。







◆◇◆◇







『サファイア・クイーン』。
快進撃を続ける青学の立役者。
そしてこれから先。
近年稀に見る高レベルな大会が行われるとともに、立海大、四天宝寺、比嘉など。
錚々たる強豪校たちがこぞって『サファイア・クイーン』を巡って激戦を繰り広げるのは、また別の話。




END


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