それは、凶器を手にした子供とよく似ている。






◆◇◆◇







それは平凡な光景。
一つの校舎がそぞろに統一された色彩の群れを吐き出し、道を埋め尽くしていく。
茜に染まった空は黄昏刻。
部活や委員会に疲弊した生徒たちが重い体を引きずり、友人知人とともに連れ立つ。
行き過ぎる人々を眺める事。
それはある意味で最高の暇潰しになる。
例えその人波の中に、待ち人がいないと解っていても。


「…………」


四天宝寺中の校門に凭れかかりながら談笑する生徒たちを見送る。
求めた人の姿は、まだ見付からない。
次々と湧き出てくる生徒たちが胡乱な視線を向けては通り過ぎていく。
当然だ。
見慣れない制服の少女が学校の校門前に佇むという些細な異常事態。
これを不思議に思わないはずがない。
しかし、好奇の目に晒される渦中の少女は歯牙にかける素振りもなく。
至極億劫げに視線を足元に落としたまま。
行き交う人々の会話は、彼等の影を引き連れて遠ざかる。
人気は、既にまばらになっていた。


「…………」


無言のまま、スカートのポケットから携帯を引き抜く。
十八時五十二分。
待ち合わせ時間は、二十分前。
パタリと力無く携帯が口を閉じる。
そうして再び視線は足元へ。
ただ黙したまま、待ち続ける。
決して学校内には入らない。
それは他校だから、なんて単純な理由ではない。


「……ただでさえ……」


負ける確率が非常に高いハイリスクを背負っているというのに。
そんな折に相手の土俵に踏み込むだなんて愚の骨頂ではないか。
少女が──リョーマが勝てる確率など限りなくゼロに近いのだから。



知ることで不利になるだなんて、思いもしなかった。













靴音が聞こえたのは、携帯電話の文字が十九時を過ぎてから二十分後だった。


「すまんな。待たしてもうて」


苦笑の滲む、朗らかな声音。
少女の黒髪が、ピクリと震えた。
静かに、持ち上がるリョーマの視線。
校門の中から、サク……サク……と一定のリズムを齎す靴音。


「すまんなぁ。ミーティング長引いてもうて」


謝罪を口にするくせに、反して緩やかな歩み。
リョーマの唇が、ギッと噛み締められる。


「待った?」


人好きのする穏やかな微笑み。
わざとらしいまでの、懸念の言葉。


「蔵……」


待ち人──白石の名をリョーマの唇が呟けば、彼の端正な顔が甘く揺らいだ。
それがあまりにも愛おしげで。
蕩けそうに細められた瞳も、黒髪を梳ずるために伸ばされた指先も、総てが愛おしさに溢れている。
けれど、知っている。
髪を撫ぜる彼の指先が、雄弁に語るのだ。
その裏切りを。
ミントの香りがほのかに香る彼が好む制汗剤──その中に紛れた甘ったるい香水の香り。


「ほな、行こか」


鼻孔を擽るその香りが、不快なほどに甘い。
差し出された指先から香る、嘘。
乾いた音を立てて振り払った手が、宙を泳いだ。
振り払われた手に目を見開いた白石が凝視してくるから、怒りを篭めた瞳を突き刺した。
そうすれば、甘く愛しげに綻ぶ端正な容貌(かんばせ)
まるで、リョーマの怒りを待ち望むように。






いつからだろう。
彼が他の女を匂わせ始めたのは。
そしてそれを俺に気付かせ始めたのは。






それは、凶器を手にした子供とよく似ている。






◆◇◆◇







いつからだろう。
こんな不毛な事をし始めたのは。


「じゃあね白石君」


パタパタと立ち去る女生徒を見送り、吸い込んだ空気全てを吐き出す。
寄り掛かった窓がキシと微かに鳴いた。
胸に蟠る嫌な空気を吐き出すように、大きな吐息をもう一度。
茜に染まる世界を肩越しに仰げば、人気も疎らな校門が眼下に広がる。
先程立ち去った少女が校門を潜る様が見えた。
その端に、校門に寄り掛かる他校の制服を着た少女を見止める。
携帯を片手に俯く少女。
知らず、白石の相好が穏やかに綻んだ。
何をするでもなく、ただ佇む少女。
愛おしい恋人。
白石を待ち侘び、途方に暮れる様があまりにも美観で。
それは一枚の絵画のよう。


「…………」


いつまでも眺めていたい衝動に刈られて、振り切るように傍らの荷物を担ぐ。
そして、自分を待つ恋人の元へ向かうべく教室を後にした。
リョーマへ向かう階段を、一段また一段と下っていく。
走り出したい衝動を堪えて、殊更にゆっくりと。
持ち上げた腕から、微かな甘い香りが聞こえた。













時計が待ち合わせ時間から一周を回ろうという頃。


「すまんな。待たしてもうて」


校門へと到着。
見下ろした光景と寸分違わぬ光景が広がるソコには、俯いた少女。
わざとらしい苦笑を滲ませれば、顔を覆うリョーマの黒髪がピクリと揺れた。
残り数歩を緩やかに踏み締めれば、俯いた彼女の顔が持ち上がる。


「すまんなぁ。ミーティング長引いてもうて」


言い訳じみた言葉を唇から引き出せば、引き結ばれるリョーマの唇。


「待った?」


沸き上がる愛おしさに頬を綻ばせれば、引き結ばれた唇が震えた。
大きな琥珀が、白石を見止める。


「蔵……」


ハスキーな彼女の喉が自分の名を呼んで、嬉しさに頬が緩む。
愛しくて愛しくて仕方がない。
リョーマが好きで仕方がない。
溢れ出す愛おしさに、揺れる彼女の黒髪へ手を伸ばした。
指通りのいい黒髪が指先を滑る。
心地いいその感触。


「ほな、行こか」


促す言葉とともに新たな髪に指を絡めれば、乾いた音とともに指先が弾かれた。
突然の事に目を見開けば苛烈な視線が突き刺さる。
噛み締めた唇と、怒りを篭めた──君の嫉妬(ジェラシー)
あまりにも鋭く熱く──僅かに濡れたその視線に、悦びが走り抜けた。






あぁその瞳が好きなんだ。













これではいけないと、解っている。
こんな事は不毛だと、知っている。
これで最後……と何度呟いただろう。
けれど。


「…………」


無言のまま絡み付くリョーマの瞳。
嫉妬に濡れた大きな瞳を見る度、高鳴る胸が収まらない。
愛されているのだと、雄弁に語るその瞳。


「蔵……」


痛みを堪えた、切なげな声が呼ぶ。
悲しいその響きに胸が締め付けられて、罪悪感がのしかかる。
なのに……その声に悦びを感じてしまう。
自分に関わる女を厭う、君のその感情に。
君から感じる独占欲に。
溺れる、堕ちる、狂わされる。


「なに?」


俯くリョーマの顔は、見えない。
呼び掛けに応えて、柔らかな黒髪を撫ぜる。
フワリと少し冷たい風が黒髪を揺らした。
リョーマが、好きだ。
好きで好きで仕方ない。
だから、彼女の愛を確かめたくなる。
だから繰り返す。
それがリョーマを傷付けたとしても。
リョーマが自分を愛してくれているのだと教えてくれる、非道な行いを。
罪悪感は、いつも付き纏う。
リョーマの悲しげな瞳を見ると息が出来なくなる。
町中の溜息を詰め込んだような胸の痛みは、慢性的に胸を蝕み苦しさを齎してくる。
それでも、辞められない。
リョーマの愛を掬い上げる、この確信的な罠だけは。
自分の名を紡いだまま俯き、微かに震えるその小さな肩を掻き抱きたい。
けれど、その資格がないことは明々白々。
だから、気付かないふりで次の言葉を待つ。
貼付けた微笑みのまま。


「蔵……」


ふ、と。
震えていた肩が凪いだ。
そして、再び呼ばれた名は酷く穏やかな響きを以て。


「リョーマ……?」


雰囲気が変化したことに、どうしたのかとその顔を覗き込む。
訝る言葉を吐いた自分に応えるように、ゆるりとリョーマが顔を上げた。


「────ッ」


持ち上げられたリョーマの容貌は──微笑っていた。
とても愛らしく、美しく。
見惚れるほどの、その微笑み。
息を飲んで目を見開けば、その首へ伸ばされる白い腕。
絡み付く腕が、華奢な体を近付ける。
そして、交わす唇。
伸び上がり、触れ合う柔らかな唇にただ胸を乱す。
触れただけの唇はすぐに離れ、戸惑う白石をよそにリョーマは微笑む。
危険なほどに蠱惑的な、その笑顔で。


「蔵。好きだよ」


齎された言葉は、甘く魅惑的な唇から。
なぜ……と千々に掻き乱された胸は混乱の渦を生み出し、荒れ狂う。
けれど──。
揺れる心、掻き乱された愛も整わぬままに。
華奢なその肢体を強く抱き寄せた。






◆◇◆◇







悪戯なクチビル。
重ねる度に解らなくなる。
惑わせるほど危険なその笑顔が、掻き乱す。
不埒な僕を狂わせる。
ただ君が好きなだけ。
ただ君に愛されたいだけ。
罪であると解っていても、また僕は繰り返すんだ。



嫉妬に濡れた瞳。
悲しみに震えた唇。
そして──僕を狂わせるその笑顔。






それは、凶器を手にした子供とよく似ている。
悪い事と知っているから、やりたくなる。
一度味を占めれば、やめられない。
タチの悪いwrongdoer(犯罪者)



凶器を手にしたのは────?






END


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