「……………」


鏡を見て、絶句した。
哺乳類という生物種は本来、雄と雌という二種によって成る生態系である。
染色体からして異なるその二種は、脳や内臓組織の造りまでが異なると言われている。
現在鏡の前にて微動だにしない存在──越前リョーマもまた哺乳類であり、人類であり、そして雄である。
……はずだった。
けれど、今鏡の中に映る自分は──雄の定義から明らかに掛け離れた姿だった。
寝る前に身につけた薄手のパジャマが開けられ、その隙間から覗く見覚えのない膨らみ。
雄には備わらない、子孫へと養分を供給するための器官。


「……胸……」


触ってみれば掌の冷たいその感触は、フニュリとした弾力を脳へ届けた。
ついでに、背筋がムズついた。
神経が通っている。
間違いなく、自分の一部らしい。
決して悪趣味なコスプレなどではない。
もしや寝ている間に胸だけをピンポイントで壁に叩き付けるなどという芸術的失態でも犯したかとも考えたが、揉んでみても痛くない。
……というか微妙に気持ちいい気がするが……気のせいだと言い聞かせてみる。
しかし、浮かんだ仮説には否定の言葉を貼り付けざるを得ない。
僅かな期待を抱いていただけに、胸に沸き上がる落胆は存外に大きかったが。
そしてゆっくりと下ろした視線の先には、更なる異常事態が存在している。
脱ぎ捨てたズボンの下には、純白。
白のブリーフだとて笑うなかれ。
これは母の趣味なのだと誰にともなく言い訳を叫びつつ、その中心を凝視してみる。
が。


「……ない……」


雄としてあるべき器官が──膨らみが……ない。
元々膨らみが見える程の大きさはなかったと言えばなかったのだが……異常事態に遭遇したこの際、脳内フィルターで少しぐらい自分を慰めたい。
それが思春期のオトコノコだ。
……と、冗談は捨て置く事にして。


「……どうすんのコレ……」


途方に暮れた呟きは、情けない顔を曝す自らの虚像だけが聞いた。






◆◇◆◇







「──ってワケなんだけど。どうするべきだと思います?」

「……それを俺に聞くのか……?」


困った時の神頼み──ならぬ困った時の手塚頼み。
異様な現象の体験者であるリョーマがまずとった行動は、部長である手塚を呼び出す事だった。
そして渋面の手塚を迎え入れ、事の次第を説明。
助言を乞おうと試みたが、敢え無く頼りない呻きとともに頭を抱え込んだ後頭部に弾かれた。


「何それ。無責任なんじゃないっスか?後輩が悩んでるってのに。アンタそれでも部長?」

「……お前は俺を何だと思っているんだ……。そもそも生物学的に有り得ない現象だ。更にそれが起こった状況が“起きたらなってた”でどう答えろというんだ?」


ジトリと据わった目を突き刺すリョーマを、疲れ果てた手塚の瞳が巨大な溜息に弾く。
手塚の弁解に、間違いはない。
むしろ正論だ。
手塚からしたならば無茶ぶりもいいところというものだ。


「じゃあどうするんスか、コレ」

「……乾あたりにでも聞いてみるというのは……」

「いやっスよ。解剖されそうじゃん」

「…………」


確かに。
仮にもチームメイトである男だが、乾ならばやりかねないかもしれない。
渋面に言葉を飲み込んだ手塚の前で、リョーマの肩がヒョイと跳ねた。


「ま、いいや。そのうち治るっしょ。大方乾汁のせいだろうし」

「……可能性は最も高いな」


人類の到達しえない究極の効能を過去に幾つも齎してきた伝説の飲料、乾汁。
過去に起きた事象は若返りだったり性格変動だったり。
その効能は種々様々だったが、乾汁が到達した究極の頂きとは何も効能だけではない。
その味もまた究極のものだ。
いっそ革命的。
人類に於いてあれほどに破滅的な味を生み出せる物など、他に存在しないだろう。


「あーぁ。もうなんか面倒臭くなってきた」


フワァと大きな伸びと欠伸を一つ。
グッと背を反らした事で突き出された胸が、薄手のパジャマの下から形を主張した。
期せずその瞬間を目にしてしまった手塚が勢いよく目線を外して明後日へと目をつぶれば、一瞬リョーマがキョトリと目を瞬かせる。
そして、ニヤリと笑み一つ。
ゆっくりと四つ足体制で手塚へ忍び寄れば、その端正な顔立ちが見事な朱塗りに彩られている様が見て取れた。


「……部長」


謹厳実直な手塚の照れ顔はリョーマの悪戯心に大層響いたようで。
手塚の膝に固く握られた手を、スルリと握った。


「えちッ」

「買い物、付き合ってくれません?服、買いたいんで」


ピラリとパジャマの襟を軽く引けば、鎖骨や際どい場所がチラリと見え隠れ。
カッと耳まで染めた手塚に、殊更困った顔を作っては小首を傾げた。


「Tシャツじゃ透けちゃうし……俺女物の下着なんか持ってないんで……」


透けたら困るでしょ……?
なんて、言ってみる。
動揺する手塚なんて滅多に見られるものじゃない。
こういう時にやれる事はやっておかねば損だ。
どうせいつかは戻れるのだからと楽観視してしまえば、なんという事はない。


「いきなりこんな事になって……一人じゃ流石に……。……ダメっスか……?」


手塚の手を握って見上げれば、なにか言おうと空回りする薄めの唇。
あ、やっぱこの人って結構綺麗な顔してたんだ……なんて事を再確認。


「……部長……?」


仏像──というにはあまりに雑念が入りすぎた顔だが、とにかく面白い程固まる鬼部長へ追い撃ち。
すると空回りばかりで金魚のように開閉する手塚の口が、一度グッと閉じられた。
お?と思った直後、小さく聞こえた了承の言葉。
疲労を蓄積した声に、過去に聞いた覇気はなく。
その様を目にした少女と化した少年は、これから見れるだろう手塚の慌てふためく姿を脳裏に描き、静かにニンマリと胸中で口端を吊り上げた。






◆◇◆◇







しかしリョーマの予想は大きく外れ、女と化した体に戻る気配はなく。
そしてこの日を境に二人が恋仲へと向かったのだが……。




それはまた、別のお話。






-END-





(まさかさかさま様へ提出作品)

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