──ザァァァァ


降り頻る雨の中。


──ザァァァァ


佇むのは。


──ザァァァァ


忘れてしまいたかったから。






◆◇◆◇







──ピシャ……


水の、跳ねる音。
俯く視界の中、見えるのはアスファルトを踊る水。
面積を広げる小さな池。


──ピシャ……


近付く音に、顎を持ち上げる。
虚ろな視線の先に、ずぶ濡れの少女。
歳は、10歳にも満たないだろう。
白いワンピースを纏い、癖のあるだろう黒髪は雨に濡れて頬に張り付いて。
冬に近しい秋。
こんな時期にそぐわない、薄着の少女。
ポタポタと水滴を零す髪をそのままに、少女はコチラを見上げる。
視線が交わり、少女を見詰めた瞬間、リョーマの瞳が微かに揺らいだ。


──あぁ……またか……


思ったことは、それだけ。
学ランは既に乾いた部分が皆無に等しく、重く張り付いてくる。
欝陶しいが、着替える気には更々なれない。
傍らには少女。
自分は空を見上げ、雨をその身に受け止める。
少女は何も言わず、ただジッと見上げてくるだけ。
黒髪から覗く大きな琥珀の瞳。
リョーマの肩よりも低い位置にある頭。
見上げる瞳は真摯なのにどこか無気力。
二人に会話などなく。
ただ降り続く雨だけが耳を打つ。


「……怖いの……?」


ポツリと、零れ落ちた自分より僅かに高い声。
視線だけを下ろしてみれば、少女の手が学ランの裾を握っていた。


「怖いの?」


再び繰り返された言葉。
何を、とは聞かない。
無意味だから。
何が、とは聞かない。
不要だから。


「……怖くない」


返した答えは、僅かに震えて。
それは雨に打たれ続けて冷えた身体の所為。


「怖くない」


頬に打ち付ける雨。
刺さるような激しさで、滑り落ちていく。


「嘘つき」


少女から聞こえる声は断罪。


「怖いくせに」


記憶の淵に沈めた、罪の証。


「“私”が怖いくせに」


再び見下ろした少女は、自分とよく似た──否、全く同じその顔を、クシャリと歪めた。













四年前。
それは飽き飽きするほどの長雨の中だった。
耳に聞こえる雨の音。
新しく買ってもらったワンピースを来て、外に出た。
雨は、好きじゃなかった。
テニスが出来ないから。
でも、雨でも楽しいことがあった。
傘を差して、傘に弾かれる雨粒の音を聞く。
雨の日の楽しみ。
その日も同じ。



肩より少し長くなった髪を一つに結い上げて、白いワンピースを着て。



いつもと同じ。



通りかかった黒い車。
見慣れない大人が三人。



いつもと違う。



固い背中の感触。
暗い部屋。



いつもと違う。



知らない大人。
襲う激痛。
涙。



いつもと違う。



揺れる景色。
流れる緋色。
布に戻ったワンピース。



いつもと違う。



そして、消え失せた『日常』。













聞こえるのは雨音。
遠い記憶の彼方に沈んだ音の欠片。


「怖いんでしょう」


見上げる瞳。


「偽ることが怖いんでしょう」


四年前に死んだ“私”。


「“俺”でいられなくなるから“私”が怖いんでしょう」


四年前に生まれた“俺”。
少女の指先が学ランへと食い込む。
一緒に胸が軋む。


「あの人を好きな“俺”が怖いんでしょう」


引き裂かれるような。
最後通告。
気付きたくなかった。
気付いてはいけなかった。
けれど、事実。
過去の捨てた“私”が、今を生きる“俺”を見詰める。


「弱虫」


知っている。
そんな自分を隠したくて、“俺”は“私”を捨てたんだ。


「臆病者」


知っている。
でもそれは“俺”も“私”も同じこと。


「俺は……男であることを望んだ……。だから……」


この想いは……必要ない。
声にならない言葉は、唇の中だけで。
フラリと傾いた身体が、水の中に沈んだ。
見下ろす少女は身動き一つせず。
青白い肌を見詰めたまま。


「今は少しだけ……この雨に打たれていればいい」


断罪の日は近いのだから。













不意に袖を引かれ、傍らを見下ろした。
学校帰り。
左手に傘を持って家路を向かう中、一人の少女に出会った。


「君は……?」


大きな琥珀の瞳。
漆黒の髪。
白い肌。
見慣れた部活の後輩を彷彿とさせる、小柄な少女。
しかし、そろそろ肌寒くなろうというこの時期に少女が着ているのはワンピース一枚。
あまりに寒々しいその格好に、無意識に眉を寄せた。
迷子なのかと声をかけようとして、少女がスルリと離れた。
パタパタと走っていき、ピタリと止まる。
ジッとこちらを見詰めたまま。
着いて来いと、瞳に篭めて。
風邪でもひきそうな服装で、しかも傘もさしていない少女を放って置くわけにもいかず。
後を追う。
そうしてまた、数歩先で走り出して、止まる。
そして走り出す。
どこに連れていこうというのか。
パシャパシャと水を弾く音。
降り頻る雨の音。
どれだけの距離を来たのか。
唐突に、少女の姿を見失う。
角を曲がった辺りで、忽然と消えた。
何処かに隠れたのかと辺りを見渡せば、見慣れた黒い塊が視界に留まった。
黒い、学ラン。
自分の纏う物と同じ。
少年と思しきその人物はアスファルトの上に力無く横たわり。
漆黒の髪も学ランも何もかも。
しとどに濡れ落ちていた。


「──越前!」


部活の後輩であるその名を呼び、その傍らに膝を付いた。
抱き上げた身体は冷たく、赤く鮮やかだった唇は色を失っていて。
危険だと、瞬時に理解した。


「──助けるの?」


頭上から聞こえた抑揚の乏しい響き。
眼鏡の向こうに佇むのは、白いワンピースを着た少女。
大きく、猫の瞳にも似た琥珀が、酷く腕の中の後輩とダブる。


「何を助けるの?」


聞こえる声も、越前と酷似した、しかし僅かに幼く高い響き。
まるで双子のように、全てが似ている。


「貴方の差し延べた手は、その子を永遠に失う礎(いしずえ)になるかもしれない」


子供と言うには大人びた、しかし何処までも起伏の存在しない声音。


「貴方の差し延べた手は、その子の存在を消し去る糧となるかもしれない」


謎掛けのように、要領を得ない言葉の羅列。


「それでも貴方は、その腕を握るの?」


白くなってしまった指先は、無意識に温めようと延ばした俺の掌の中。
震える指先は寒さのせいか堅く合わせられたまま閉じられ、まるで祈るように胸の上。
力なく正体を無くした身体は、常にない程に頼りなく。
抱き寄せた腕のまま、静かに立ち上がった。


「君の言葉の意味は、理解に苦しむ」


実際、少女の言葉の意味は欠片ほども理解出来ない。
けれど。


「だが、例え越前が俺の前から消えようと、その存在が掻き消えようと──俺はこの手を離す気はない」


消えてしまうというなら、俺がこの手を離さなければいい。
存在がなくなるというのなら、俺がその存在を掻き抱いていればいい。
消させはしない。
初めて自分自身が求めた存在。
周りの期待や個人のプライドなど関係なく。
ただ一人の人間として共にありたいと願う者。
少女に背を向け、自宅へと向けた足。
その背に、微かな水音が響く。


「貴方が“俺”を救うのか。“俺”が貴方に潰されるのか。全ては貴方次第。断罪の時は、今」


聞こえた声に振り向けば、少女の姿は、なかった。
耳に木霊する雨音。
ざわつく音が、静寂の中を埋め尽くした。






◆◇◆◇







“私”であることを捨てた“俺”




獣の牙に食い荒らされた純白は




僅かな血臭と




汚(けが)れた白を残して




雨に沈む




そして今




雨に埋(うず)めた真実が顔を出す




さぁ




It's condemn.




断罪の時間だ




END


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